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「効率化厨」は無駄なことまで効率化してしまう、という話。

先日、コストの話をしているときは、実はコストじゃなくて価値観の話をしている、って記事を書いた。これに関連して、今日は行きすぎた「効率化」について書いてみたい。

ドラッカーだったかな。コスト削減というか、効率化する上ではセオリーがあって。まず「やらなくてもいいこと」「不要なこと」を削る。これを先にやる。次に「どうしてもやらなきゃいけないこと」については効率化する、っていう。

よく世の中にはとにかく何でも効率化したいって人がいるけど、実は「効率化」それ自体は必ずしもいいことではない。

効率化できるように問題自体を変形させてしまう

というのも、まず、効率化しようとするあまり、人は効率化できるように問題を変形させちゃうことがあるからだ。

効率化する、効率化したい人って、最近効率化するツールを手に入れて使いたくてしょうがない、ってことが多いのではないか。ITとかその典型だし、世の中のライフハックや自己啓発、ノート術、時間管理術などの知識って皆そうだけど、手に入れると「それ、自分も使ってみたい」と思うのが人情だろう。

でも「クリスマスプレゼントに金槌をもらった子どもは何でも叩きたがる」っていう格言があって(この格言は下の本から。いい本です)

最近、ランチェスター戦略について勉強したコンサルタントは「これからはランチェスターですよ」、最近、SNSについて勉強したコンサルタントは「これからはSNSですよ」。Web屋は「それならWebサイトをつくりましょう」、映像作家は「それなら動画でアピールしてはどうですか」。何でもそうだけど、自分の手に入れた、持っている道具で問題を解決しようとしてしまいがちだ。

でも、その過程で本来の問題を適切に捉えられなくなることがある。営業に課題を抱えてるとして。でも、だからって「Webサイト」を作ったら問題は解決するんだろうか。ひょっとしたら、新しい営業を採用することが解決かもしれないし、今いるスタッフに研修を受けさせるのが解決かもしれない。そもそも実は営業自体が課題というより、コストが多くかかってて、利益が少ないことが問題かもしれない。

効率化はいいけれど、効率化する前に「他の問題でもっとスマートに解決できないか」と考えてみる必要がある。


無駄なことを効率化する無駄

効率化が必ずしもよいとは限らない理由。もう1つは、とにかく効率化しようと思いつめてしまうと、効率化しなくていいものまで効率化してしまう、という問題がある。「効率化しなくていいもの」にはいろいろあるけれど、一番わかりやすいのは「そもそもやらなくていいこと」だろう。

たとえば、過去のドキュメントの整理。思わずやりたくなってしまうし、整理すればスッキリするけれど、本当にそのドキュメントにアクセスする機会ってあるの? 何回くらい? 必要ないかもしれないこと、無駄なことを効率化する。これほど必要ないこと、無駄なこともないわけで。

以前、ぼくが務めていた会社で、社長が事務の人に、自分の過去の手帳や勉強会の資料をすべてPDF化してくれと頼んでいた。

社長はもう毎日のように勉強会に参加してるような人だったので、資料は膨大な量になっていたし、過去の手帳って、もう20年分くらいあったので、事務の人が時間を取られて泣きそうになっていたのを見たことがある。

確かにすべてPDF化してしまえば、紙はなくなるから棚も整理されるし、iPadやパソコンで気軽に見ることができる。情報も一元化できて、大変便利だ。効率化になっている。

けれども、そもそもの話。過去の手帳や勉強会資料を、本当にその社長は見直すことがあるんだろうか? ないのにこんなことをしてる/させているのだとしたら、効率化されたかもしれないけど、そもそもそれは「無駄なこと」の効率化でしかない。

必要ない業務を一生懸命効率化したり、カイゼンしたところで何にもならない。

まずは無駄なことを片っ端から削除する

なので、効率化する前に必ず「それ、本当に必要あんの?」「やりたいの?」「意味あんの?」「無駄じゃね?」ってツッコミをしなくちゃいけない。

よくいるのは「プログラミングの勉強をしたい」とか「カメラの勉強をしたい」って人。楽しくてどうしてもやりたくて仕方ないか、あるいは本当に必要なら、とてもいいことだけど、そうでないなら、時間の無駄。「プログラミングの勉強をやめる」「カメラについては人にとってもらう」だけで、下手すると何万時間という時間が「手に入る」。

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