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君とは月を、見上げない


ムー、ヴーいいながら、スマホが頭に落ちてきた。

腕で体を支えながら起きがり、いつのまにか引き寄せたブランケットを足で器用にさばきながら、明るく発光する白い壁に目がくらむ。いま何時。スマホの画面には、時間でなく、デカデカ名前が映し出されている。知りたいのは、きみの名前じゃないんだけど、と思いながら画面の上で指を滑らせ、スピーカーボタンをタップすると、「なん?寝とん?」と聞き慣れた、それでも懐かしい声がした。

否定も肯定もせずに、そのまま適当に近況を聞き、同窓会にくるのかこないのか、尋ねられ、うなりながらキッチンへ。

同窓会。

同窓会、というものに参加した記憶が1度しかない。結婚式会場を簡略化したパーティー、再会、変わってしまった人、変わらない人、当たり障りのない会話、再熱する初恋。1回のイベントで思い出すキーワードが陳腐すぎる。1Kの自宅は、キッチンまで少し距離があり、部屋の蛍光灯を背に、薄暗い廊下をすこし歩かねばならない。キッチンの蛍光灯がジジジ・・・と鳴る。交換用の買い置きはあっただろうか。
電話の彼は幹事ではないが、わたしといまでも連絡が取れるからと、こうして聞いてくれてるんだそうだ。お年をめした中学の担任が参加する、といわれたら、どちらにしても即答しづらくて「ご苦労だねぇ」とつい口にでた言葉に、彼は怒ることもなく、ひとつ間を開けて「不参加にしとくな」とだけ言った。このひとの、声の、小気味のよさ。この人だけのもの。1度だけ参加した同窓会で、彼はわたしに「切れ悪い話し方するようになったな」と言った。

喋ると喉が乾く。喋ると喉が乾く。昨日磨いたばかりのピカピカのやかんでお湯を沸かすと、ただの水道水も、ピカピカのお湯になる気がした。わかそう。キッチンの蛍光灯が、うるさい。いろんな生活音が伝播して、彼のスマホにも届き、ため息のなみなみ線で返ってくる。「なんで人の話聞かへんの」という声に、聞いてるよと言いながら、ガス栓をひねった。

さっきからずっと声帯がカサついている。
部屋の空気から湿り気が減って、なるほど、たぶん夏は一足先にこの部屋を出たのだ、とわたしはひとりで気が付いて、納得する。

紅茶缶から適当にティーパックをとりだしてマグカップにたらす。お湯が沸かない。スマホが何を飲むのか、わたしに聞いた。お湯、と答えて、ロシアンティーにしよう、と思って冷蔵庫を開ける。ジャムやバター、ビールと米櫃。節約を考えてるわけじゃないのに、冷蔵庫の中には隙間。ガランとしていて、さみしそう。

スマホが、恋人の有無を聞く。対応が素っ気無いから、と彼がいった。ジャムの蓋が開かなくて、「うん、」と声を出しながら力一杯ひねって開けた。スプーンをかちゃかちゃ言わせて、ジャムをすくうと、また隙間。ようやく沸いたお湯で、マグカップを満たしていく。スマホが喋ってる間、相槌の数だけティーパックを上下させ、最後にいちごジャムスプーンでくるくるかき混ぜた。これがロシアンティーの作り方かも怪しいが。さいご、スプーンをちゅるんと舐めると、ピリッとする熱さと、砂糖のザラザラした甘さが残っていた。舌ですくう。

「あ、そっち、月みえる?」

湯気で緩んでいたのに、急に、彼の声に輪郭がついた。スプーンを流しに置いて、いまキッチンにいてよくわからない、と返した。「ベランダに出たらいいやん」と彼がいう。キッチンから部屋までのあいだ、窪んだみたいに薄暗い廊下を見ながら、一拍おいて、それでも、えー、と言って動かずに、温かい飲み物に口をつける。窪んで落ち込んだみたいな、光の少ない隙間に吸い寄せられそうで嫌だった。

ふと、遠くで何かが鳴いていて、いや、泣いていて、あっという間に、彼の声の輪郭がぼやけた。ああよかった、と安心する。呼んでるよ、と言ったら、うんとかすんとか、言って、電話が切れた。よかった。

「なんで出ちゃうのよ、既婚者からの電話なんて」

タチ悪いわぁ、なんて、大好きな女友達の、明るい声を思い出して、ほんとに嫌になるねえ、と言われた時と同じことを思う。涼しいと隙間が気になって、なんでもいいから詰めて欲しくなって、わたしはきっと、明日スーパーでたくさん食材を買って冷蔵庫につめこむんだ。部屋まで歩き、カーテンを開けてベランダから外を見る。素敵な夜景なんて、都内1Kアパートから見えるはずもなく、すぐ隣のマンションのクリーム色の壁。斜め上を見上げる。お隣のマンションの大きな窓。シミみたいに、黄色いちょぼ丸が浮かんでいた。

同窓会で、「月が綺麗やね」なんて言われた夜、殴っちゃえればよかった。カツンとカップを当てたら、湯気で少し、窓が曇った。

最後まで読んでくださりありがとうございました。スキです。