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12年間放置していたカオスな書斎を片付けたらいろいろ見えてきた5

10年以上続くメモの取り方とは。

2008年くらいからたまったメモ帳は、今使っているものも合わせて21冊。
使い続けているのは、コクヨのCampusの5号サイズのメモ帳。主にオレンジ色とブルーが好きなので、1冊使い終わるごとにノートの色を交互に使っています。
これまで机の片隅に並べてきて、今回の書斎の片付けでメモ帳を一掃しようかと思い、中身をパラパラ見てみました。

会議録、懇談会での意見記録、人数などの数の集計、研修内容のメモ、自分のあいさつなどの草稿、行事のスケジュール、料理のレシピ、お客様用料理のメニュー、正月の準備記録、気に入った本の抜粋、衣装やイベントグッズのデザイン案のラフ、聴きたい楽曲名、読むべき本
などなど

ノートの中の内容も、まさにカオス。
容赦なく書きつづり、字は汚くても読めればいい程度です。
唐突な文章もけっこう多いです。
どういう状況でこれを書いたのか?
というような今となってはわからないメモもありました。
時系列で書いていっているので会議録は会議録のノートでというような分類がされていません。
でもこれがいいのです。
時系列で書いていくことだけ守り、気楽にメモをとります。
突然、降ってきたアイデアや言葉もとりあえずそこに書く。
アイデア帳とか決めてしまうと、持ち歩くノートも増えるし、カッコつけたくなるかもしれません。
これからメモを習慣化したいと思う人は、まずは、垂れ流し的メモの取り方をすることでいいと思います。

時系列にどんなことでも気楽に書きとめていくだけでいい。

これが続くメモの取り方の姿勢です。

紙のメモ帳とスマホのメモ機能

実は近年、スマホにメモをとることが増えたため、メモ帳の消耗は遅くなりました。
スマホのメモ機能で文字打ちしておくと、あとでパソコンでの打ち込み作業が必要な場合、打ち込んだ文章をそのまま土台にできますので効率よく、便利に使っています。
それでも、スマホばかりにならずに、小さなメモ帳はいつもカバンに入れて使っています。

それというのも「ペンと紙」っていうのは印象がいいですから。
やっぱり今でも、ペンを持って何か書いていると、熱心にものを考え、勉強しているぽく見えますからね。
「スマホばかりいじる人」ってまだまだ印象悪く見えているようで、私も新聞も本もデジタル版をよく読むのですが、未だに家の中でもいい印象は持たれないので、引っ込んで読んでいます。笑

過去のメモ帳から見えてきたこと

これまでのメモ帳を捨てるのをやめた理由は、その内容が、

「けっこうおもしろかったから」

「10年も前のことなんか今後見返さないだろう」「恥ずかしい青臭いことも書いてあるかもしれない」と思いきや、全体を見渡すと自分がどんなワールドにいたのか客観視することができました。

病気した時の記録が書いてあるページには、忘れてしまったことがほとんどで「あんた大変だったな〜」と過去の自分を労ったりもしましたが、共感した言葉などが書いてあるところを読み返すと、当時の自分の思考の背景が想像できておもしろかったのです。

過去のメモには、自分の関心事や思考の変遷が見えて、結局これからあなたはどうするんですか?という自分への問いにつながりました。

何年もルーティンになっているようなこと、特に具体策のない堂々巡りの会議録を眺めると「で、これからどうするの?」という問いがありありと浮かんできました。

メモ帳は、未来の自分への問いかけを残す働きもしてくれるのかもしれません。

2009年のメモ帳は、予言書?

今読んで特に気になったのが、2009年のメモ帳。
どんなことが書かれていたか抜粋。

【不景気の時には】
「底力を養うチャンス」
誰でもできるあたり前のこと「あいさつ」など徹底してやり続ける。
平凡なことを非凡に努めようとする。
「初心に帰るチャンス」
商売を始めたその時はどんな注文にも感謝したはず。→楽してもうかる方法はないかと探り出す。
→小さな注文に感謝できる心に戻る。
「原点に帰るチャンス」
会社が大きくなり、売ることに忙しくしていると何のために会社を作ったのか、働いているのか原点を見失ってしまう。→社会をよくし、社会の役に立つこと。(上甲晃 氏 松下政経塾)

↑当時から10年、不景気も長くなると慣らされていくというか、これが平常運転となっているような気がしますが。
そもそもという原点が大事って話ですね。
当時、私は商売をしてたわけではありません。

「プリティプリンセス」princess diaryより
「勇気とは恐れぬことではない。恐れを克服しようと決心することだ」

↑これは、映画プリティプリンセスの一節のようですね。まだまだ自分の青い感じがあっていいですね。

「前向き」とは失ったものに執着しないこと

↑これは今でも自分の生き方の核になっていることの一つです。

富や成功ではなく、おにぎり1つで幸せと思えるか。

↑思える!と今言いたい。
なんだかんだいったっておにぎりが美味しく感じられることや、おにぎりにありつける喜びは基本。
映画「千と千尋の神隠し」を思い出しました。

なんのために生きるのか。人間は幸せになるために生まれてきたのではない。自らの運命を成就させるために生まれてきた。
(ジャン・クリストフ)

↑大学の時にはまってたロマン・ロランの長編ですが、なぜか2009年に抜粋してあるのは、読み返したのだろうか?
このクールな目線も自分の核になっていると感じます。

こんな感じでいろいろと書きとめている2009年のメモ帳ですが、ここからが「おや?これは?」と立ち止まる文章が続きます。

【人間が行き詰まる時】
自分のこと、目先のことしか考えられなくなった時、人は必ず行き詰まる。
自分だけが生き残ろうと思ってやることは、やがて自らを滅ぼす。
(ちょうど買い控えをして、ため込んでも、不景気を助長させるだけで、結果、社会状況が悪くなり、自分自身に帰ってくるようなもの。)

今、まさに必要な言葉ですね。
誰の言葉かは書いてありませんでしたが、ハッとさせられる言葉です。
買い溜めもダメですね。
行き詰まりますよ〜

平常は急がず休まずあわてず怠けずにやっていくのが天然自然というもの。
「急いてはならん、急いではならんという理・・・
成るよう行くようの理という。無理な理は成り立たんという。今年で行かねば来年というが天然の理という。」

↑これは、神様のアドバイス集というような天理教の「おさしづ」の中にある言葉です。
天然自然の道筋に沿って生きよというメッセージですね。
今まさに、「今年で行かねば来年」辛抱して、成るよう行くようの道を通らされている時ですね。

そして最後紹介する文はこれ。
2009年は、東日本大震災の2年前だし、震災後に書いたかのような文章がありました。

**あたりまえと思う心 **

**空気が吸えるという喜び **

**あらゆることに感謝できず、よどんだ心を戒めるよい機会 **

**あたりまえにやってきた行事が行われることができなくなった時
自分たちでものを考え、行動できるか **

**陽気な心で日々すごす **

**息も吸えなくなる 表も歩けなくなるという日がある **

〇〇のせいで××できない

↑今これを見つけたら、「それって今でしょ!」というツッコミをしたくなりました。

「〇〇のせいで××できない」という思考に多くの人が陥っている今。
この後に続ける文として今書き足すなら、
「〇〇のおかげで△△できている」
と書きたいですね。

「息も吸えなくなる 表も歩けなくなる」
そんな日が今来てしまったわけです。

そんな日のアドバイスとして、そんな中でも、
「陽気な心で日々すごす」
なのかもしれません。
陰気に飲み込まれないよう、陽気を意識して、行き詰まらないよう、自分だけが生き残ろうとしない助け合いの行動が問われている時なのかもしれませんね。

10年経ってこれを目にすることになった今。
きっと今必要なメッセージだから見ることに至ったのでしょう。

これから、メモ習慣をつけようと思う人。
未来の予言書になるようなメモが残せるかもしれませんよ。

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