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『クレールの膝』中年男性の一夏の恋<★3.6/5、2022年7本目>

<タイトル>
『クレールの膝』中年男性の一夏の恋<★3.6/5、2022年7本目>

<映画情報>
『クレールの膝』1970年
監督: エリック・ロメール

<1文内容紹介>
中年男性の一夏の恋

<ネタバレ感想>


あらすじ

外交官ジェロームは独身最後のヴァカンスを過ごすためにアヌシー湖にやってきた。町を散策していると、偶然に古くからの友人オーロラに会う。作家である彼女もまたこの町にバカンスで滞在していたのだ。

オーロラが部屋を借りたのは、異父姉妹ローラとクレールを持つヴォルテール婦人の家だ。婦人の最初の夫、つまりローラの父は既に亡くなり、その後クレールの父と再婚したが離婚してしまった。

ローラは、ジェロームに興味を持つ。オーロラの巧みな誘導で二人の距離は近づく。しかし、父を二度も亡くしたことが父性を求めさせることにローラは気づき、二人は恋愛関係に至らない。

そのうちにクレールがやってくる。彼女は彼氏のジルとバカンスを満喫してジェロームには目もくれない。さくらんぼを採ろうと脚立に登るクレールの膝に、ジェロームは唐突に惹かれる。

ジェロームはジルが他の女の子と親密そうに会っていたことを奇貨として、クレールを揺さぶりにかかる。案の定動揺した彼女の膝を撫で、慰めるのだった。

感想

『ドライブ・マイ・カー』の濱口監督が、エリック・ロメールの影響を受けているときいて、まずは一つを観てみた。

確かに全編会話劇で、ほぼ会話だけで映画が進行していく。会話だけの映画というのは、自然でいるようでとても不自然だ。

日々の生活で、我々は会話する。それは台本に沿った会話ではなくて、相手の発言に触発されて、言葉が自分の中から引き出されるものだ。私たちは相手の発言を完全にコントロールすることはできない。だから会話はスリリングなものになる。充実した時間になるかもしれないし、不首尾に終わるかもしれない。

一方、映画における「会話」には台本がある。演者は会話がどこに向かっていくのかを知っている。そこに偶然の要素はない。本作品でなされる会話は、演者もリラックスしていて自然だが、あくまで人工物なのだ。

人工物には、製作者の意図が込められる。ジェロームはオーロラがローラを嗾しかけたと言う。オーロラは作家だ。だがもちろん彼女の意図通りに話は進まない。だがそれは映画の中での話だ。

自然に起こり得たかもしれない偶然の要素を計算して作られた人工的な会話に面白さを見出せるのであれば、この映画から受け取るものが多くなると思った。もう一、二作品観てみよう。小津映画のように、監督のスタイルに馴染む必要がある。

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