私たちに寄り添うのは切なさ



パターン

  この曲、オシャレだなあ!イケてるなあ!→お気に入りリストに入れる→翌日1回聞き満足→数ヶ月放置→久しぶりに聞く
   毎日聴く曲と、このパターンとの違いはなぜ?と考えた結果わかった。このようなパターンになる曲にはどれも「切なさ」の要素が含まれていない。
   もちろん、「切なさ」の有無によって作品の優劣を付けるつもりはない。

「切なさ」とはなにか?

   「切なさ」は単に悲しい、と表現するものではない。過去を懐かしんだり、普段通る通学路、電車、友人との何気ない会話 etc…を額縁に収め、このままじゃ皆がどこかへやってしまうような潜在意識を引き出し、美化する要素だ、とおもっている。俗に言う「エモ」だ。
   

「切なさ」が持つ美しさ

   哀愁は、私達の日常を美しくする。誰かに怒鳴られる毎日も、借金まみれの生活も、どんなに退屈で最低な日々だって文字、画、音になればそれも美学だ。自身のありのままに眼鏡をかけて、全てを肯定する美学である。私たちを額縁にはめる役割を果たすのは、エモであり哀愁であり、切なさ。
  私たちに寄り添うのは、切なさだ。


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