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創られる「伝統」

下の動画は、昔の琉球舞踊の姿を復元しようと、専門家が調査研究して再現した試みを紹介したものである。

ところで、動画の中で紹介されている踊り手は、紅型衣裳を着ていない。琉球舞踊の衣裳=紅型衣裳というイメージが今日浸透しているが、実は紅型衣裳は昔はほとんど着られていなかった。

今日のように琉球舞踊の演舞で紅型衣裳が着られるようになったのは、大正時代以降である。たしか美術評論家の柳宗悦だったか皇族の方だったかが
来沖したおり、沖縄らしい立派な舞踊をお見せしようと琉球舞踊家が尚家(旧琉球王家)に行って、秘蔵の紅型衣裳を借りて着たのが最初である。それ以前は中国などから輸入された綸子や緞子、縮緬といった布地が琉球舞踊の衣裳では使われていた。

琉球王国時代の琉球舞踊の衣裳。「琉球舞楽絵巻」『琉球の文化』(1973)より。

上の絵図は踊り「四つ竹」の様子を描いたものだが、踊り手の衣裳は青地の模様のない衣裳を着ている。今日の衣裳と比較すると随分と地味である。

昔は紅型の着用には制限があった。たとえば、庶民は紅型を着ることはできないか、せいぜい着物の裏地に使えるだけであった。士族階級の紅型でも、階級ごとに模様に厳しい制限があった。いま琉球舞踊で着られている総模様の紅型は、本来は王族用である。

このように昔からの伝統だと思っていたものが、実は20世紀になって新しく創られた伝統だったりする。同じ動作でも、衣裳が違えば舞台映えも違ってくるだろうし、それによって、気づかなかった原作者の意図が見えてくるかもしれない。

空手で伝統と思われているものも、必ずしも琉球王国時代から続いているわけではない。型の挙動でも、明治時代に改変されたもの、本土に伝わってから改変されたもの、さらには戦後に改変されたものもある。

たとえば、いま猫足立ちになっている箇所が、昔は後屈立ちだったりナイハンチ立ちだったとか、正拳が貫手だったとか、「受け手」が「突き手」だったとか、そうしたことがある。

だから、伝統と呼ばれているものがいつからの伝統か、と問うてみることは大切である。場合によっては昔のことと正反対のことをして、それが伝統だと思いこんでいるかもしれない。逆に近代の創作だと思われていたものが、実は昔もあったのだという発見があるかもしれない。

出典:
「創られる『伝統』」(アメブロ、2016年2月13日)。

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