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片づけられない人#タイプ1:片づけに気が向かない人

片づけられない人は皆さんの周りに一人はいるのではないでしょうか。

片づけられないのは持って生まれた持ち味だと思います。
片づけられない人の方に悪いイメージがつきがちですが、良いとか悪いとかではない自分の持ち味です。
片づけるのが得意で持ち味であるように、片づけられない持ち味もいるのです。

ただ、この持ち味には先天的、後天的に認知機能が低下してしまっている人を除きます。
認知機能の低下によってゴミの種別の認識、さらに分別が難しく、サポートがないと必然的にゴミ屋敷と化してしまいます。
また、昨今、自治体の分別は複雑化しているので、ゴミ捨てが億劫になってゴミが溜まっていく人もいます。

そういった問題がないにも関わらず、片づけられない人には、それぞれ理由があります。
その理由を聞いていくと、この片づけられない人は大きく3タイプに分かれていることに気づきました。
これを記事の便宜上『標準型』とさせてください。

🔵標準型
1.片づけに気が向かないタイプ
2.物を捨てられないタイプ
3.とりあえず置くタイプ

この3タイプが複合になっている人もいます。
こちらは『複合型』と名付けます。
『複合型』は『標準型』が合わさったものなので、1~3の記事を参考にしてもらえたらと思います。

今回は標準型の片づけに気が向かないタイプ1を見てみます。

🔷片づけに気が向かないタイプ

これはうちの家族にも1人います。
面談で色々な家族のお話を聞くのですが、このタイプは本当に多いです。

うちの家族でこのタイプは娘です。

毎日、私は朝、リビングを片づけて掃除をしてから仕事に出掛けます。
そして、夜、仕事が終わって家に帰ると、足の踏み場がないくらい物が散らかっています。

どうして、毎日こうなるのか。

答えは、

娘が学校から帰ってくる(靴は揃えています)

玄関を上がるやいなやカバンを置く(カバンで後続の行く手を阻みます)

カバンを置いたら制服の上着を脱ぎながら歩く(上着は脱皮状態)

一旦止まってスカートを脱ぐ(ドーナツ状態)

台所でおやつを探してテーブルに持っていく(学校から帰って腹ペコ)

テーブルでおやつを食べる(無心に食べます)

カバンから勉強道具を出す(カバンは帰った時に置いた場所)

勉強道具がカバンから色々出てくる(散乱)

テーブルに勉強道具を持っていく(宿題をしてみようと試みます)

おやつを食べた後はちょっと横に避けておく(おやつの袋が散乱)

勉強道具を広げる(テーブルいっぱいに広げてみる)

漫画を読む(広げたら宿題をせず漫画)

漫画を広げる(漫画が積みあがる)

ちょっと勉強してみる(2~3文字書いてみる)

テレビでアニメを見る(アニメの時間は正確に覚えている)

ちょっと勉強してみる(また2~3文字書いてみる)

私が帰ってくる(いつも通りの風景に毎回感心)

お腹空いたと言う(ご飯ご飯ご飯)

こんな毎日です。

ご覧の通り、次から次へと自分のやりたい事と行く先だけを見ています。
家に帰ってから10秒で台所までの動線は塞がれます。

後から帰ってきた家族は、娘の物を避けるか拾うかしながら前に進みます。

他所のお家でも似たような話をよく聞きます。

子どもだけでなく、旦那さん、奥さん、お舅さん、お姑さん、お父さん、お母さん、同僚、先輩、上司、後輩・・・

片づけられないという人はだいたい皆さん同じで
「今自分がやりたい事じゃないからしない」ただそれだけです。
やりたい事は「家でくつろぐこと」「自分の趣味の時間」など理由はそれぞれ。

片づけに気が向いていないのです。

娘に言われて、気づいたことがあります。

娘が小学一年生の時、家庭訪問で担任の先生から「とってもお片づけが上手です」と言われ、私は驚愕しました。
そして、娘に「学校でお片づけ上手なんだね。お家でもお片づけしてくれるとお母さん助かるな」と伝え、返ってきた言葉が、

「学校で頑張ってるのにどうして家でも頑張らなきゃいけないの!家ではのんびりしたいの!」

家ではのんびりしたい

そうなんです。片づけなんてわき見やよそ見をしてたら、のんびりなんかしていられません。

一直線に自分ののんびりに向かっているのです。

でも、こういう人たちは、片づけられない訳ではないのです。

私の記事にスキしてくださった 日野笙/Sou Hino さん にご訪問させていただいたところ、同じような事例の悩みを記事にされていましたので、ご紹介します。日野笙/Sou Hino さん ご協力ありがとうございます!

このタイプの人は、片づけていないという自覚はあります。自覚を持ちながら自分のやりたい事に向かって動いているので、動いている時はその枝葉になる片づけるという行為に気が向いていないだけなのです。

だから、やるべき事が「片づけること」という目的になると、ちゃんと片づけられます。


🔷片づけ方を知っているか

この片づけに気が向かない人は、目的が片づけることとなったらきちんと片づけられる人が多いです。
何故なら、学校で「片づけましょう!」と号令がかかって片づけることが目的になると出来ている人がほとんどだからです。

だけど、中にはできないという人もいます。

その場合、2つ問題があります。

1つ目は、片づけ方がわからないという人。
片づけができないという人は片づけ方を知らないことが多いです。

片づけ方の基本は、整理・整頓・清掃・清潔・躾け「5S」です。
この「5S」は企業などの組織で効率化や生産性の向上などのために使われているのですが、家庭でも使えます。
躾けの部分は習慣化するということです。

いきなり5つを全部というのは、とてもハードルが高いので、まずは整理から始めてみると良いと思います。

我が家でも年2回、夏休みが終わる時と春休みに入る時に、子ども達が自分の持ち物をいる物といらない物に分けるようにしていました。

ちょっとした大掃除になりますが、
夏休みの終わりは、新学期が始まってから新しい物が増え始め、夏休みの間に工作や自由研究で使った物が溜まっていった後なのでこのタイミングにしました。
春休みに入る時は、学年の修了式が終わり、新年度に向けて心機一転するために前の学年の物を整理します。

そして、いらない物で使える物は「いる」と手を挙げてくれた方に差し上げて、使えない物は処分します。
いる物は子ども達が自分でいる方に整理したので、納得して持っています。

この整理の仕方は色々あります。

世界で有名な近藤麻理恵さんの“こんまりメソッド”のときめくという基準で仕分ける方法や実用性を重視して仕分ける方法など色々やりかたが出ていますが、自分にあった方法がより片づきます。

私もときめきで物を仕分けたことがありましたが、自分がときめく物は実用性がないものが多く、使い勝手が悪かったり、持っていてもあまり出番がなく場所を取るだけの物が多かったので、結局、実用性を重視して仕分けるようになりました。
ときめくよりも『使いやすい、いつも使う、必ず使う』という仕分けです。

そして、整理の後は整頓ですが、これは物に居場所を作ることです。

もし、出来そうなら整頓まで挑戦してみると、さらに達成感が湧いてきます。

ちゃんと片づけて!

と言うと子どもには抵抗感がありますが、

居場所を作ってあげよう!

と言って、最初は子どもの意見を聞きながら片づけを手伝ってみるとスムーズにいくと思います。

我が家は年2回の仕分けを教科書や教材でいっぱいになる小学一年生から始めましたが、小学三年生になると自分でいる物いらない物を分別して整理して、自分が使いやすい場所に片づけていました。

大人の場合で、職場は5Sの取組みをされるとまずまずきれいになり、全体の意識も変わってくると思います。
これは、私が実際にいた職場でも行っていましたし、ジョブコーチの仕事でも使っていました。

後は、この整理整頓を習慣化することで、持続できます。

習慣にするには、いっぺんにたくさんの習慣を作らないことです。

娘は靴だけはきちんと揃えます。
これも習慣です。

この習慣が一つできれば、次に行いやすい習慣を作れば良いのです。
ただ、人に強制されても長続きしません。
自分からやってみようと思うことから一つ始めれば良いのです。

実は、私も最初から片づけが好きでも得意でもありませんでした。
でも、きれいにしたいという気持ちだけはありました。
それで始めたのが朝の習慣化です。

この朝の習慣化は私の中の一大改革で、これで一日の生活が変わりました。

習慣化のコツは、小さな習慣を作ることから始めることです。
小さなことでも人は習慣になればだんだんと変われるものです。


次に問題なのが、片づいているという基準です。

🔷片づいているという基準

2つ目の問題は、特に家庭の中の片づいているという基準です。

職場内であれば、仕組みを作ってそれを遵守するという行為が当たり前として受け入れられ、その通り動く人がほとんどです。
仕組みの中で片づいているという基準もできています。

でも、家庭はそうはいきません。

子どもは小さい時から習慣化することで、概ね片づけることができるようになります。

娘はやりたい事に気が向くと、そちらへ集中してしまい、片づけには気が回りませんが「片づけなきゃ」と本人が自覚すると、自分の中の命令が発動して自分のペースで片づけ始めます。

これは片づけができるかできないかで分けると「できる」方に入ります。

ただ、根本的に苦手分野になるので、気が向かない日がほとんどで、やるとしたら大掃除になります。

でも、全くしない、できないということにはなりません。

だいたいにして、誰しも興味のないことや苦手なことには手をつけたくありません。

それが、日常行為であれば、放っておきたいし、そちらに気を取られたくないのものです。

だけど、子どもであれば許せる行為でも大人になると早々に許せなくなります。

自分だけが片づけている、他の家族は片づけない

この構図が出来上がっていると不満が爆発します。

この不満が出てくる時は、概ね片づけていないと思われている当の本人は、自分なりに片づけていると思っていたり、全く気にしていなかったりします。

何故なら、片づけの基準が違うからです。

片づけに気が向かない人の基準と片づけに気が回る人とでは大きく基準が違います。

これは誤解しがちですが、どちらの人もきれいな場所は大好きです。

片づけに気が向かない人もきれいな場所で過ごしたいと思っています。

ただ、同じきれいな場所、例えばホテルの部屋などに行くと、その人の片づけの基準が大きく現れます。

どこに行っても几帳面できちんと出したら元に戻し、物の場所もすぐに決める人もいれば、脱ぎっぱなし出しっぱなしの人もいるでしょう。

でも、それは当の本人の基準で、それが心地良いのです。

プライベートの空間は本人の心地良さで決まります。

それは千差万別なのです。

だから、自分の基準で相手の片づけを計らないことがとても大事です。

それから、片づけに気が向かない人は2種類います。
一つは、片づけの基準が緩い人、もう一つは、そもそも苦手な人。

そうすると、片づけていないことを気に掛けてはいますが、基準が緩いと基準が厳しい人とは意見が合いませんし、苦手な人は気にはなっていますが、片づけから遠ざかってしまいます。

自分の方が厳しい基準だとしたら、それに合わせる相手は苦痛を感じますし、ましてや苦手だと分かっていることを強いるのはあまり良いことではありません。

我が家はそれを大事にしているので、他所の事例と比較するとあまり片づけのことでもめることはありません。

そのコツはテリトリーです。

家族それぞれの空間を作るようにしています。

共用スペースは、私は片づいているのが好きなので、概ね私の基準でさせてもらっています。
大多数の人と同じく、家族もキレイな場所は好きなので文句はいわれません。

それで、娘の物は拾い集めて、娘のスペースに置いていました。
娘のテリトリー内は娘の管理に任せていました。

結局のところ、片づけに気が向かない人と住んでいる人は、片づけたい方が片づければ良いと思います。
だって、片づいている方が好きなんですから。
基準が緩い人や苦手な人が高い方の基準に合わせるのは、結構大変なんです。
それは、自分が苦手なことをするときと同じです。
片づけてあげているのではなく、片づいている方が好きという自分のこだわりに、基準の緩い人と苦手な人を巻き込んでいると思ってください。

そして、片づけに気が向かない人は、感謝しながら甘えて、自分ができる範囲の片づけをすればよいと思います。

「いつもきれいにしてもらってありがたい」と思えば、相手が苦手なことや、できることを自分でしたり、何か手伝えば良いのです。

自分が苦手でやる気が出ないことを、得意な人がしてくれて当たり前のようにしていると、関係がギクシャクしてきます。
基準の緩い人が「そこまでしなくていいのに」と思ってしまったら、得意な人の価値を少なからずとも否定していることになってしまいます。

どちらにしても、本来は汚いよりきれいの方が好きなのですから、
「片づけてくれてありがとう」と言って甘えてください。
「助かる」といって喜んでください。
いざというとき、やる気になればできる人なんですから。

ちなみに、娘は今一人暮らしをして、散らかる部屋をたまにリセットする生活をしています。片づけを誰かと比べず、自分のタイミング、自分のペースを大事にしています。
カビ掃除と戦う娘の様子はこちらから⇩⇩⇩

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