12年間放置していたカオスな書斎を片付けたらいろいろ見えてきた2


変えちゃいけないものは、ほんのわずか

私がこれまで参加してきた、毎年、毎月繰り返される定例会のようなものの記録を見ていると、
「10年前と会議の形式は、何にも変わっていないな」
「議事録、今もほぼ同じだな」
「行事のタイトルも同じ」
さらにさかのぼって、20年前の記録誌を読んでも同じ。
書類を眺めていると、片手に数えられるぐらいのことをぐるぐるこなしているようにしか見えない。
2年ぐらい前に、
「昭和のまんまのやり方って見直した方がいいと思います」
と私が発言したら、これまでやってきたことを否定するのかって勢いで何人かの人の反感を買ってしまったことがあります。
これは、私の丁寧な説明が足らなかったためですが、「変えちゃいけないものを大事にしないと!」という方もいました。
ならば、変えちゃいけないものが何なのかピックアップしてみることをするかと思いきや、そこはうやむや。
たぶん、変えちゃいけないものって今回の片づけの結果と同じで10分の1くらいの事になると予想します。

立ち止まることは死?

「自転車は、こぎ続けないと倒れる。」
ちょうど、90年代に起業したころ、この言葉の下で必死にこぎ続けた自分がいました。
立ち止まることは、死を意味するくらいに立ち止まることを恐れてきたこれまでの社会が、本気で立ち止まるようにさせられている今だと思います。

**一回更地にして考えるということはできないものだろうか?

外側から見たらどう見えるのかという視点で考えてみたらどうだろうか?

これじゃなくてもいいよねっていう選択もつくってみてはどうだろうか?**

立ち止まれる今、考える時間ができた今、徹底的に考えたいです。

モチベーション基準に考えてみる

私は、毎年同じことをやることは、自分のモチベーションが上がらないので、ベースは毎年毎回同じでも、内容や趣きを必ず変える方です。
例えるなら、たけのこのシーズンに「たけのこご飯」ばかりを作るのではなく、「チンジャオロースー」だったり、「たけのこの炊き合わせ」を作ったりする感じです。
「いや、毎年この時期は、必ず「たけのこご飯」でもいいですよ。変わらないことがいいんです。」という方もきっといるでしょう。
ところが、一方で、「ごはんをメインにたくさん食べるとか無理。」という人たちが多くなったとします。
一転して、「たけのこご飯」は、しんどい食べ物になり、「あーまた、たけのこご飯か」と、うれしくないメニューになることもあるのです。
「たけのこご飯」は続けるにしても、伝統や季節感を大事にする上から、少量だけつくるという選択もあると思います。
今までこうしてきたから!ということで価値を押し付けることは、人のモチベーションも上がらず、人の心もついて来ず、いいことが少ないです。
その時々に合わせて変化をつけることは、モチベーション重視の気まぐれな行動ではなく、時代を読んだり、人の心に配慮したり、親切心満載の真心のこもった行動。
それができないようなコミュニティは、形骸化していくのは目に見えています。

先人の土俵より自分の土俵で戦うこと

半年に1度くらい訪れる神社さんで、先日引いたおみくじが半年前と同じ番号のメッセージでした。珍しいこともあるものだと不思議に思いました。
書いてあるメインの一文は、
21番「先人の土俵より自分の土俵で戦うこと」
神様は、どうでも自分の軸で戦っていくように導いているのだなあと思わずにおれませんでした。
先人が軸としてきたことを否定するのではなく、また、先人の築いた土俵に上がらずに、今は自分の軸を信じて自分の土俵に人を引き込むのが道なのかもしれません。

この続きは3で。

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