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茶摘みといのち

昨日と今日は、実家で茶摘みの手伝いをした。
茶摘みと言っても、両親が機械でほとんどの茶葉を刈り取った後、残りの部分を人の手で摘み取っていく。
お茶の木の脇に屈んで、柔らかな新芽をひたすら手につかんでぷちぷちと摘む、というよりむしり取っていくと、若いみどりの香りがした。
そのまま一心に摘み続けると、普段は見逃している小さないのちに出会った。

お茶の木に巣を架ける蜘蛛。
小指の爪ほどもないかたつむりの子ども。
指先に乗るくらいのバッタやカマキリの幼虫。
つがいで飛び回るシオカラトンボ。
晴天の下、小さな畑の中、若いみどりの香りに包まれて、これだけのいのちが生まれて、育っている。
なぜだか、喜びを感じた。

私はここ一週間、仕事や体調に振り回され、生活することに疲弊していた。そして、自分が死ぬことについて、深く考え込むようになっていた。
そんな時に、若いたくさんのいのちにふれて、ああ、いのちというものは、本当はこんな風に明るいものなのかも知れない、と感じた。
そして、こんな明るいいのちの中で、死について考えるのは、なんだかもったいない気がした。
その後は、ただひたすらに、お茶を摘んだ。

作業は午前中で終わった。
太陽に当たって顔がほかほかした。
クーラーボックスで冷やした水を飲みほす。美味しかった。
今日は、生きていて良かったと思った。


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