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リベラルのみんな、「敵」の本を読まない?

今、自分はひろゆきやホリエモン、キンコン西野、オリラジ中田らの本を片っ端から読んでいる。とても勉強になる。

読みなよというと、ほぼすべてのリベラル、左翼、フェミニストは「いやだ」と言う。いろいろ理由をつける。「つまらない」「無駄だ」「相手の評価に貢献したくない」「差別者だ」「セクシストだ」などなど。一言で言うと「敵だから」読まないってことらしい。

だけど、敵だからこそ読むべきなんじゃあないか?

そう思ったので、自分は今これらの著者を一人ずつ、片っ端から読んでる。

敵の考え、知りたくない? どうしてそうなったか、どこが矛盾してるのか。



敵を攻撃するのに敵の著書が一番使える

敵であればこそ、その考えを知れば、その敵を攻撃するのにむちゃんこ使えるじゃん。

たとえばキンコン西野はこんなことを言っている。

世の中にヒューマンエラーはない。あるのはシステムエラーだけだ。「人に失敗をさせるシステム」にこそ問題がある。

これと次のニュースから

マイナンバーカードを使って行政手続きができる政府のサイト「マイナポータル」で、他人の年金記録が閲覧できる状態になるトラブルが発生していたことがわかった。(......)
 政府関係者の一人は「完全なるヒューマンエラー」との見方を示している。

https://www.asahi.com/articles/ASR697T2BR69UTFL01C.html

キンコン西野は痛烈に政府を批判していることが論理的に導けてしまう。

もし仮に西野が仲良くしている吉本興業や、吉本が仲良くしている維新が、どこかで政府と同じようなことを言っていた場合、西野は「吉本や維新を批判してる」ことも論理的に導けてしまうというわけだ。

「〜なんてものは1つもない」というのは非常に強い主張だ。たった一つでも反例があれば間違いになる。西野がたった1つでもシステムではなく個人を責めてたら「言ってることと違うじゃん」と言えてしまうというわけだ。

また、ひろゆきはこんなことを言っている。

「私にはバイアスがないので、絶対にダマされません」
その思い込みが、すでにバイアスの中にいる。
そうではなく、「自分はダマされる」「自分は間違える」という可能性を受け入れることで、はじめてバイアスから逃れられる。
ダマされたあと、間違えたあと、どんな判断をするか。
「認められたい」「好かれたい」「カッコつけたい」......。
そういった思考がおとずれる「1秒」の扱い方が大事だ。

『99%はバイアス』/ ひろゆき p.22

沖縄の「座り込み抗議」についていつまでもバカでダッサいアヤつけてた著名人がいたが、ひろゆきが指摘するような思い込みさえなければ、あんな醜態さらさなくて済んだのにと残念でならない。ひろゆきの本は、そんなダサいバカにこそ伝えたい、否定しようがない素晴らしい主張に満ちている。

相手が何を考えているかがわかっていないと、その相手を攻撃しても、相手にとってはノーダメージだったり、相手を変えたくても変化を起こせなかったりする。

一番攻撃力が高い批判は、相手の価値観、論旨を認めた上でなされる批判だ。そんな批判をするためには、批判したい相手の著書を読むのが一番いい。相手の著書を読むのは、相手を批判する上で最もコスパ、タイパに優れた方法だとすら言える。



敵の「伝え方」を分析しマネしよう

その著者は間違ってる。くだらない。ひどい。許せない。そう言いたい気持ちはわかる。そう言うしかない過去の言動、SNSでの投稿もあったのは知ってる。

でも、それなのになぜこの人たちはこれだけ注目を集めているんだろう。「成功」していて人気なんだろう。

ウケる方法があるなら、それは自分たちの運動や意見の拡散浸透にも使えるかもしれない。そうした発想をとれるかどうかが重要なんじゃないか。

競合の戦略でいいところ、かつ、可能なところは真似する。ビジネスでは常識中の常識だ。

だけれど、運動だとみなそれを嫌う。下手するとカネの匂いがするからダメだと言って避けてしまう。

伝え方から考えながら伝えてる人たちと、伝え方についてまったく意識できずに伝えてる人たち。どちらのほうが「伝わる」だろうか。考えるまでもないことだ。

特に昨今は「伝える」仕組み、すなわちメディアやプラットフォーム、そもそも世界のルール自体が、とんでもないスピードで根底から変化しつづけてる流動の時代だ。常にアップデートしなくちゃなんない。

あなたが世界に伝えたいことが、もし本当にそれほど大事なことならば。なおさら「伝え方」についての研究をしなくちゃならない。マネできることは「敵」だろうと何だろうと、ガンガンマネていくべきだ。「でもでも」言ってる猶予はないはずだ。


敵を攻撃するために払うお金だってある

「一円でも敵の利益になることをしたくない」。そう言う人もいる。むちゃくちゃ多い。

まず、一円くらいなら、この人らにとっては、ぶっちゃけほぼ完全に「無」だよ。どれだけお金持ってると思ってるんだよって話だ。知らないのか。

それに中古で買えば、この人たちにお金は一銭も入らない。

「いや、売れることを通じてお店の評価システムを通じて、そうした連中に権威性や権力を付与してしまう」。

だったら、図書館で借りればいい。自分は図書館で借りている。

それにお金を相手に払うのも、そこまで悪いことじゃない。相手にお金を払ったということは、それで相手の「お客さん」になれたということだ。

人間は返報性といって、無料のティッシュやデパ地下の試食をいただいただけで「なんか申し訳ない」と思ってしまう。何かくれた相手に断る力が弱まってしまう生き物だ。

簡単に言うと、相手はその分「断りづらくなる」。たった数百円、千円そこら払うだけで、その分だけ敵の弱みにつけこめるんだ。そういう発想だってある。(実際に著者に入るのはその10%、つまり100円200円程度だし)

それにみんな、文句言う割に、たとえばTwitter(元Twitter。今はX)は使い続けてるじゃん。

イーロン・マスクがどんなやつで何をしたか。たとえばトランスジェンダーに対してどうした態度をとっているか。知っているのにTwitterを使いつづけてるわけだよね。

SNSにおいてぼくたちユーザーがそのプラットフォームに滞留することは、運営会社に「販売する商品」を供給するのと同じことだ。

マスクはTwitterに集まったユーザーを広告会社に売ることで莫大な売上を得ている。それなのに今日もせっせと、そんなマスクのために、無料でコンテンツをつくってTwitterにアップし、自らもたくさんの広告を浴びにいってるわけだ。

Twitterを使うなと言ってるわけじゃない。「敵であれば一円でも払ってはならない」「たった少しでも有利になることはしてはならない」。この発想自体が大変了見が狭いし、実際上矛盾しているし、実効性も薄い発想だから今すぐ捨て去るべきだと言ってるんだ。



敵の本はタイパがいい

「読む時間がもったいない」
「そんなことに時間かけたくない」
「他に読むべき本がある」

確かに、敵の本を読むのは苦痛だ。それにこの世界には他にも読むべき素晴らしい本がたくさんある。ホリエモンの本を読んでいる間は他の本が読めない。機会損失だ。

でも、安心して。少なくとも冒頭であげたような著者の本は、すべて読むのに時間がかからない(笑)。

スッカスカ。

改行だらけだし、

文字が大きい。

それでも時間がかかるという人には、中田敦彦の『僕たちはどう伝えるか』がおすすめだ。読むのに30分かからないからだ。これはぼくがそう言ってるんじゃない。著者が「30分で読める」と言い切ってる本なので。



リベラルじゃない人はリベラルの本を読もう

ここまで読んできて「ほんとだよなー」「だからリベラルはダメなんだよ」「クソだよ」。

そう思った人にとって「敵」とは「リベラル」だったり「左翼」だったり「フェミニスト」だったりするんだろう。ということはつまり。そう、そうした人はリベラルや左翼、フェミニストの本をどんどん読んでいくべきだ。

そこには、あなたが嫌いな「そういう人たち」の弱点、アキレス腱がたっぷりたっぷり埋まっているはずだ。ガンガン掘り起こしていこう。

最後に、ぼくが敬愛する著者の言葉を君に送る。

簡単にバイアスから外に出る訓練がある。
それは「見たくない」と思うものを「見る」ということだ。

『99%はバイアス』 ひろゆき p.43

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