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琉球刀

中国の故宮博物院には、琉球王国から清の皇帝に贈られた琉球刀が十数口現存している。このうち、6口が2008年に沖縄県立博物館・美術館で開催された展覧会で、沖縄ではじめて展示された。

琉球刀といってもその実体はほとんどが日本刀である。専門家によると、中国皇帝への貢ぎ物として薩摩を通じて日本刀が調達されて、それが贈られたらしい。

もっとも刀身は日本製だが、鞘や柄などは琉球側で製作されたり、一部に手を加えられたりしたものもある。

これらの刀の大半は、薩摩拵の打刀か太刀であるが、一部には日本刀と中国刀の折衷のような刀も存在する。

黒漆打刀

最初の写真のものは、黒漆打刀である。柄が棟側(刃の付いていない側)に反らず、直線的なのは典型的な薩摩拵である。しかし波に飛雁を透かす丸形鍔は薩摩拵には類例がない。また、柄の根元の縁(ふち)の金具は日本製とは見なしがたい。おそらく琉球で製作されたものであろう。

梨地菊桐紋蒔絵糸巻太刀

次の写真は、梨地菊桐紋蒔絵糸巻太刀である。江戸時代中期に日本で作られた典型的な糸巻太刀と同種のものである。こうした太刀は大名同士の贈答品か神社への奉納品がほとんどで、中国に渡るというのは珍しい。

最後の写真は黒漆違鱗蒔絵太刀である。鞘に足金物の帯執(おびとり)を付け、柄に手貫緒(てぬきのお)を下げる太刀仕様だが、帯執に付く下げ緒は中国風である。この帯執や下げ緒は中国製のようにも見えるが、写真にあるように足金物には五七桐紋の飾りが施されている。したがって琉球製か、琉球からの注文で薩摩で作られた可能性が高い。

黒漆違鱗蒔絵太刀

本部御殿手にも剣術が伝えられているが、それは二刀を用いた琉球独特のものである(一刀もある)。ただし、刀に下げ緒を付けて腰から吊したり、腰帯に刀を差したりはしない。上原先生が朝勇先生から聞いた話では、按司は外出する際は左右の従者に刀を持たせたので腰には差さなかったそうである。

そもそも琉球士族の正装は朝衣(チョージン)と呼ばれた着物に幅広の大帯(ウフウービ)を締めたので、あの帯に刀を差すのはかなり困難だったであろう。


参考文献:
『甦る琉球王国の輝き: 中国・北京故宮博物院秘蔵 : 沖縄県立博物館・美術館開館一周年記念博物館特別展』沖縄県立博物館・美術館、2008年

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