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『アンダーグラウンド』 非日常が日常になる戦争、だがそこに悲壮感はなく狂乱が全てを爽快な舞台にする <2022年2本目、★3.9/5>

映画情報:
『アンダーグラウンド』1995年
監督: エミール・クストリッツァ

1文内容紹介:
戦争に翻弄される3人の運命を、バルカン・ブラスの軽快な音で描く1995年パルムドール受賞作。

ネタバレ感想:


クロはドイツ軍に抵抗する組織を同志マルコと共に率いている。酒も喧嘩も強い。ドイツ軍の攻勢が日に日に強まる中、浮気相手の女優ナタリアをドイツ軍将校フリッツに籠絡されたことに怒ったクロは、彼女の舞台に乱入して奪い取るという大胆な行動に出る。しかし、その行動がドイツ軍の反撃を招き、囚われの身となってしまう。マルコが奪還にやってくるも、脱出時に怪我を負い、仲間と共に地下の武器製造施設に身を隠すことになった。

クロとマルコは同じ組織に属しているけれど、クロの方が破天荒さが上回っていて、マルコはクロに振り回されているように見えた。ナタリアには障害を持った弟がおり、彼女の日和見主義は彼を守りたいという気持ちから来ている一面もある。マルコも自分の弟イヴァンには優しい。この地下施設に辿り着くまでにも、常にアップテンポなバルカン・ブラスが流れ続けており、戦争という悲壮感は一切ない、むしろお祭り騒ぎのような雰囲気が出ている。

クロが地下に潜伏しているうちに、マルコは抵抗組織のなかで出世し、ナタリアを妻とする。クロの再登板が面白くないマルコは、地上では政治家として活躍する一方、地下の仲間には戦争が続いていると伝えて共同生活を続けさせ、彼らが製造する武器を売り捌いて私服を肥やす裏の顔まで持つようになった。

マルコは「地上」と「地下」の二重生活を20年も持ち堪えさせたが、クロの息子ヨヴァンの結婚式へ共に出席したナタリアが罪悪感から酔い潰れ、全てを暴露してしまったために、クロに自殺を促される。

もちろんマルコにそんな覚悟があるはずもなく、足を撃つのが精一杯。ちょうどその時地下工場で製造した戦車が暴走し、外の世界と繋がる穴が空く。

戦争が続いていると信じ込み、活躍の舞台を夢見ていたクロはヨヴァンと穴から外の世界へ乗り出す。彼らはマルコの指示によって撮影中だったクロの伝記映画に登場するドイツ軍を本物だと信じ込み突撃し、大混乱を引き起こすのだった。

この辺りから、虚実が入り混じって来る。マルコは政治家として地上を生きる一方で、地下を実質的に管理して利益を上げている。地下では戦争がまだ続いているのであり、自分達は安全な場所から同志を支援している。マルコは初め、ナタリアを共に狙うライバルを少しの間遠ざけておこうと考えていた程度ではなかったか。だが、一度作った設定はみるみる膨らんだ。やはり二つの世界を成立させ続けるのはつらいのだろう、事情を知るナタリアは昔は飲めないと言っていた酒に浸るようになる。

マルコが友人を騙し続けようと考えていたとも思えない。地上から見ると、地下に伝えてある設定は嘘で、クロも死んでしまっているからこそ映画を創作できる。しかし、地下から見ると戦争は続いているのであり、映画で再現される軍隊は真実なのだ。本来ならばこの二つの世界は切り離されておくべきだったのだけど、イヴァンの猿ソニが戦車の主砲を撃ったことで、繋がってしまった。

「ドイツ軍」との戦闘での「勝利」を、ボートからの朝日を眺めて祝うクロ親子。クロは初めて川に入るヨヴァンに泳ぎを教え、親子水入らずの時間を過ごす。そこに映画班襲撃犯を追うヘリコプターがやって来る。クロは息子を川に置いて果敢に反撃するが、泳ぐことのできないヨヴァンは溺死する。

この川のシーンが幻想的。ヨヴァンは沈んでいく中、今しがた結婚式を挙げたばかりの妻エレナの幻影を見る。彼女は戦闘に行ったヨヴァンを見て将来を悲観し、自ら井戸に飛び込んでいた。

そのころ、マルコとナタリアは地下を住人共々爆破して逃亡する道を選び、ここに地下工場は終わりを迎える。

時が経ち、ユーゴスラビアは再び戦争に巻き込まれていた。息子の死を受け入れられないクロは、義勇軍を率いつつ、息子の捜索を行なっていた。武器商人として戦地を訪れたマルコとナタリアは、クロの部下に射殺され火を付けられる。見つかるあてのない息子に加え、燃え盛るかつての友人、かつての恋人の姿をみて動転したクロは、井戸に息子の幻影を認め、自ら井戸に飛び込んでしまう。

場面が変わってここは小さな岬、ヨヴァンの結婚式会場だ。ヨヴァンを産むときに亡くなった妻ヴェラ、地下工場の仲間、楽団、みんながいる。誰もが音楽に合わせて踊り狂う中、岬は半島から静かに離れていく。「過去は忘れないが、赦すことはできる。」

このラストシーンだけをみると大団円だけど、そこに登場する多くの人は既に死んでいる。戦争がマルコを狂わせたというのは簡単だけれど、元はと言えばナタリアを巡る確執だし、そもそもクロは浮気していたのであって、お互い自分の都合を優先させた結果だ。風見鶏のように態度を変えるナタリアは、マルコ、クロ、フリッツの誰も愛せなかった。特にあんなにも気にしていた弟は、後半はラストシーンまで全く登場しない。彼女も結局我が身可愛さに弟を利用していたのではないか。その点ではマルコも全く同じだ。動物を愛するが吃音のある弟を地下に閉じ込め、兵器生産に従事させた。

そんなそれぞれの身勝手も、バルカン・ブラスに合わせれば全く湿っぽくならない。むしろ軽快で、この身勝手さに人間の「生」を感じるほど生き生きとしたものに見えてくる。戦争映画はいくらでも悲惨にできる。ストーリーの悲惨さからは考えられない映画としての爽快感、これがこの作品の一番の魅力だ。


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