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我流は"無形"ではないのか?

こんにちは!

我が拳は我流、我流は無形
無形ゆえにだれも読めぬ

これは漫画「北斗の拳」で登場するキャラクターである"雲のジュウザ"がはなった有名な台詞です。

自己流ゆえに型にはまることなく、誰も見たこともないオリジナルな個性があると要約することができます。たしかにもっともらしく聞こえます。

しかし、はたして本当に「無形」という状態はあるでしょうか?

我流は組み合わせの"ハイブリッド"?

というのも、"我流"というものを形成する段階である程度いろいろなものを吸収していると思うのです。

例えば、ダイエットの話。「自己流のダイエットで10kg痩せた」と聞いてふたを開けると、糖質オフと筋トレと時間制限と、、、など様々なものをかけ合わせて"自己流"だというケースが多いです。

また自己啓発の本などを読むと、大抵どこかで聞いたことのある内容が組み合わさって独自の考察のようにまとめられていることも。

つまり、"我流"や"自己流"などは何かのインスパイアがあり、それらを土台として形成されるものなのです。組み合わせによって生み出されるハイブリッドであると言い換えられます。

"無形"という状態は存在するのか?

我流が何かが組み合わさったハイブリッドである以上、"無形"ということは起こりうるでしょうか?そもそもすでに形のある有形な"何か"が複数集まってできた我流。それを無形と呼ぶことができるのか。

私は"無形である"と言いたいです。

「0→1」にする作業。これは間違いなく"我流は無形"であると言えます。しかし、世の中はそんなことができる人ばかりではありません。「0→1」にできる人はほんの一握りであり、大抵は「1→10」「20→30」というタイプの人なのです。

つまり、私たちが普段している作業の中でも、「我流は無形」だと胸を張って言い切りたい。

まとめ

何が言いたかったというと、様々な知識や情報を得て、いろいろな環境にもまれた私たちは誰もがオリジナルな存在であるということです。

漫画の中では、雲のジュウザというキャラクターは天才であり、雲のように自由であり続けました。その人の言葉だからこそ、「我流は無形」というのは一般庶民には関係がないように感じてしまうのです。

しかし、そうではありません。誰もがジュウザのように個性ある存在なのです。おれは最期の最期まで雲のジュウザ!!

ありがとうございました。

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