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下北沢から、卒業した

先日夫に娘の面倒を頼み、一人で遊びに行く時間をもらった。娘が生まれたばかりのころは美容室に行く休みをもらっても、子供のことが気になりすぎて、ちっとも休んだ気がしなかった。幸いママがいないとどうにもならない子ではないので、私は私でしっかり休もうと、6ヶ月経ってようやくリズムが掴めてきたような気がする。

休みをもらうと大抵、行きたかった本屋さんに行くようにしている。今回は下北沢で、好きなオンライン本屋がポップアップをやっているというので、そこを皮切りに日本橋に移動して誠品書店にも行った。せっかく日本橋に来たのだからと、西川のマットレスを体験しに行ったり、さらに移動して清澄白河で好きな器屋さんを覗いたり、友人とごはんを食べたりと、盛りだくさんに予定を詰めた。

比較的東京の東エリアでの予定が多かったので、はじめは西側にある下北沢に行くか躊躇していた。でも店を持たない、オンライン上でしか交流できない本屋さんが、どんな本を出すのか見てみたい……。どうしようか悩んでいると、夫がこんなことを言ってくれた。

「そうない機会なら、絶対に行った方がいい。そういうのって、効率じゃないと思うから」

スプラトゥーンにドはまりしている夫が、ゲームをしながらこちらも見ずに言ってくれた、名言。このときばかりは彼が神々しく見えたことは間違いない。

背中を押してもらったので、俄然やる気が出た私。調べたらちょうど、その日がイベント最終日だった。これもご縁かな。

冬の透き通った鮮やかな青が美しい、雲一つない空。久しぶりの下北沢は駅前がずいぶん変わっていてびっくりした。前クールに話題になっていたドラマ「silent」の舞台になっていたこともあって、silentが好きそうな女の子がごろごろいて、これまた驚いた。その隙間を抜けるようにして歩いていると、偶然大好きな長野の移動本屋さんが出店していた。ラッキーが重なる休日だった。夫には本当に感謝しかない。

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下北沢、日本橋、清澄白河と、一日の間に東京の西から東へ、いろんな街を散策したことで思ったことがある。下北沢という街が、今の自分になんだかフィットしていないな、ということに。

5年ほど前まで、高円寺に住んでいた。当時は下北沢のごちゃごちゃしたところや、狭い路地、若い人の笑い声が絶えない賑やかな感じが好きだった。だから定期的に行く用事を作りたくて、行きづらいのにわざわざネイルの店を下北沢で選んでいたのは懐かしい。

でも少し時間が経って行った下北沢はなんだか騒がしく、人が多く、雑多で、用事を済ませたらすぐに街から飛び出したくなった。

一方で次に行った日本橋は、これまで縁遠かった街だ。買い物や食事をした記憶もほとんどない。それでもこの日歩いていたら、とても清々しい街だと感じた。広い歩道。まばらな人。少し背筋をピンと張りたくなるような、まぶしいショーウィンドウ。都会のど真ん中だけれど、大きく息を吸い込みたくなった。

清澄白河もそう。この街は特に夕暮れに行くのがいい。川から沈む夕日を見たり、観光客から地元客が愉しむ時間に様変わりしていくから面白い。

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駅前が綺麗になったけれど、決して下北沢の本質が変わったわけではないのだと思う。ただ私が変わっただけ。年齢なのか何なのか分からないけれど、私もいろんな経験を積み重ねて、街に求める条件が変わったのだろう。そういえば先日住み慣れた高円寺にも用があって訪れたけれど、下北沢同様、なんだかあんまり心がワクワクしなかった。それも同じような理由なのかもしれない。

あんなに通い慣れた街なのに。ほんの少し寂しい気持ちがする。演劇の世界で活躍する芸能人みたいに、下北沢の常連さんばかりが通うようなお店ではしご酒を楽しむ大人には、どうやらなれなかったようだ。

でも同時に、日本橋や清澄白河といった、あの頃まったく見向きもしなかった街に心惹かれる自分がいることも面白い。いま住んでいる荒川区だって、20代の自分だったら住みたいと思っただろうか。どうだろう。あの頃に戻らないと分からないけれど、おそらく選択肢には挙がってこなかったような気がする。

同じ「東京」とひとくくりにしても、一駅変わるだけでまったく性格が異なる東京が好きだ。これから先も、知らなかった街に行って興奮したり、好きだった街が合わなくなって寂しくなったりするんだろう。

そんないろんな気持ちになれるから、私は街歩きがやめられない。


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