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7月25日、中学1年生の頃からの親友、暁子が十万億土へ旅立った。
前の週に「あと2週間から1ヶ月」と命の期限を告げられてからまだ1週間しか経っていなかった。

亡くなる前日にお見舞いに行ったが(もちろんその時は翌日旅立つと思っていない)、顔も身体もすっかり痩せ細った暁子は、意識はあったもののモルヒネのせいか虚ろな表情をし、しかし強い薬を使っているその割にはかなり苦しそうで、ナースコールさえ自力で押すことも水を飲むことも出来ず、私はただただ泣かないように貼り付いたような笑みを浮かべ、暑そうにしていた暁子を扇子で仰いだのが暁子と過ごした最後の時間だった。

暁子が旅立ったと連絡が来た時、私はこの5年間溜めていたものを一気に吐き出すように声を上げて泣いた。
両親もまた、中1から親しかった娘の親友の死を悲しんだ。
まだアラフォーといえるこの歳で、子供そしてご両親を置いて先に旅立った暁子の無念は計り知れない。

8月最初の夜に暁子の通夜が営まれた。あれから1週間、頭のどこかがぼんやりとしていた。
多分、そうじゃなければ悲しいからだろう。
最寄り駅に向かうバスの車窓から、提灯が飾られた駅前の大通りが見えてくる。

ああ、そろそろお祭りだ。

バスがターミナルに到着し、お祭りを控えいつもと違うざわめきを孕む駅前をブラックフォーマルで歩いて行った。

約1週間ぶりに対面した暁子は、化粧をされていて綺麗な顔で棺の中で眠っていた。
死に装束は不本意だろうが、化粧した顔はお洒落な暁子の本来の姿と言っても良い。
ひとしきり泣いて通夜を終え、お清めの部屋へ移動した。
暁子と同じく中学時代からの親友美和子や数名の友人と共にお寿司などを食べながら馬鹿話に興じた。

もともと暁子は湿っぽいのは好きではない質だ。斎場を後にしてからも、居酒屋で終電ギリギリまで笑いながら思い出話をした。

翌日、告別式で最後のお別れ。棺に献花し「30年間ありがとう、また会おうね。それまで待っててね」と声をかけた。
お骨となった暁子は、病気や抗がん剤などの影響で黒ずんでしまっているのかと思ったが、意外にも白くて綺麗な骨だった。
お骨上げの時、ご両親の背中に目が行った。娘の骨を前にして、泣いたり取り乱したりはされていなかったが、きっとこれまでの間私の想像など遥かに超えるほど苦しい思いをされたのだろう。

その背中はとても小さく感じられた。

よく「親より先に逝くのは親不孝」と言われているが、それがどういう事なのか、その重みを突きつけられた気がした。
私も決して健康とは言えない身体ではあるが、両親にこれをさせてはいけないと強く思った。

平成最後の夏、仲間内で一番先に結婚し一番先に出産し、一番先に離婚をした愛しき友は、一番先にこの世を卒業して逝った。

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