恋愛ものとヒロインと矛盾

恋愛ものの作品について否定的な意見を述べていたわたしですがね。いや、恋愛小説を否定したいわけじゃない。わたしのほうが恋愛ものから否定されているようなものなんですが。
かつてはそこまでではなかったんですよ。
中学生のころなんかは恋愛ものにふれてもいました。
以前、アガサ・クリスティーの最高傑作は「ゴルフ場殺人事件」だと思っていました。この地味でおもしろくなさそうなタイトルの小説は、簡単に言うと恋愛ミステリーです。何度繰り返し読んだことか。物語の構成や事件の入り組み方などおもしろいのですが、恋愛を絡めたところがすごくよかったものです。なかなか感動的でした。中年になった今読めば、いろいろ突っ込みどころもあるし、ロマンチックに傾倒しすぎとも思えますが、今でも好きな作品です。
同じ中学生のころに公開されたのが「耳をすませば」でした。これもよかったですねえ。金曜ロードショーで放送されるたびに見ていましたよ。
きっと、あのころは「いつかぼくもこんな恋愛をする日が来るのだろう」とか思っていたんでしょうな。まあ、思うだけなら罪じゃないですからな。
中学生のころを思い出していると、逆にこんなこともあったことに気づきました。「赤毛のアン」と「アンネの日記」への思いの違いです。
「赤毛のアン」は今でも大好きな作品で、原作小説も読んだし、テレビアニメも実写映画も見ました。主人公のアンは史上最大級クラスの萌えキャラ(と言っていいのだろうか?)と思っているのですが、これも少女小説と考えていいでしょう(本来は児童文学ですらないらしいですが)から、イケメンが出てくるんですよ、憎らしいことに。
ところがアンは、このイケメンが作中に登場してすぐ喧嘩し、その後終盤まで冷戦状態となります。最後には和解するのですが、恋愛関係にまではなりません。つまりですね、この作品、少女小説でありながら(だから本当は違うって)恋愛要素がほとんどないんですよ。おかげで安心して読めましたね。
ちなみに続編は……いや、続編なんかなかったんだ……。
それに対し、「アンネの日記」は読んだことがありません。思春期の少女のリアルな心情がつづられているばかりでなく、歴史的な資料としての価値も高いとされていますが、こっちは恋愛要素があるらしいと聞いて、敬遠した記憶があります。隠れ家で、もう一つの家族の少年と恋に落ちてしまうのです。「機動戦士ガンダム」の富野由悠季総監督が言うように、ああいう状況下で年ごろの男女がいて、性を意識しないわけがないですからな、自然なことだとは思うのですが、やはり読みたいとは思いませんでした。
なぜ恋愛要素のあるものを敬遠したか。今なら「モテなかったおれが経験できなかったことを作中のこいつらは簡単にやってやがる!」という憤りを感じるというのが理由としてありますが、中学生のころは、先述のように「いつかぼくも」と思っていたはずです。モテてはいなかったけど。ではなぜ当時から、というと、やっぱりこれです。ヒロインを好きになりすぎる。その子の恋愛対象となる男性キャラが出てくると、「〇〇ちゃんをこんな奴にとられてしまうのか!」と思ってしまうんです。
これ、賛同者がなかなかいないんですよね。
(ここから少しだけ、性的コンテンツに関する話です)
わたしは同じ理由でAVすら捨てました。好きなAV女優の作品だったのですが、見ているうち、「どうして、おれの大好きなこの子がほかの男とこんなことをしているのを見なきゃならんのだ。むしろ苦痛だ」と思うようになったのです。これを酒の席で知人に話したらドン引きされましたけどね。
(性的コンテンツに関する話はここまで)
年齢を重ねるごとにこの傾向は強くなっていきます。そしておかしなことが起きます。
アニメのマクロスシリーズも最初のは好きでしたが、「マクロスF」は途中で見るのをやめました。ヒロインの一人、ランカが好きになってしまって、かわいいランカが無愛想な主人公アルトに惚れる姿を見るのが苦しくなっていったのです。
こうしてわたしには、ヒロインが好きになればなるほどその作品を好きじゃなくなるという、一見矛盾するような現象が起こるようになります。
ガンダムシリーズでも、「機動新世紀ガンダムX」はあまり好きになれませんでした。その理由も、ヒロインのティファが好きだったからです。しかも彼女、作中で主人公のガロードといちゃいちゃするというか、かなり親密な様子が描かれます。個人的には、ちょっとなあと思っていました。
綾波レイやホシノ・ルリのようなダウナー系少女がダメだったわたしが、なぜティファを好きになったのかは謎です。
謎といえば、ホシノ・ルリが出ていた「機動戦艦ナデシコ」はラブコメチックな作品でしたが、特に嫌だとも思わずに見ていました。これはどうしてかなあ。

いろいろ書きましたが、モテないのをこじらせると、こういうふうになる可能性があるということです。世間にはけっこういるみたいですよ。ネットのニュースでは、大人になって「耳をすませば」が見られなくなったという人も、そこそこいるようです。もちろんわたしもそのうちの一人です。
そんなわたしですから、いかに小説家を目指しているとはいえ、恋愛小説なんか書くわけがないのです……と思って自作を見返してみたら。
以前、今年は5作応募するとどこかで宣言しましたが、その中の3作が恋愛要素強めです。うち1作はすでに応募済み。
謎です。矛盾です。不思議です。
やはり斎藤栄氏が言うように、男と女がいればドラマになるということなんですかね。
もしくは、世界に恋愛ものがあふれているので、わたしですらそういうものにふれることが多く、自然と恋愛ものの作風がわたしの中に形成されていったのでしょうかね。

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