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35 模範生はポジティブにはなれない

 怪我をしてしまって書く事ができずにいました。人生で2度目の頭部裂傷でした。2度目ともなりますと冷静に状態把握ができるもので、頭に手をやって、ああ、これはけっこう長い傷で皮がベロンと剥けているなとわかりましたし、頭蓋骨まではやられていない事や身体の他の部分はどうやら大丈夫そうだともわかりました。それで救急車を呼んでくれるように叫ぶ事ができましたし、救急車の中で血圧も脈拍も低下しているのも把握できていました。多少危険な状態であったのは事実ですが、生き残れそうだという事も想像できました。結果、救急隊員や医療スタッフさんたちのおかげで助かりました。大変感謝しています。そうしたわけで、ここで書く事を再開いたします。(前置き)

 前回は世の中の「マトモ」というものが夢と変わらずそうあてになるものでもないと書きました。ついでに付け加えておきますと、あの夢から帰れなくなった方は未だに夢の中でやっていて、どちらかと言えばマトモな世界で生きている時よりもアクティブで活き活きしています。良かった良かった、と言うわけにはいきませんが。


 さて、今回ですが、マトモな状態について書いておきたいと考えています。要は、ザックリ日本人として正常な生き方はどのように想定されているかという事です。こうした話を始めますと「日本人のあるべき姿」「大和魂」「武士道」のような事と思われそうですが、そんな話はいたしません。そもそも私はそうした特定のある部分を都合良く切り取ってきたような精神論を信じてはいません。国や組織を代表して指揮するレベルの方々が時々そんな事を口にしますが、その方々が大きな間違いを犯したのが明らかであっても切腹したというのを聞いた事がありません。ですから何をどう偉そうに言っていてもそんな程度のものなわけです。

 ところで本題ですが、私たち日本人の模範的な生き方はどういったものだと思われますか? この社会が私たちに求めている私たちの生活態度はどのようなものでしょうか? 簡単なので答を言ってしまいます。それは「消費者」なのです。消費者が何を示すかを例えて言いますと、海底の岩に張り付いているフジツボです。じっと動かずに浮遊してくるプランクトンを待って食べているあれです。自分から積極的にエサを獲りに出て行く事はせず、口を開けて待っているのです。例えばテレビですが、あれは映像を見た私たちがガハガハ笑ったりなるほどそうだったのかと納得したりするのを目的にしていますが、批判したり他で言われている事と違うぞと指摘して欲しくはないはずです。テレビは私たちと議論しようなどとは考えていないのです。政治も同じです。デモをするのは自由だよと言って無視しつつ、僕たち多数決で決めちゃうからねという態度です。売られている商品も似たようなもので、文句を言わずに食べてくれればOKです。誰も私たちに議論や対話を求めはしません。そして私たちはただそれらを黙って消費していれば良いとされています。つまり、ディズニーランドに行きたいと思えば行ける程度のお金を持っていて時々実際にそこへ行き、特別っぽいランチを食べ、ワーワーキャーキャーはしゃいで家に帰って寝るのが彼らの理想とする日本人の生き方なのです。

 私たちは生まれてからずっとそうした生き方を良いものと教育されています。学校も同じ方式で教育が行われているのはもうお分かりでしょう。先生の提供する知識が時間になると勝手に流れてきて、子供たちは素直にパクッとそれを食べます。一番上手く食い付いた子が優秀なのです。そうして私たちは大人になります。ですが、人生というものは必ずしも上手くいくとは限りません。そして私たちは時々人生について考えたり悩んだりしてしまいます。そんな時、悩む私たちに掛けられる言葉は「ポジティブ」です。「いつまで悩んでいても仕方がない、物事は捉え方一つさ」というわけです。確かにそういう事もあります。間違いではないでしょう。

 でも、私たちはいつでも物事をポジティブに捉える事などできませんし、ポジティブに生きるという事も不可能です。なぜなら、私たちはフジツボだからです。自分の前に来たプランクトンが甘いければ良いですが、苦かったり辛かったりしてもそれを食べなければ生きてはいかれません。そうですよね? 学校の先生はこう言います。「君の成績ではA校は無理だ。B校にしなさい」会社の上司は言います。「おまえはバカか! なぜこんな簡単な事ができない」いろいろあると思います。残念ながらこうした事に遭遇してもなす術は無く、ポジティブに捉える事はほぼ無理と言えます。再度言いますが、私たちはフジツボのようにパッシブ(受動的) な行き方ばかりを教わってきたのですから。

 では逆にポジティブとはどういう事でしょうか? 私が岩に貼り付いている生活を止めたとします。私はフジツボを卒業して泳ぎ回れる魚かエビになったとします。するとどこへでも行かれますから自分で食べ物を探せます。喜ばしい事です。近辺に食べ物が少なくなったと思ったら別の場所へ移動すれば良いのです。行き方はパッシブからアクティブ(能動的) に変わりました。でも、別の不都合も出てきました。というのは、動くという事で余計なエネルギーを消費してしまうのです。そして重要なのは、その不都合は利点より先に来るという事です。食べ物を食べて動けるようになるのではなく、動いてから食べ物を探せるのです。マイナスが来て、そこから上手くやれればプラスになるわけです。

 私たちが何かしようとすると必ず多少なりともお金が必要です。何かをお金で買って仕入れて、そして後から高く売れる。勉強にお金と時間を使って、後からそのスキルにお金を払ってもらえるのです。ですから最初に来るのは必ずマイナスです。そのマイナスを次に来る良いものと捉えるのがポジティブなのです。パッシブに生きているとそうした思考にはなりません。

 つまり、私たちは社会や教育によってパッシブな消費者に育てられていますから、いくらポジティブに考えた方が良いとアドバイスを受けてもほとんどの場合、無意味です。私たちは日本人として模範的である以上、ネガティブな思考をしてしまうのです。

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