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Reflection Journal 2019年6月25日 夕方

昨日から鳥取に2泊3日の旅にでている。研修ではあるが、拘束時間が短いので、旅を楽しみしている。


1.自然との対峙
屋上の温泉に浸っていると、何となく「寂しい」気持ちに襲われた。自然の純粋無垢な美しさに、自分の素直さが表出でき、そのような感情に見舞われたのだろう。自然には、内省を促進する発達エネルギーがあると感じた。
研修が早めに終わったので、その後は公園で読書したり、芝生の上でお昼寝したり(ありにかまれて余り眠れず)、温泉に浸かったり、夕日を眺めたり、過ごした。
このような時間を過ごすことが、LIFESHIFT休暇の一番の狙いだ。


2.「発達は善なるもの」という発想の問題点と歴史的背景
加藤さんが監訳された「インテグラル理論」のオンラインゼミナールに申し込みをした。贅沢な企画で、我々が質問することに加藤さんが音声で回答をくださる。

序編で加藤さんがご自身で話が上手ではないとお話をされており、加藤さんもそういった感覚をお持ちなのかと少々驚いた。少々難解な表現かもしれないが、加藤さんとのセッションで感じることは頭で聞くことと、身体知で聞くことの両方が必要かと思っている。頭でも理解できるが、癒しの機能があるように思える口調からそれを味わることも醍醐味である。最初に加藤さんとセッションをした時に、この方はヒーラーだと思ったというが参加した皆の意見だった。
確かに、いつものセッションとは異なり、今回のゼミナールでは少々気合が入った声色が届いたことは事実である。若々しいハリを感じた。

話が脱線していたが、「growth to goodness model(発達は善なるもの)」について音声を聞いて感じたことを言葉にしてみる。

加藤さんの解説では、
高度な発達を遂げると、正しい存在に近づく、包括的な存在に近づく、価値あるものに近づく と、近代の発達理論のベースに無意識的に流れている。一方で理解しておかなかればいけないのは、
①新しい機能を獲得することは確かであるが、その機能は価値発揮に結び付くとは限らない。②知性や能力が高度化することによって、価値があるかは証明されていない
③高度な発達を遂げことでどうなるかは、未知なことが多すぎる。どのような実存的な葛藤を生じるか不明点がある。
といった点を解説されていた。

少々個人的な体験による見解を述べる。ビジネス面で捉えると、高度な発達は価値があるかどうかは、現段階では定かではないと思う。スザンヌ・クック=グロイターが統合と分離を繰り返しながら発達段階が上がると表現しているが、その中にも小刻みな統合と分離があるように感じている。
インテグラル理論は「統合」という側面を取れているかもしれないが(まだ未読)、一方で「分離」
も生じるように思う。「統合」と「分離」が表裏一体のような気もする。分離するから統合できる感じある。
この「分離」が現状の社会構造からみると、非常に厄介な存在で、
①会社で働くことの意味からの分離
②将来に備えることの意味からの分離
③この人生で肉体を守るために生きることの分離
④家族を持つことの意味から分離
⑤使命を持って生きることの分離
など様々な分離が起こるので、何かしらの統合がおこり、新機能を身につけられるように感じる。上記のような分離に気づくのは、現代社会で生きることはまだ厳しいような気がする。それが理解できても、表現が難しいように思える。出したところで、「価値あるもの」となかなか認めてらえない苦悩もあるし、周囲からは間違った方向に進んでいると指摘も受けそうである。

現実世界への対応力は増すが、自分の内面の対応力高めないと、結構厳しい現実に遭遇するように思える。

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