人はなぜ歴史から何も学ばないのか?

「歴史から学ぶことができるただ1つのことは、人間は歴史から何も学ばないということだ」 by Georg Wilhelm Friedrich Hegel

「もし人類が1000年後に何か一言を残すことができるのであれば、何よりもこの言葉を残すべき」と私は考えています。

それだけ”1000年”という歳月は人類のあらゆる進化・繁栄の歴史を人々の記憶から消し去る力があり、同時に”1000年”前から現在まで残り続けている歴史からは数多くのことが学べると考えています。

恐るべし時の審判・・・!

元トレーダーで確率の専門家であるナシーム・ニコラス・タレブは不確実性のあるこの世界で「時だけがモノの運命を評価できる」と述べています。

また時の審判を経て、過去生き残ったモノはこれからも生き残る確率が高いと説いています。

近年は流行りのインフルエンサーの制作した動画コンテンツから新しいことを学ぶ機会も日に日に増えていますが、時の審判を経た高い普遍性を持つ”歴史”をもっと学ぶべきではないでしょうか?

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 by Otto von Bismarck


私はウズベキスタン、カラカルパクスタン、カザフスタンで何を学んだか?

私はとある事情で先月末より17日間中央アジアの国々に滞在していました。

ウズベキスタンの各都市にはそれぞれの文化があり、かつての戦争や支配の歴史が刻まれていました。

今の私からすれば、「なんだこのおっさん!?」と思うような人も当時の人からすれば到底お会いすることができないぐらい偉い方だったのかもしれません。

現代の多くの人が活版印刷術、火薬、羅針盤のような三大発明の発明者の名前を知らないように、人類にとってどれほど偉大な進歩をしてもいずれ世の中から忘れ去られてしまうと考えると非常に悲しい気持ちになります。

恐らく私がどれだけ大きなメタバース企業を創っても1000年後に私の名前を知っている人はほとんどいないでしょう。


どうすれば1000年先にも何かを残すことができるのか?

私は子供の時から歴史(特に古代文明)が好きで、今までも多くの国の遺跡や博物館を訪れてきました。

そこで1000年以上にもわたって文化や歴史を残せているものは必ずと言っていいほど”宗教”に関係しているものだということに気づきました。

私たちが知っている神殿や寺院のような巨大建造物、石碑、歴史的書物はほぼ全てと言ってもよいほど、宗教的な儀式や礼拝に用いられていました。

”宗教”と聞くと、怪しいイメージを持たれてしまうかもしれませんが、人が文化や歴史を1000年単位で保存するには必要不可欠な要素なのかもしれません。

もし私が過去の偉人っぽく、言葉を残すなら以下の通りです。
「”宗教“こそが人の文化の究極形である」 by 森島健斗


まとめ

過去の成功から共通点を見出し、再現をするのは非常に難しいことですが過去の失敗にはある程度似通った共通項があるはずでしょう。

私はこの記事を読んだ人が過去の歴史と同じ過ちを繰り返さないことを願っています。

結局、タイトルの質問である「人はなぜ歴史から何も学ばないのか?」に何も答えていませんが、最後にマーク・トウェインの以下の言葉で締めくくろうと思います。

「歴史は繰り返さないが、しばしば、韻を踏む」 by Mark Twain

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