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【強制送還の実態】

 Moving Beyond Hateではこれまで、主に東京入管で面会活動を行い、入管による暴力や差別について発信し、問題化してきました。
 今回の記事は10代半ばの頃に日本に来日し、これまで人生の半分以上を日本で過ごしてきたGが強制送還された事件についてです。
 Gの事例を通して入管のレイシズムと破滅的な強制送還の実態が浮かび上がります。

①収容までの経緯

 まず、Gについて。Gは10代半ばの時に日本に来日した。Gは来日当初から工場での作業など、さまざま仕事をしていた。しかし、ある時期から仕事がなくなり、事件に巻き込まれて逮捕されることになる。そして執行猶予の判決になるものの、刑を理由に在留資格が取り消されることになってしまう。Gはそれまでは「定住」という安定した在留資格のもとで暮らしていたが、その後は就労も移動も認められない仮放免の状態で生活しなければならなくなる。しかし、仮放免の状態では働くこともできず、生きて行く術がなく、その後事件に巻き込まれ、収容されることになる。

②突然の仮放免許可

 私たちがGと面会し初めて半年近く経ったある日、Gに対して突如、仮放免許可が突然降りることになった。Gは入管が仮放免を許可しないことに対して抗議し、入管の食事を食べることを拒否していた。しかし、仮放免が認められた期間はたったの2週間だった。


③再収容

 仮放免が認められ、何年かぶりに外の世界に出てからたった2週間後、Gは再び仮放免の更新のために東京入管へと向かった。Gは仮放免更新窓口で職員に呼び出され、別の部屋に連れて行かれた。しかし、1時間、2時間と時間が経つがGは出てこない。Gは再収容されたのだった。私たちは午後再収容されたGへの面会申請を行ったが、「今手続き中であるため、面会不可能」の一点張りで、面会を拒否された。
 しかもその日は金曜日であるため、次に面会できる月曜日まで2日間もGの安否がわからないまま週末を過ごすことになった。そして、月曜日になってもGへの面会や差し入れは認められず、Gから家族や支援者への連絡もない状態続く。
 Gは再収容されてから突如、強制送還されたのだった。以下がGからみた強制送還の実態だ。


④ある日、起きたら…

突然の制圧
 月曜日の朝8時頃に職員に「面会です」と言われ、弁護士が面会しに来たのかと思い、Gは安心して部屋の外に出た。しかし、部屋からでた瞬間、急に職員8人がかかってきて制圧され、手錠をかけられ、縄で体を縛られながら東京入管の外へと連行され、バスに無理やり乗せられた。バスに乗った時Gは抵抗しながら、「痛い、やめろ」と言い続けたが、職員はGの悲鳴を無視し、痛め続けた。職員の態度に怒ったGは職員に唾を吐いたら、それに反応して職員はGを殴ってきたという。

バスの中での暴行
 Gは職員の暴行に対して激怒し、暴れて抵抗しようとしたが、入管職員はGの喉をつかんできて声を出せないようにした。Gは警察を呼べと叫んだが、その殴った職員はバスを降りず、謝罪もなかったという。そして足と頭の後ろを職員に抑えられた状態のGは全く身動きができないまま空港へと強制的に連れられていった。

飛行機にまで同乗する入管職員
 バスは13時ごろに空港につき、夜の搭乗時間までGは空港で待たされる事になる。入管の再収容に抗議し、過去3日間ハンガーストライキを行なっていたGは疲れており、その時点では抵抗する力はもう残っていなかった。そしてついに、21時半ごろ、Gは職員に囲まれて飛行機に乗せられる。もう一人の非正規滞在者とともに、8人の入管職員に囲まれ、Gは強制的に送還されるのだ。

座席の見取り図:
 職員 職員 別の人 職員 職員
    職員   職員   職員
       職員     G       職員


最後に

 人生の半分以上を日本で過ごし、生活基盤も日本に持ちながらも、日本国籍を所持していないだけで、Gは強制送還された。

 これはGだけではなく、現在日本にいる全ての外国籍の若者が潜在的に経験しうることだ。日本にずっと滞在し、生活基盤がありながらも、国籍を所持していないというだけで常に監視し、在留資格を剥奪され、強制送還されうる。



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 Moving Beyond Hateではこれからも入管の差別の実態を把握し、発信し、問題化していきます。また、実際に仮放免や外国籍の当事者と一緒に入管の差別に対して声をあげていくアクションやイベントなども開催していく予定です。活動に興味がある方は気軽にご連絡ください!

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