12年間放置していたカオスな書斎を片付けたらいろいろ見えてきた4

20年前の新聞の切り抜き

今ではほとんどやらなくなった新聞切り抜き。
これはいいなあと思う記事を切り抜いてストック。
今は、残したい記事があれば、スマホでスクリーンショットして画像で保存か、文章をコピー &ペーストで、メモ機能などに記録。または、リンクをコピーして保存。
ほんとにスマートになったものだなあと思います。
書斎を片付けていると出てきたのが、「切り抜き」と書かれたスクラップボックス。
一番古いものは、およそ22年前の記事。
すっかり何をとっておいたかなんて忘れています。
22年前といえば、長女がまだ生まれたばかり。
どんなことをとっておいたのかと並べてみるとちょっとびっくりしました。

「少子化」「感性・心の教育」「子育て支援」

今、それこそスマホにスクラップしているテーマとほぼ大差ないということ!
ということは、20年後も課題は変わっていないということですね。

平成9年、10年といえば乳飲み子を抱えていっぱいいっぱいの頃、早くも子どもの教育に関心を持つ自分だったのかと意外な感じでした。
まさか、この時から約16年後に幼稚園の園長という保育の世界に入ることなどかけらも思っていない時。
このスクラップたちは、まさに今、そのまま受け取るべき内容ばかりでした。
未来の自分に向けての予言的スクラップです。

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「マンホールはなぜ丸いのか」

「面白い授業が心豊かに」という「教育再興」をテーマにしたシリーズ記事の一節。

“「マンホールはなぜ丸いのか」。そんな素朴な疑問から、円という形の機能のすばらしさを教える。そこから、身の回りに潜む算数の不思議な世界に焦点をあてていく。「面白い授業。それが実は一番のいじめ対策でもあるんです」・・・知識偏重の教育から脱皮しようとして「いかにイキイキワクワクする授業をするか」と自分に問いながら模索してきた道と図らずも重なっていたという。”

今まさに学校が取り組み出している知識偏重教育からの脱却について、20年以上前にもチャレンジしていたんですね
ここから「ゆとり教育」につながっていくわけですね。
しかし、方向性は見えたけど、ちょっとうまくいかなかった「ゆとり教育」。
今、再び、「教育再々興」の時なんですね。

「母さんが夜なべをして手袋編んでくれた〜」

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これも平成10年の記事。
座談会の記事の一節。
子どもに学校に持たせる雑巾ぐらい親が手で縫ってやってほしいと校長先生が言ったら、若いお母さんが、「親が縫ってやろうと、スーパーで買おうと雑巾は雑巾です」と声を上げた。
そこにいた3分の2くらいの母親がワーっと拍手したという。
それに対して「もう日本はダメだな」と思ったという話。

これを20年たった今読んで思うことは、

「今は3分の2どころか9割が拍手するはず!」と。
いいとか悪いとかではなくそれが現実。
私個人はどうかといえば、1割の側。
今もなお、「雑巾縫う派」ですね。

「夜なべ」という言葉も今や死語。
手袋は100均。

果たして日本はダメになったのか?

新型コロナウイルス対策で使い捨てマスクがない!となった時、「作ればいいじゃん」とすぐに思ったのは、きっと「雑巾作る派」の人だとは思います。
でも、使い捨てマスクの入荷待ちをして並ぶ親もまた必死に違いありません。

似たような話に、「子どもに手作り弁当を作るか、給食か」という話。
以前、月1度のお弁当日について
「子どもに弁当を作らなくたって、愛情は弁当じゃなくても伝わります!」
これは、実際うちの幼稚園で上がった声。
これに対して、親御さんたちに伝えたのは、「給食だと好き嫌いがあって食べられない子は、好きなものが入っているお弁当を本当にうれしそうに全部食べますよ」
そこには、子どもたちのお弁当にまつわる見えないストーリーがあります。

雑巾は、使い古しのタオルといった、あるもので作ることが多いですよね。
これも使い古しのタオルを生かすという「タオルの一生」という見えないストーリーがあります。

すぐに「そんなのこうでしょ!」と声を上げてしまう様子から、見えないストーリーを想像するまで至らない日本人はひょっとして増えたかもと感じます。

「思慮深さ」というのが日本人のカッコよさだとしたら、日本はダメになったとも言えるかもしれませんね。

今は、「手間ひまかけることが愛情」とだけにするとおかしな話もあるので、見えないストーリーを見る「想像力は、大人の品格」とぐらいにしておけばいいのかなと思います。

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