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否定された思い出ばかり

フランス留学は良い面も悪い面も含めて、してよかったと思います。でも今にして思えば、大学のお金持ちな家庭の人たちばかりに囲まれていて、日本人コミュニティでの疲れがパリでも続いたのでしんどい場面も多かったなぁ。そして、母からできる限りカジュアルで狙われないような格好をするようにと言われて、大体の男性から「なんだこの田舎者のクズは」という目で見られていました。そして周りの日本人からも「北海道の私立大学の第二外国語から来てるって珍しいね~(私たちは東京の外国語学部から来てるけどw)」という見下した視線しかなかった。私は外国に行ってもそういう立場で見られていました。日本人って本当に心が狭いし、自分たちを棚に上げるのが大好きですね。特に東京の大学生たち、大嫌いだったなぁ。

学生時代を引きずっているような人ってステレオタイプであなたはこういう人でしょと、型にはめることでしか他人を理解できない人たち。そんな人たちがいまだに大嫌いです。

唯一、フランス語を熱心に教えてくれた、有色人種の素敵な先生が大好きだった。強くて、しっかりしていて、自立していて。最後に彼女から伝えられた「Saekoはもっと自信を持って堂々と生きていいのよ」って言う言葉が心に残っている。その約束は守れなかったけれど、端的に自分が変えたいとずっと思っている部分を教えてくれて、嬉しかったのです。でも、そうやって自分をちゃんと一人の人間として見てくれる人ってどうしてこんなに少ないのでしょう。私はみんなに踏み潰される側の人間なのです。

最近よくピアノを弾いています。母のおかげで小さな頃からピアノを習っていたのに、どうしてかバイエルの上級までしかいけなかった。中学生の頃、ある日突然ずっと教えてくれた先生から「表現ができないあなたにはもう教えることがない、やめてほしい」と言われたのです。いまだにショックで、もう二度とピアノは習えなくなったトラウマ。彼女が言った表現ができない、とは曲に自分の感情を乗せて、アーティストのように表現をしてほしいと言うこと。でも私にはそんな勇気はなかった。ただピアノが楽しいから続けたかったのに、突然終わった記憶。いまだに夢でピアノ教室に通う夢を見るのです。

今はランゲの花の歌をじっくりと弾いています。とてもとても綺麗な曲。表現ができなければピアノを続ける意味はないと言った先生の言葉をこれからも裏切り続けて、単調にのんびりと、好きだから弾いていきたい。

私の今までの人生はいつも、否定されることばかりだった。中学校は田舎だったのもあったのか、とにかく私一人を毛嫌いする人がいて、ずっとわかるように悪口を言われた。家族の姉からもとても嫌われていた。どこにも居場所がなかった。そして起こるべきして起きたような家庭の崩壊、両親の離婚、引っ越し。大嫌いな土地でずっと生きていく呪いのような毎日。私にはもう復活の道はない。私の母と私の猫たちが元気なうちは平和に、彼らがもし私より先に天国に行くことが決まったのなら。知らないうちにこの国が壊れて、世界が何もかも消え去るのを待ち続けるのだろう。それかその前に自分を殺すか、どちらかだ、といつも胸に決めている。

社会人になってからも、否定ばかり。風邪が蔓延した時期、熱が毎日38度も出て、咳も止まらないような状態でもオフィスに来るよう言われたことがありました。その私の状態を見ても「なんでお前は休むんだ」と責められたことがあります。他の人が休んでいても何もないのに、お前は休むなと言われたトラウマもずっと抱えています。どうして熱が出て、寝込まないと長引くような状態なのに、私だけ責めるのか。いじめとしか思えない、理解し難い記憶です。

このような文章を書くことで、人の不幸は蜜の味と思っている人たちの心を満たせればそれでいい。表現なんてしたくない、ただ書きたいから書いていく。

そして私は一生、私を否定した人たちを恨んで、呪っていく。覚悟しておけ。