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大人の不登校

元不登校の人が、不登校時代のことを振り返って話しているのを聴いてドキッとした。

自分には生きている価値がない…とか、笑っちゃいけないんじゃないか、とか、今の自分が感じていることと同じ、似ているような気がした。

私の学生時代は、学校に行きたくない、と思っても、不登校という選択肢が思い浮かばず、それを選ぶ勇気もなく、そんなことしたら、レールから外れてしまうという怖さもあったり、親を悲しませたり、親にうるさく言われる…などいろんな背景も考え、行きたくなくても通っていた。

そして、なるべく学校にいる時間を短くして帰宅して、家に閉じこもっていた。部屋に閉じこもっていた。

前にも高校時代のところで書いたけれど、人目を気にしないで生きたい、オーストラリアの牧場かどこかへ行って生活したいと考えていた。

そこから時間が経ち、不登校の子が考えていたことと同じようなことを考えている自分にとっては、

学校に行けないことで悩んでいる、苦しんでいる=

学校に行けない=会社に行って働くことができない、仕事をしていない、仕事がない、仕事ができない、働きたくない、働けない、引きこもり…

に置き換えると、大人の不登校状態のような気がする。

どこにも自分の居場所がない苦しみ、世間で当たり前とされていることに適応できなかったり、当たり前とされていることを当たり前にできない自分に悩んでいる、苦しんでいる点では、一緒のような気がする。


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