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【備忘録的下書き投稿】しにたいはなし

今すごくしにたい。そう、希死念慮の塊なのである。

自殺願望とも少し違う。なんでもいいから死にたい。この「死にたい」について考えてみる。

「死にたい」、そう思ったことの無い人間はあまりいないのではないのだろうか。毎分から1年に1回も無いなんて差はあれどきっと皆がその経験があると思いたい。最近の私は何かある度、脳に隙が出来る度に浮かぶ。だからこうして書いてみる。死なないように。

そんなにも死にたいなら死んでしまえばいい。死なないようになんて矛盾しているのではないか。そう思うのはきっと日常的に死にたいと思う人では無いのではないのだろうか。

日常的に「死にたい」人間について、個人的な意見であるが「死ねない」「死なない」人間だと思っている。言い換えるならば"Can't"と"Don't"である。それは尤もらしい言い訳と共に巣食っている。「死にたい」と考える人間程、「死なない」「死ねない」理由を探している。そうでなければ自分の吐き出したい気持ちを否定する根底の感情が流されてしまうから。

私にもこの理由はいくらでもある。「部屋が汚い」「通販で予約注文した商品」「ここまで頑張ってきたカリキュラム」

そうだ。こんなものはいくらでもある。明日の夕飯でもいい、さっき買ったお菓子でもいい。

酷く人間らしい。それってこういうことだと思う。苦しい辛いしんどい死にたい。そう思ってもそれを打ち消しながら生きている。それって人間に与えられた特権だと思う。

この先の達成感と開放感だけに期待して生きていようと思う。死ねないし、死にたくないのだから。

これは私と同じような人よりも、自分に言い聞かせる言葉である。

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