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Reflection Journal 2019年2月20日 朝

今日は、更に揺れている感じである。軸がはっきりしない感じである。

①Iさんに内省支援してもらい
「自己否定」が根底にあることを再度発見した。「自分を許してみて」と言われたときに、温かいとろとろを心に掛けたときに、何となく心の周りにガードがあるように感じた。
Iさんの表現によると「感情を安心して出せる場」が欲しいように見えるとアドバイスを貰った。
この辺りは大きな課題であり、これができるようになったら大きな変容と遂げる気がする。

面倒臭いな~と思う気持ち(なぜ、自分に向き合わないといけないのか)
開けてみたいな~と思う気持ちが複雑に入り混じっている。

②早速、加藤さんの宿題をやってみる
①自分を「許す」ときに、温かいとろとろの白い液体をイメージ。これを育み、より洗練された言葉にすること。
心の玉が、光だし、動いて、口から発せられた。この言霊は、広く社会に広がっていた。

①そのイメージを身体イメージで味わったとき、喚起される感覚を書き留める。
身体のゆるみ・思考の停止感を感じた。

②クック=グロイター発達段階4.0の脱皮をするために
「自分を許し」「相手を許す」という表現をしたが、同じことというか、境はないというか、白黒つけないというか、判断しないというか、そのまま受け取る感じ。

③OPENにする境界線
相手軸で、理解できないボールは投げない !
分からないボールを投げると、受け取れられないので(≒認められないので)、折角自己開示をしているのに、自己否定のエゴをくすぐる形になる。
(相当経験しているな~)

結局、「自分は自分、相手は相手」という割り切り とは違うのだか、その落ち着き。


【振り返りで感じたこと】

「自分は自分、相手は相手」という割り切りが今回のシフトの1つのカギだったような気がする。相対で生きてきた自分が絶対の存在になる。

上のコメントと同じことを言っているのだと思うが、自分の中で「認められたい自分がいたことを認めること」ができたことが大きなシフトだった。今から思うと普通のことなんだが。


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