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差別と共に生きていく

差別をしないこと。
ここ100年くらいの社会は「それが正しいことだ」という価値観になっている。

けれど私は、自分を差別主義者だと思っている。

ちなみにWikipediaには差別の定義はこのように書かれていた。

特定の集団に所属する個人や、性別など特定の属性を有する個人・集団に対して、その所属や属性を理由に異なる扱いをする行為である。

まるで「悪いこと」のように言われている差別だけれど、果たして本当に悪いことなのだろうか?

人に「差分」が存在するのは事実だし、「差分」に合わせて線引きを行うことで社会の秩序が保たれているのも事実だ。

例えば「60歳以上だから」という理由で採用しないことや、「18歳未満だから」という理由でエロ本の購入を規制するのは、上記の定義に則ると立派な差別行為だ。企業が「大卒じゃないから」という理由で採用の足切りをするのも差別だし、「ビザを持っていない外国人は日本に住めない」というのも差別だろう。

けれど、「差別は悪いことだ」と言う割にこれらが批判されることはない。

最近はSNSの自己紹介に「あらゆる差別に反対します」と書いている人がいる。
けれどそういう人たちは差別に反対しているつもりでいて、実際はただその時の気分で、気に入った方の味方をしているだけにすぎないように感じる。

実際、X(Twitter)で「あらゆる差別に反対します」とプロフィール欄に書いている人のポストは、どれも突き詰めると
「これは悪いことなので批判します。なぜなら私が正しいと信じているこの学者や論文が、これは悪いことだと言っているからです。それだけではありません。この人は傷ついています。傷ついているかわいそうな人の味方はするべきです」
といった内容で、「気に入ったので味方をします」で終わることを、他人の権威や、根拠の乏しい一般論で正論に見えるように飾り立てているように、私は感じてならない。
同時に、善悪の世界で戦っていると、何らかの正当化を自分の意見に持たせなければいけないのだろうなとも思う。
(そもそも私は、物事を善悪で考えようとするのが全ての間違いの根源だと思っているのだけれど、その話はまた今度する)

前置きが長くなったけれど、結局何が言いたいかというと、
私は「差別」を悪いことだとは思わない、ということ。
かといっていいことだとも思っていない。

「差別」はただ存在するだけのもので、
重要なのは「線引きをどこに持つか」ということだ

と、最近捉えるようになった。

例えば、私の線引き…つまり差別の基準はこんな感じ。

マイノリティの権利や安全の拡張は、
マジョリティの権利や安全を侵害しない範囲で行われるのが適正


理由は、マジョリティの活動なくして国は回らないからだ。
国と呼ばれるほど大勢の人間を擁する社会は、大多数の人間(マジョリティ)にとって暮らしやすい環境であるべきだと私は考えているので

(なので最も社会を回している保育士や介護士や建築業や配送業や農業というエッセンシャルワーカーが生きづらい資本主義社会は失敗だと思っている)

さて、では私はどんな差別を行っているのかを具体的に書いていく。

例えば私は「LGBTの権利の拡張は、ヘテロ男女の権利や安全を侵害しない範囲で行われた方がいい」と思っている。

だから、同性婚には大いに賛成している。
なぜなら同性愛者(マイノリティ)の選択肢が増えるだけで、ヘテロ男女(マジョリティ)の権利や安全が脅かされるわけではないからだ。

あとはドラァグクイーンのように、異性装をして自己表現を行ったりショーを行うのも賛成している。けれど性的すぎる表現は子どもの前で行うべきではないと思っているが、これはドラァグに限ったことではない。

けれど異性装をしただけの人が女子トイレや男子トイレに入るのは反対だ。大多数の女性は女装した男が女子トイレに入ってきたら「怖い!」と思うからだ。
大多数が恐怖という不便さを感じる状況は、マジョリティの心理的安全性(安心)を侵害することになる。その場合は異性装の人(マイノリティ)が異性のトイレに入る権利を制限してでもマジョリティの安心を優先すべきだと思う。

上記のように、私は自分なりの線引きをした結果、
同性婚には賛成している。
ドラァグショーには賛成だが、性的な表現はドラァグに限らず年齢制限を設けるべきだと思っている。
特定の性別のみ使用を許されている場所に異性装をしただけの人が入ることには反対。
という形で差別を行うことになる。

以上は例に出しただけでLGBTだけの話ではない。

他にも私は、
「性犯罪者の履歴がある人間は教育の現場に携わるべきでない」と性犯罪者の履歴がある人を差別している。
「逮捕歴があったり、近い身内に犯罪者がいる人間は政治に携わるべきではない」と元犯罪者を差別している。
「日本で悪意を持って迷惑行為や犯罪行為を行った外国人は即時に本国に強制送還し、出禁にするべきだ」と他国籍保持者を差別している。
「50m10秒の人に運動会のリレーのアンカーは任せたくない」と運動音痴を差別している(なおこれに関しては、私も被差別側に入る)。

「差別はよくない」という根拠のない社会常識があるせいで、「これは差別ではなく区別です」とか訳のわからないことを言い出すことになったりして余計な弁明を行う必要があるのが最近の先進国の現状。

明確に「これから差別を行います。こういう理由でこちら側の権利をこれくらい制限します」と言った方がずっとシンプルで「これは差別ではない理由」を長々と並べる必要も、「差別主義者」が印籠のように掲げられて言ったもの勝ちになることもないのに、今の社会は非効率極まっているな〜と思ってしまう。

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