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〜入管収容所の中から闘う〜サンチェス・ポンテ・ジャンピエール①

MBHは現在仮放免中のサンチェスさんにロングインタビューをしました!

プロフィール:
サンチェス・ポンテ・ジャンピエール
1988年生まれ、8歳から日本に暮らす。
22年10月に入管に収容、23年7月に仮放免で釈放。MBHが面会してた収容者から名前を教えてもらったことがきっかけてMBHと入管内で繋がる。

【フルインタビューはこちらから】


ここにきてからはどんな生活でしたか?

ここに引っ越して、日本の小学校に入って中学までは卒業しました。高校は一応入学はしたんですけど、家庭の事情もあって1日も行かずに中退。ちょうど妹が生まれて、バイトだったり、お母さんの手伝いをしないといけなかったので。だから16~17歳あたりからずっとバイトとか、仕事をしてますね。

正社員まではいかなかったんですけど、19歳くらいにはちゃんとしたバイトじゃない仕事もするようになって。神奈川育ちなんですけど、仕事の関係で東京だったり、千葉だったり、県外に出ることも増えて、いろんな人と出会えて、仕事を軸に生きてましたね。

だからまあ、もう25年以上日本にいますね。でも、来日した時子供だったのもあって在留資格とかそういうことは全く知らなったので母が全部やってくれてました。お母さんから聞くと、2000年までは定住者でそこから永住者になるプロセスだったみたいです。なので僕は去年までは永住者で、20年以上永住者として過ごしてました。その間に娘も生まれて、今はもう中学生ですね。お母さんも所有の家を買って、兄弟も多いんですけど、家族みんなここでの生活が長いので基盤はやっぱり日本にあります。

母国ペルーに夏休みちょっと旅行で帰ったり、中学の時に一年残って勉強した時期もありましたが、やっぱり日本に帰りたいっていう気持ちになってました。10代最後くらいにアメリカにチャレンジしてみた時期もありましたがその時もやっぱり自分が日本に染まりきってたので、難しかったです。これからも日本で生きていきたいですね。

牛久入管に収容されるまでの経緯を教えてください。

北海道から牛久入管に収容されたのは、2022年の10月末。でも退去強制令状は書類上22年2月4日に決まってたみたいです。その書類が自分の手元に来たのは、22年10月6日。

ショックでしたね。退去強制の令状を受けて、生活基盤のある日本を離れてペルーに帰ることに対して不安しかなかったです、俺何すればいいんだろうって。

頼れる人も誰もいないし、生活の基盤もこっちだし、家族や友人と離れ離れになることも不安だったし。刑務所に入ってた時期もあったんですけど、それでもこの国でやり直したいって考えたので、「退去強制」を入管から聞いた瞬間、頭が真っ白になりました。

その後、退去強制を通告されてから半年以内であれば「訴訟を起こせる」と聞いたんです。知った瞬間からとにかく「訴訟を起こすしかない」って決心して。入管の中からやり方とか調べるようになって、でもやっぱり中でこういった話をすると他の被収容者たちと離れ離れにされて何も知識が入ってこなかったです。

だからわざと運動場とかの窓から騒いでもらって、弁護士の電話番号教えてもらったり、こういうことした方がいいよアドバイスをもらったり、なんとか方法を探ってました。もちろん、入管のも職員とかに聞いても何も教えてくれないし、まあそれが彼らの作戦なんでしょうけど。

毎日入管でゴミのように扱われて、暴れてもいないのに腕をもたれたり、カメラで撮られたり、なんでそういうことしなくちゃいけないんだろうって…。彼らの理屈の通ってないやり方に従わされる日々で。やっぱり、本当に思い出すだけでもすごく苦痛な記憶だし、許せない。許したくもない。

強制送還と入管での暴力

12月中旬に入管側が無理矢理送還をしようとしてきてました。飛行機にのせられる直前のところで弁護士から「強制退去令書取り消し裁判」の提起を立てたことで本当に、ギリギリのところで強制送還を止めることができました。以来、もともと嫌がらせはあったんですけど、暴力、医療放置、挑発、隔離とかがどんどん増えていったんです。

たまたま運動場で、アキレス腱を踏まれた時があったんですけど、その時もわざとなんじゃないかって思うくらい対応がめちゃくちゃで。謝ってもこないし、痛いから立てずにいたら、「いやいや立って、運動の時間終わってるよ」みたいな。早く早くってせかされて。立てずにいたら結局、職員たちの班長が来て、土日で看護師もいなかったんですけど、呼んでもらって診てもらったら炎症が起こってて。入管では見きれないから2日間動かずに、週明けにやっと病院に行って。エコーをとってもらって、注射を打ってもらったりもしたけど、7ヶ月以上経った今でも未だに痛くて。明らかに、速やかに治療をしてなかった、アキレス腱を踏んできた入管が悪いのに、踏んできた職員が謝った時も開き直った感じで謝ったりしてきて。許せなくて、僕は入管に警察を呼んだんですけど、結局すぐには入管に警察は入れてもらえず。1っか月後くらいにやっと調査をしたみたいなんですけど、結局入管はなんの責任もないことになってました。

人を精神的に追い詰めて、わざと状況を悪化させたい。そして、入管での闘いを飽きさせたい。「もう帰りたい」みたいに思わせる。僕も実際そう思った。だけどそれは簡単で、何も解決にならない。だから、つらくても、最後までやり通すことが俺の今後の生き方として俺は示したい。間違ってることは間違ってるって。やっぱりちゃんとそれを表に出して、入管は間違ってるっていう、この声を大きくしていって、これからも闘うつもりです。

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Part 2に続く
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