見出し画像

瞑想でもっとも重要なこと

「瞑想」を実践している人がここ数年でとても増えた。
今、たくさんの瞑想クラスが開催され、気軽に瞑想の練習を行うことができる。

しかし、「瞑想」が正しく伝わっているように思えない。
瞑想の本質を理解し実践している人がどれだけいるだろう。

瞑想の練習は「目に見えないもの」を扱う。
「意識」や「マインド」という、体よりも深い場所にある繊細なもの。
明確な「知識」という目印が必要である。

まず瞑想は「無」(空)になることではない。
ぼんやりとすることでもない。
雑念を追い払うことでもない。
ただ数を数えることでもない。

これらを目的に瞑想を繰り返しても、多少リラックスしたり気分転換になるだけで、本来の瞑想の効果は狙えない。(瞑想ではない)

逆。

瞑想は、「ある1つの対象物」に、意識を強烈につなげること、つながることだ。
瞑想はヨーガの「ある状態」を表す言葉で、
瞑想=ヨーガ=つながること である。

「雑念がある」
それを承知の上で、それでも強くつながり続ける(集中)力をつける。

なぜつながりたいかと言えば、前の記事にも書いたが、
「物事を理解するため」「見る力、明瞭さを養うため」である。

対象物を理解すること。

もう一つ、多くの瞑想法に欠けていることがある。

それは、瞑想の「対象物」について。
対象物は慎重に選ばなければいけない。

なぜなら、瞑想の対象物の質が、瞑想者の中に入ってくるからだ。

ヨーガの瞑想の対象物が、太陽や月、神だったりするのには意味がある。

「その対象物のクオリティーを自分の中に育てたいから」だ。

人の意識というのは非常にパワフル。
「意識を向けたところに、何かが生じる。そして育つ」ヨーガの基本の考え方だ。

「干しぶどう」に瞑想しても、あまり意味がない。

味覚を研ぎ澄ませることも、
意識的に「歩く」ことも、

気分転換にはなるが、
瞑想の本質とは言えない。

「自分が常に意識を向けたものに、なっていく」
瞑想の実践は、「対象物」が非常に重要。
本来は、必ずヨーガの先生(メンター)のもとで練習する。
対象物は先生に選んでもらうもの。

自分がまだ気づいていない可能性を、先生は理解している。

瞑想は、生徒と先生の信頼関係の中で丁寧に積み重ねていくもの。

そして、本来瞑想の効果は「仕事の集中力」「アイデアがわく」というようなレベルでなく、その人を丸ごと変えてしまうパワフルなもの。

「その人にとって適切な対象物とつながりなさい」

2、3千年前から続く、ヨーガ(=瞑想)の書物にはっきりと書いてある。

瞑想を実践している人は、「対象物」を大切に選びましょう。
まずは「自分の落ち着いた呼吸」なら安全です。


応援してくださったら嬉しいです!いつもありがとうございます。