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NORTH SCOTT JUREKを読んで気になったとこまとめ

確かに家族や過去の経験によって今の自分が形成されたわけだけど、本当の自分はそれだけじゃない。今、僕は新たな場所にいて、果てしない旅を始めようとしている。そう思うと、自分がどんどん軽くなっていくような気がした。
10年ほど前から流行している用語で言い換えれば、ロングトレイルを歩く機会はいわばマインドフルネス会の招待状というわけだ。
ランニングシューズの靴紐をギュッと結び、最小限の用具だけを入れたランニング用のコンパクトなバックパックを背負い、トレイルを走っている姿を目撃すると、まるで格好つけた異教徒の群れがいるように思うのだろう。

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今は人生の意味について語る余裕は無いけれど、簡潔に、当たり障りのない返事をすることならできる。だからすれ違いざまに、ただ応じた。
「バスに乗り遅れそうなんだ」


Syaconage シャコンオヘイ Create A Smoky Mountain

P80  Why? について

でも、痛みに関しては経験豊富だったから、どうにか切り抜けていた。
いや、切り抜けるどころか、充足感を覚えていた。
なにかに耐えていると、自分の深いところが暑くなる。
僕は多くのことを達成してきたし、人生に険しい道があったからこそ、今の僕という人間が形成されていたことを自覚していた。

その上、中年期を迎え、逆説的ではあるけれど心の平穏を実感するようになっていた。良いものも、悪いものも記憶が積み重なるに連れ、悪い記憶のひとつひとつに伴う痛みが鈍ってきたのだ。もう49マイルも走ってきたのだからあと1マイルなんて数にも入らない。そう思えるようになっていた。

逆境は人を信用させる力があるのはわかっていたし、苦難の旅路の果てで新たに境地に達し、安らぎを得られることもわかっていた。

その瞬間、それは頭の中から振り払うことができない疑問に対する答えのような気がした。

Why?
なぜ?
僕という人間だから。
これが、今していることだから。

1999年のウエスタンステーツのレース案内に引用されていたルーズベルト大統領の言葉が脳裏に浮かんだ。

重要なのは批評家ではない。
強い男がよろめく様子をあげつらう男でもない
...称賛に値するのは実際に戦い、砂塵と汗と血にまみれた顔をしている男だ。
果敢に奮闘し...最後には偉業を成し遂げると信じてはいるが、なかなか成果を上げられずときには失敗してそれでも全力で取り組む男だ。
ゆえに勝利も敗北も知らぬ臆病で面白みのない輩は足元にも及ばない。

危険が潜んでいるからこそ、僕は自然に畏敬の念を覚えた。

P94


眠りに落ちる前に、威厳の ある口調で言った。
鍵お前の体は自分で癒す方法見つけるぞ。体には記憶力がある「彼は明かりを消した。「お前の体は思い出すよ」

P118


もしかすると、僕は若い頃の肉体と精神を求めすぎていたのかもしれない。本当に求めていたのは、自分を駆り立てるものー信念ーだった。強い信念を取り戻すことができれば、限界を超える力が湧き上がってくるはずだった。

p120 肉体の痛み


肉体が痛みを感じているのは事実だが、ある程度、自分でコントロールできる部分もある。
例えば、あなたが今のパートナーと初めてデートしたときのことや世界はあなたのパートナーを中心に回っているようにも感じたはずだ。
当時と比べてあなたの愛情が減っているだろうか?
そんな事は無い。
ただ2人の愛情が日常となり、予測可能となり、ヒリヒリとした感覚がなくなっただけだ。
痛みも同様で、痛みの正体がわからず覚えている時よりも、痛みに慣れてからの方が、以前ほど激しい痛みを感じなくなるんだろう。

僕は長年の経験から、自分の体の声を聞き取れるようになっていた。いわば体が使う言語を話せるようになっていたのだ。
いや、これはプラセボ効果か。まぁ、なんだって構わない。実際、作用しているのだから。

武士道


武士たるもの(あるいは困難の任務を遂行しようとしているもの)は今と言う瞬間に集中すべきであり、感情に適切な行動の邪魔をさせてはならないと言う考え方だ。
今と言う瞬間に集中した精神は最適に機能するため、自然と正しい決断を下せるようになるし、痛みや恐怖心が消滅すると言うわけだ。
武士道における現在に集中する状態と、エリートのアスリートがゾーンに入ると表現する状態に、僕はよく共通点を見出してきた。
僕自身、武士道精神をきちんと実践できているときは、混乱や不安が消え「しなければならないこと」だけに集中できると言う素晴らしい感覚を味わった。

もうこれ以上前に進めない、もう絞り出せる力など残っていない。
そう思う事はあるものだ。
だがそんな時、誰の中にも、まだ能力や強い力が隠れていて、見出されるのを待ちわびている。

そうした力を見いだすには、全く異なる2種類の方法がある。報酬を知らせちらつかせるか、恐怖心を駆り立てるかだ。フォーティーのこのモチベーション理論には一理あったし、極めて厄介な問い突き付けられたような気がした。
果たして僕は、どのくらい本気で記録を樹立したいと思っているんだろう?

これまでの人生における最高の習慣とは、どこかに到達し、自分の中に新の強さを発見した時だった。…
今の僕にはもう何の強さも残っていない。でも、チーム全体には力強さがみなぎっている。
急流が生命のエネルギーをボクに向かって吐き出している。
スルーハイクの目的は千差万別だ…僕にとって、それは変容だった。自分が喪失したと思っているものを見つけ、もはや自分の中にはなくなってしまったはずの強さを試し、とうの昔に消えてしまったはずの炎をもう一度かきたてたかった。このたびは僕の心のドアをこじ開けるために必要だったんだ。

遥か彼方の大自然の中で、長い旅路で、あなたはあなたのハイキングを続け、自分の道を切り開いた時に初めて、探していたものを見つけることができるのだ。

↓読む前と、読んだあとで見方が変わる一枚

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