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祖母がデイサービスに通うようになった

初めはTwitterでつぶやこうと思ったのですが
あまりにもスレッドが長くなりそうだったので
noteを通して投稿することにしました(結果的に7000字の記事になりました)。祖母の人柄や、ボケが始まるまでの話、デイサービスを利用するまでの話など、振り返りたくなったので書いてまとめます。蛇足の部分も多々あるとは思いますが、お付き合いくださいませ。

2021年6月29日
祖母が初めてのデイサービスに行ってきました。
とても嬉しい気持ちです。
泣きそうなくらい。

本当に長い道のりでした。

元々僕自身おばあちゃん子でしたから、学校から帰ればおばあちゃんが家にいて、共働きの家庭環境で僕の面倒を見てくれていました。どうやって作るんだか分からない厚焼き玉子(のようなもの?)をよくおやつに食べていました。

醤油の味がとても強い玉子でした。思えば昔から祖母は味の濃いものが好きだったのでしょう。

何年前のことだか覚えていませんが、かかりつけの医者に行った後、帰ってこないことがありました。心配に思った母が病院に電話をすると、もう診察は終わったと。心当たりのあるところ全てに電話しても手がかりが掴めず、母が車で病院まで行くと、バス停のベンチで知らないおばさんと話していたそうです。

きっと乗るバスが分からなくなったのでしょう。その頃からボケが始まっていたのだと思います。今では主に母親が仕事の休みを取って、車で送迎しています。今の姿で見慣れているので、昔は一人で通院していたと思うとびっくりです。

同じ時期に祖母の義弟がガソリンスタンドに行ったきり帰ってこないということもありました。警察に保護されたようで、見つかったのは大宮のあたりだったそうです(東京23区外住み)。本来、曲がるはずのところを通り過ぎたか何かで、それからどこを走っているのか分からず、気づけば大宮まで。

僕はまだ幼かったのでよく分かっていなかったのですが、最近母とそういった大人の会話(下ネタじゃなくて)を話す機会が多くなった中で聞きました。

閑話休題。

祖母がボケ始めて介護サービスを利用するようになるのは、その時点で目の前に来ていたのかもしれません。部屋の片付けをしている中で自分の物をどこに置いたのか分からなくなったり(それは若い人でもよくありますが笑)、自分の物ならまだしも家族の服や大事な書類などを自分の物とまとめてしまい、どこに置いたか分からなくなっていたこともよくありました。今でも自分の服と家族の服をごっちゃにしてしまいます。

その頃はまだ親戚も多くが生きていましたので、家に誰かが遊びに来たり、地域のお祭り事には顔を出していたりしたこともあり、家族としては「まだ大丈夫だろう」という安心があったと思います。もちろん先述の通り両親は共働きだったこともあり、なかなか介護の話になることはありませんでした。

6年前。家をリフォームしました。築35年?ぐらいの古い家でした。祖父の意向で、真ん中に居間が配置してある和室が3つ並んだ間取りで、台所が廊下を挟んで微妙に歩かないといけない距離にある、今思うとよく分からん家でした。

同級生からは「おばあちゃん家の匂いがする!」と言われるような家です。

リフォームする前の最後の年は、天井裏に明らかに何か動物が棲みついている感じもしました。おそらくハクビシンか何かです。ネズミではないレベルの足音でした。ちなみにネズミも出ました。鼠取りで捕まえました。

そんなこんなで、流石にリフォームしないといけないということになり、リフォームが始まるわけですが、なんせこのリフォームが始まる前の家の掃除が死ぬほど大変。

母親もそうなのですが、何より祖母が「捨てられない」人でして、「もったいない」「何かに使える」と言っては輪ゴムから布切れからペットボトル、座布団、タンス、小物入れ、鉛筆…あらゆる物を捨てられない。

ひとまず僕は自分の部屋の掃除を済ませて、それからは祖母の義弟(二度目の登場)が営んでいた自転車屋の断捨離を手伝っていました(既に他界しており、ずっとシャッターが閉まったままでした)。

しかし、家に戻ると祖母の泣き叫ぶ声が聞こえるわけです。

「簡単に捨てるなんて言うな!うぅ…泣」

僕はそのシーンを見てはいないのですが、母から聞くところによると本当に惨憺たる状況だったようです。使い切ったような鉛筆一本も捨てないで取っておくと言い張ったようですから。

これも話し始めるとキリがないので、この辺で終わりにして…

リフォームが終わり家を見ると、それはそれは素晴らしい家が建っているではありませんか。リビングもずいぶん広くなり、キッチン(台所というよりキッチン)もオシャレになり…

楽しい生活が始まりました。

しかし、前の家の時から既に始まっていたボケが本格的に始まったのも同じ時期です(ここからは今なお進行中の話)。

初めは物をどこに置いたか忘れてしまったという程度のことでしたが、「今」言ったことをわすれてしまうように。電話をして、切った直後に誰と電話していたの?と聞いても分からない、何の話をしていたのかも分からない。

夜ご飯はうどんにするということを言ってもご飯を炊いてしまい、問いただすと「そんなこと言われてない」と逆ギレ。縫い物や編み物をしていても、途中でやめると、やっていたことすら忘れてしまう。

元々外に出て人と関わるような人ではないのですが、親戚もほとんどが亡くなり、家に引きこもるようになります。すると、徐々に歩くのも億劫になります。「散歩にでも行ってきな」と言うと「寒い」「風が強い」「日が強い」と何かと理由をつけて、しまいには「いちいちうるせえな」と小声で逆ギレしてきます。

畳の生活からフローリングの生活に変わったことで、椅子に座って日中を過ごすようになります。外に出て歩くわけでもない。トイレに行くのも億劫で、ギリギリになるまで我慢するくらい歩かなくなります。

結果、足はパンパンにむくんでしまい、最近はマッサージをしようと足を軽く掴むだけで、叫ぶように痛がります。足ってむくむとこんな風になるんだ…とびっくりするぐらいです。シワが寄らずツルツルテカテカの肌で、足首は靴下が食い込んでいる状態。

食生活も乱れ始めました。お煎餅やアイスでお昼ご飯を済ませるようになり、それは良くないと伝えても「私の良いようにやるからいいんだよ」と逆ギレ(何度目)。

当時大学生だった自分は、大学が休みの日の昼間にそういう姿を頻繁に見かけるようになります。それまでもそういう状態だったことは分かっていたのですが、いざ目の前にすると堪えるものがあります。

そして家族に真剣にデイサービスを考えようと伝えます。もちろん、祖母はその時すでに80歳を超えていましたから、負担が大きくなっていたのもあります。しかしそれ以上に「楽しくなさそう」。美味しいものが食べたいわけでもない、やりたいことがあるわけでもない、家族にはぐちぐち言われる、体が思うように動かない。

それまで面倒を見てくれていた祖母の姿を覚えている自分としては、とても切ない思いでいっぱいでした。こっちが腹を立てて責め立ててしまうこともあり、それを後悔することもあったので、それも辛かったです(DV彼氏みたいな感じ)。

デイサービスのこと考えようよ

家族に相談のLINEを入れると
ありがとう。でも、まだ何も分からないからまずは相談しよう。
と言われました。2016年のことです。

以降、ほとんど同じような会話が4年ほど続きました。基本的には、仕事の休みが取りにくいから行き帰りの送迎ができないという理由で、渋っていたように思います。今思えば、介護サービスには送迎サービスが充実しているので、あまり気にすることでもなかったのですが、とにかく母はそこが気がかりだったようです。もしかしたら自分の母を預けること自体にも抵抗があったのかもしれませんが。

たしかに最初は祖母も嫌がっていたように思います。昼間の時間、いろんな人とお話をする場所に行ってみる?と聞くと、知らない人がいるところは嫌だと言っていました。誰だって新しい環境へ身を置くことは心地の良いことではありませんから、無理に始めることもできません。

最初は、デイサービス考えよ?くらいのテンションでしたが、いよいよ僕自身も同じ会話の繰り返しにしびれを切らして、具体的な施設名をいくつか調べて提案するようになりました。さながら営業職のサラリーマンのようです。

それでも家族は一向に動きません。いよいよ僕もどうにかしないといけないと思い、どうすれば介護サービスを受け始めることができるのか、介護施設に問い合わせて聞いてみました。

どうやら「ケアマネジャー」という人がいなければならなくて、そのためには「介護認定」なるものが必要だというではありませんか。

ここにきてかなり初歩的かつ重要なことを知らなかったことに気づきます。めちゃくちゃびっくりしました。デイサービス入りたいです、今日からお願いします。みたいなことができない。

恥ずかしくてたまらなかったですけど、それでも間違いなく進歩。すぐ家族と相談します。これはもう最近の話です。

デイサービスを受けるにはケアマネジャーが必要であること、そのためには介護認定を受ける必要があること、そのためには訪問調査を受ける必要があること…。

そしてまた、同じ理由で渋られます。

休みが取れない。

もういい加減にしてくれと。僕もかなり強く出て言いました。この頃は祖母の日中の過ごし方を完全に把握していて、都度「散歩に行ってきな」「マッサージでもしたら?」と声かけしていたのですが、先にも述べた通り言うことを聞いてくれないので、かなりこっちに精神的なストレスがかかっていました。

正直、僕は限界でした。というのも、家族間での摩擦も起きていたからです。

祖母は必ずご飯を炊きます。どんな注意書きを炊飯器に貼っていても必ず炊きます。すると、母が帰ってきて炊いてあるご飯を見つけて、機嫌が悪くなります。夜ご飯は残ってる野菜で煮込みうどんにしようかなとか、ラーメンにしようかなとか、色々考えながら帰ってくるので、ご飯が炊いてあるとそれまでの計画が一気に崩れてしまうわけです。ご飯しか選択肢がない。でも、おかずはない。帰ってきてからスーパーに買いに行くのも面倒。結局、適当に野菜を炒めて終わりにしてしまうみたいなことになります。

数年前から僕も料理を始め、手伝うようになりましたが、1人で支度をしていたころの母は相当に疲弊していたと思います。

同じようなことが毎日起こります。本当に毎日。必ずご飯が炊いてある。そのご飯も水加減が適当なものですから、べちゃべちゃなことだってあります。本当にあと一歩でおかゆみたいな。

ご飯のことは何もしないでって言ったでしょ!

そうだっけか…?
そんなこと言われた覚えはないなぁ…。

本当に毎日なんです。びっくりするぐらい。家族で「もうあーだこーだ言うのはやめよう。お互いが気持ち良くない。」と話すのですが、それでもやっぱり言いたくなってしまう。もちろんご飯以外のこともありますから、鬱憤が溜まる一方です。

話を戻して、訪問調査。基本的には家族同席で行うものなので、誰かがいなければならない。そこで母は「休み取れないから、あなたがいてくれる?」と言いました。正直、自分の親のことだから、なんで孫の俺が先陣切ってやらなきゃいけないんだと思いました。でも、もう限界ですから、もう俺がやる!と。

市のホームページから依頼書を印刷して必要事項を記入し、提出しました。その時自分はフリーターだったので日中は基本的に空いていましたから、訪問調査の日程も勝手にこっちで決めてしまいました。

後日、電話で最終的な日程を決めるというところで2,3個ほど候補日をいただきました。

両親に「どこなら休み取れそう?」と聞くと「○月○日なら取れそう。」と。

いや、休み取れるんかい

あれだけ「休みが…」みたいな話をしていたのに、すんなりと決まるんかい。しかも、両親とも訪問調査に立ち会えると。

すっ転びそうになりました。新喜劇みたいに。

これまで苦労して説得してきたのは一体何だったのか。実際にデイサービスという言葉を出して相談を始めてからここに至るまで5年。

いやあ、長かった。

ほんの1,2ヶ月前の話です。そこから一気にデイサービスまで漕ぎ着けました。

もちろん、ケアマネジャーどうしようとかありましたけど、一度軌道に乗ったものは進むのみ。知り合いで介護の仕事をしている人に相談して、どうやってケアマネジャー決めればいいの?とか。とにかく情報を集めまくって、この好機を逃すまいと必死でした。

結果的には、ケアマネジャーもデイサービス施設も変更ができるとのことだったので、まだ初めてで分からないうちは、知り合いの親御さんも通っているという施設にお願いしようという運びになりました。もちろん見学はしました。市内のデイサービスセンター4つ。

祖母も実際に見学に行くと、それまでは前向きでなかったものが、行ってみてもいいかなと言うではありませんか。これにはみんなびっくり。

どんなにこっちが良いと思っても、やはり最後は本人の気持ちが大事ですから、そこをどう乗り越えるかというところが難関だと思っていました。

意外や意外、すんなりと受け入れました。

さあ、あとは施設のスタッフの方と実際に会って、具体的な施設の中身や持ち物など確認して…。

無事、契約。

長かった。

本当に長かった。

そして、デイサービス初日。昨日です。

前の晩から
服は何を着ていこうか、何時にお迎えが来るから早起きしなきゃ…

いろんなことでソワソワしました。僕も両親も祖母も。これまで外に出てこなかった祖母ですから、着ている服もみんなボロばかり。他に着る物はないの?と聞いても、オシャレな服は他所に行く時用のだから普段は着ないんだ、と。他所って言っても今はどこに行くわけでもないんだから着ればいいと言っても、「もったいない」。

出ました、「もったいない」

新しい服を着るのがもったいないそうです。それがしまむらあんしん価格の服であっても。10年以上前に買った服もタグがついたままタンスにしまってありますからね。それも全部、他所行きだからもったいない。今着ている服に穴が開いたら着ると。かと言って、元々着ていた服を捨てるわけではない。これも「もったいない」。

そんな祖母もデイサービスに行くとなるとオシャレするんですね。紺のブラウスを着ていくことに決めました。

当日の朝。見送りは僕が担当です。朝起きると、まだ祖母がリビングにいません。まだ送迎のバスが来るまで1時間以上あるので急いではいませんが、少し心配です。

やっと起きてきたかと思ったら、首に真珠のネックレスをつけているではありませんか。なんとまあオシャレなこと。昨晩、そんなものは準備していなかったのに。

いやあ、良いですね。祖母がオシャレを気にするなんて思いもしませんでした。持ち物もすでにまとめてあるので、あとは来るのを待つだけ。

その間も、ハンカチはどうしよう、鼻紙はどうしよう、体温計らなくちゃ(よく覚えてたな)…

いつもとまるで違います。

それまで「知らない人がいるところは嫌だ」と言っていた人が、自分からいろんなものを準備している。

幼稚園に子どもを預ける親の気持ちが分かったような気がします。こっちもソワソワしてきますもん。

そして、外から車の音が聞こえ…

さあ!行こう!

車までついて行き、祖母が車に乗りました。

僕に手を振ってきました。

泣きそうでした。

運転手の方もいたので我慢しましたが、心の中では大号泣です。

あの祖母が、笑顔で手を振っている。

とっても幸せな気持ちになりました。

帰りは17時30分。またソワソワしてきました。

帰ってきました。

笑顔です。

いつ以来だろう。祖母と手を繋いで車から玄関まで歩きました。

椅子に座って話を聞くと、とても良かったようです。もちろん物覚えが悪いですから、どんなことをしたの?と聞いても「うーん、大したことはしなかったな」と言うくらいで終わってしまいますが、「ああいう場所はいいね、人が話してるのを聞けて、人と関われていいもんだ」と。

連絡帳にも「楽しく遊んでおられました」と書かれていました。本当に子どもができたらこういう気持ちになるんだろうなあと思いました。あっちで何をしたのかこんなにも気になるなんて。まさに親心。

母も帰ってきてから話をしたようで、そこでは「毎日でもいい」ぐらいのことを言っていたそうです。相当気に入ったんですかね。

ひとまず一件落着(一件どころの話ではありませんでしたが)。

次は金曜日です。楽しみです。

何が良かったかって、みんなが笑顔になったことですね。

あんまり言いたくありませんが、やはり祖母との衝突が家族仲の悪化に影響を与えていたことは否定できません。

しかし、祖母は人と関わるようになって活発になり、我々もそんな祖母のこれからが楽しみで和やかになります。

祖母がデイサービス通うようになった。

たったそれだけのことですが、家族にとっても僕にとっても幸せな一日になりました。

めでたしめでたし。


追記

既に4回行ったデイサービスですが、「週に2回しか行かないのか?」「1日おきでもいいな」と、まさかの前向きな姿勢でございます。たまに自分がデイサービスに出かけていることを忘れて「そんなところ行ってるっけか?」みたいなことになりますが笑

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