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孤独な自分に響いた作品②漫画編「贖いの聖者」

今回は映画でもドラマでもなく漫画編となりました。
紹介する作品は1991年に太田出版から出版されたこちらです。


「贖いの聖者」

漫画 白倉由美
原作 大塚英志

「贖いの聖者」1991年太田出版

私にとってのバイブル的な作品で1991年頃が自分自身が一番辛かった時期でもあり自分と対比したり重ねたりもして、いろいろな意味で感銘を受けた作品です。
原作の大塚英志さんは他の作品では「サイコ」などがあります。
白倉由美さんは大塚英志さんの奥様です。
この作品の時はお二人共、結婚はまだされてなかったと思います。
そう考えたらお二人で共著された作品はこの作品が最初ですね。
私は白倉由美さんの描く可愛らしい絵柄が好きで(自分の絵柄にも影響されています)白倉さんの漫画は全部買っていたので「贖いの聖者」にも出会えました。

この作品は80年代にあった千石剛賢氏とその教団によって起きた集団失踪事件「イエスの方舟」をモチーフにした作品です。
私は「イエスの方舟」については全く知りません。
他にもモチーフとされ実写映画にもなっていて有名な事件らしいです。
興味がある方は調べてみて下さい。

ちなみに「贖いの聖者」は「イエスの方舟」をモチーフにしたと言ってもイメージだけだと大塚英志さんは言ってます。

それでは、ざっくりと内容を説明します。

主人公の花歩(かほ)は双子の姉妹の紫(ゆかり)と17歳で二人だけで静かに暮らしてる。
なぜ二人だけで暮らしているのかというと…
母親は精神が弱すぎて壊れてしまい花歩達の兄を殺し母親も自殺。
父親はそんな現実から逃れようと現実逃避し家庭を顧みない。
そんな家庭環境から逃れたかった花歩は、ある日教会の神父の姿をした「マスター(師)」という謎の人物に出会い一緒に過ごすようになります。
マスターから教本の教えを聞いていくうちに「マスターの言葉」にのめり込んでいきます。
そのうちに家にも帰らなくなった花歩が新興宗教にハマってしまったからだと思った紫は妹を新興宗教から取り戻そうと必死に行動し妹を探します。
紫にとっては花歩がたった一人の家族だからです。
花歩はそんな紫と葛藤しつつ対峙していく中で何が一番大切なことなのか気づきます。
花歩にとって唯一同じ苦しみをわかちあえる存在が紫であり同時に家族なのです。
花歩は…マスターに「家族が一番大事でしょ」とマスターを捨てて紫の元に帰ります。
でも全ては時すでに遅し、紫はボロボロになりながら花歩を探してきたため病気で亡くなります。
花歩は自分の中にあった弱さを見つめ直し強さを取り戻したことでマスターにもう一度会おうとマスターを探しはじめます。
そこで初めてマスターの真の姿を知るという話なんです。

悲しいことに私の文章力では限界があります。
本編はもっともっと深い内容です。

最後の花歩がマスターを探す過程で真実が判明〜のくだりで私は号泣。
なんだろう、ある程度辛いことがあった人なら分かると思うけどマスター側の気持ちも花歩側の気持ちも紫側の気持ちも私には分かります。
共依存の関係から脱却することで大人になるというか全員が救われる話なんです。

以下、
ネタバレが大丈夫な人のみ続けて読んで下さい。
そのクライマックスシーンの一部を掲載いたします。

マスターと決別する花歩①
マスターと決別する花歩②


マスターを探す花歩①
マスターを探す花歩②
マスターの真の姿①
マスターの真の姿②
マスターの真の姿③
マスターの真の姿④

「自分の弱いきもちに自分が殺されかけてる」
師の仕事は、その弱いきもちを買って弱いきもちをひきうけて捨てられることなんだよ

物語の最後は花歩は一人でも生きていく強さを取り戻して日常生活から一歩一歩、歩んでいこうとするところで完結してます。

人は自分が苦しいと自分がいっぱいいっぱいで周りなんて見えない。
でも自分を救ってくれる聖者もいるんだよという漫画なんです。
これ以上は解説しません。
分かる人だけが分かってくれればよいので…

1996年に私が描いた「贖いの聖者」イメージ画


ここからは蛇足になりますが…
某宗教団体のことが話題になりまくっている昨今ですが自分の宗教観を語らせてもらうと…
「どの宗教も嫌いです」
私は無信仰者です。
別に信仰している人になんの偏見もないですし信仰は自由ですが──


宗教勧誘だけはいただけない

勧誘だけは何回かやられた事があってやられる度に激しくムカつきました。
そんなに私は不幸な人間に見えるのかと(笑) 
そんなに寂しさに飢えていて不幸オーラ全開でお布施しまくりの何でも信じる馬鹿者に見えるのかと思ったら自分が自分で情けないし腹が立つわな!

派遣会社の時に派遣先の上司に勧誘された時は(パワハラやん)会社の上層部に全てチクってやりましたし(その上司は厳重注意処分)他にも普通に知人と交遊してたら知人の友達の友達が登場してきて突然の半拉致状態になり集団の圧力も使って何時間にも渡って勧誘されたけど入信する気もねぇし入りたくもない。
普通にハッキリと拒否して拉致状況の開放を強く要求し無事に帰宅した体験があります。
私は強要に屈服したりしません(笑)
その知人とは絶交です。

これでも修羅場を多くかいくぐってきている経験があります。
私の場合──
見た目より精神的に強いんだけれども周りからは孤独な人っぽいから精神が脆そうだしメンヘラに違いないと決めつけ舐められがちなのか、よく勧誘されます。

相手を見てから勧誘しろと言いたい!
相手が入信するタイプかどうかも判別出来ないような人間だから宗教にすがるんだろうねぇ(笑)

私の個人的な意見だけど宗教はホストクラブと同じで「その時間と空間のサ―ビスをお布施で買う」ことだよ。

お布施で幸せになれるわけがない。
信仰心なんて意味はない。

新興宗教というコミュニティで仲間同士で傷を舐め合い共依存という名でワイワイした気分になって現実逃避し気を紛らわすだけという割り切りでのみつきあう世界だと思います。
共依存という名のドラックは本物のドラックより危険です。
そんな部分につけこんで利用し金儲けしようという悪い組織や団体があるのは事実です。
しかも悪い人達は―――
自分で判断できない人をターゲットにするんですよね。
そもそも自分で判断できるくらいしっかりしてる人には宗教なんて必要ないけどさ(笑)

突然ですが、あたりまえのことを言おうと思います。

「宗教にのめりこんでる人々に言いたいこと」

周りに迷惑かけない範囲でお布施なり信仰するのは自由だ。
人に押しつけたらアカン。
周りに迷惑かけたらアカン。


宗教に限らす何にでも言えることだけどね。

以上の私の宗教観は個人的な意見であり「贖いの聖者」の内容とは無関係な内容であり意見ですので混同しないようお願いします。

最後に
太田出版の「贖いの聖者」は絶版しています。
Amazonだと現在プレミアム価格な中古本でしか入手できないようです。

2002年に角川書店のニュータイプ100%コミックからも「贖いの聖者」が出版されており、こちらの方が入手しやすいと思うので両方のリンク先を貼っておきます。
気になった方がいましたら他の方のレビューも参照しつつチェックしてみて下さい。


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