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流れるままに


何を選ぶにも赤色、ミホといえば赤色、それくらいこだわってた赤色もなぜだか最近自分に当てはまらなくなっているような気がして、しっくりこないことが増えた。以前は“もう”23年も生きたし、いつ死んでもいい、なんて思ってたけど、最近は“まだ”23年しか生きてないから人生を語るには足りなすぎる、と思うようになった。YouTuberのそわんわんの「このまま生きてたらあかんの?」という言葉がすごく心に響いて、嫌いだった一重も別にいいかと思えるようになりはじめ、新しく化粧品を買って、メイクを研究しはじめた。


高校生のときに知った、方丈記のはじめの部分、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という文章が印象に残っている。行く川の流れは絶えることなく、それでいて、その川に流れている水はもとの水ではない、みたいな訳になるはず。

わたしたちの世界もそうだと思う。
日々の生活は続く。同じような毎日、朝ごはんを食べたり、誰かと出かけたり、当たり前のように会う人がいたり、好きなことができたり、嫌いなこともできるようになってしまったり、当たり前が当たり前になりすぎて他人を傷つけてしまったり。
それでも1秒でも過ぎ去れば過去になる。同じように朝ごはんを食べることや、ルーティンになっていることでも、まったく同じことなんて生活の中にひとつもないような気がする。


変わらない人間はいない。(…と思っている。)
実際わたしだってそうだ。白い服が増えたし、服の系統も変わりつつあるし、考え方だって過去の自分とは違っている。もとの水にあらず、な気がする。

それでもやっぱり変わらずに曖昧やグレーゾーンが嫌いで、思考が極端に傾いてしまったり、自分の劣等感や嫌悪感で他人を傷つけてしまったり、相手の気持ちを考えすぎて自分の気持ちを押し殺してしまったり、なんてこともある。

でも、それでもいいんじゃない?とここ最近、本当に最近、思えるようになってきたところ。曖昧が嫌なところも、白黒はっきりさせたくなってしまうところも、劣等感や嫌悪感がありすぎるところも、他人を傷つけてしまうことも、まあ、それでいいんじゃない?
でも、他人を傷つけることは嫌だなと思うから、傷つけて、気付いて、なおそうとして、それでもまた傷つけて、の繰り返しでもいいのかな、とも思う。だってわたしも傷つけるばっかりじゃないと思うし。わたしにだってそれなりにいいところあると思うし、相手の気持ちや反応なんて想定外なことだってあるし。わたしはわたしで、これでいい。


やりたいと思えばやったらいいし、やりたくないと思ったらやらなくていいと思うし、嫌いだなと思ったら遠ざければいいと思うし好きだなと思ったら夢中になればいい。自分じゃ無理だなと思ったら誰かに言ってほしいし、助けてほしいなと思ったら笑わないから教えてほしい。自分もできてないし、まだ努力途中だけど、他人には言うよ!
今の自分が好きな色を着たらいいし、今の自分がこれがいいなと思ったほうを選んでほしいし、不器用でもカメのペースでも、今の自分でそのままでいいよ、これから変わるかもしれないし、変わらないかもしれないし、でも日々は続くから、それは誰にもわからない。楽しみにしたかったら楽しみにしてもいいし、楽しみにしてな、っていう人がうざかったら、楽しみになんてできるわけないし無理すぎる、未来なんていらないって思っててもいい。むしろこの文章がうざすぎ、って思うならそれでもいいよ。なんでもいい、自分の心がこれだな、って思ったらそれをそれでいいって言ってほしい。


「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
これ、永遠に流れてることを言っている気もする。
流されるまま、流れるまま、生きていてもいいと思う。
日々は続いていく。日々少しずつ変わる世界を、流されるままに、生きていこうと思う。


わたしの文章で何かできそうなことがあれば、全力で力になりたいと思っています。