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15 私はこわがり屋のハリネズミ

 私は極度のこわがり屋です。そして警戒心の棘で身体中を覆っているハリネズミです。私は子供の頃からずっと他人や周囲に対してビクビクして生きていました。自分のしている事に全く確信が持てなかったからです。小中学校でも何かする時に本当にこれで良いのかなと思いました。学校で案内や通知の紙を貰って読んでいても実際のその場面で自分自身のしている事に疑いを持つのが常でした。例えば新学期が始まる日が何月何日で、学校に行く時刻は何時。どの教室へ入れば良いのか、持っていくべき物は何か、細かい事にもいちいち確信がありません。サッカーをやっていてもルールから見てこうしてプレーして良いのかがわかりません。ですから何をやってもだいたいダメでした。ですから同じ学年の他の生徒がはつらつと何も疑問を持たずに自信を持って生きているのが不思議でしたし羨ましくもありました。

 私がこんなだったのは、私自身が私の人生の中心にいなかったからです。私は常に誰かの言う通りに動かなければなりませんでしたし、私が良いか悪いかを誰かに聞いて認めてもらう必要があったのです。私がそう考えるようになったきっかけは、たぶん家庭だったと思います。私の父親はいつも怒っていましたので、私は怒られるのを避けるように振る舞っていました。私は、今思い返しても親に怒られるような悪戯や悪い事をいつもしていたとは思いません。むしろその逆でした。ですから、私は父親の不機嫌の理由をほとんど何も知らなかったのですが、他に何の基準もありませんでしたから従うしかありませんでした。

 私の親の影響はその後の学校に上手く引き継がれました。子供が恐怖心を抱いていると学校はそれを活用し易かったのです。学校は表面上父親ほど理不尽に感じられるものではありませんでしたが、徐々にその理不尽さを感じるようになりました。それは何かする時の理由が教えられなかった事、そして結局は先生という人に従属しなければ上手くやっていけなかったからです。学校というシステムはその点とてもよくできていました。何しろ年に数回は成績というものをつけてきておまえは俺の評価ではこの程度なのだぞと脅すのです。これにはどんなヤンチャな子供も従わざるを得ませんでした。この事はずっとずっと後になって影響が出ているのがわかります。あの時に成績優秀ではつらつと自由自在に生きていた子供が歳をとってから驚くほど社会に従順で輝きを失って、そして疲れているのを目にするのです。

 従順な人はあまり大きな志を抱きません。社会全体の為にできる事を探したりボランティア精神を発揮したり地球の反対側にいる困っている人々を助けたりはしません。せいぜい会社の中でどうにか上手くやってある程度昇進し、外に向かって閉じた家を持ち、適当にどこかのレストランで美味しいものを食べたりする程度です。

 小学校でも「自由」という言葉は習います。簡単な字なのですぐに書けるようになったはずです。国語では、例えば自由に作文を書いてください、のように使われました。あれ、本当に自由に書いたとしたらどうなっていたでしょうか? 私は試す事ができませんでしたが、成績に大きく影響してしまったかもしれません。この子は危険な考え方をすると内申書に書かれて後の進学に悪い影響を及ぼしたはずです。社会で習った時はどうだったでしょう? 自由は不自由との対照でしか教えられなかったはずです。つまり世の中には社会主義とか共産主義の国があって人々の行動は公共の利益の為に制限されている。けれども日本はそうでない自由主義の国だし、皆が意見を言える民主主義の国なのだと。あれから何年も経ってみて、その定義は正しかったでしょうか?

 答えは皆さんにお任せします。ただ言えるのは私たちが、それぞれ程度の差はあるにせよ、未だに背中の針を立てて周りを警戒しながら生きているという事です。

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