もう少しだけ甘えていようか

今週は月曜日から綺麗な下降線を描き、抑うつ症状がひどくなっていった。月曜日の時点で「これはヤバイぞ、あいつが来るぞ」とアラートが点滅していたにも関わらず「なんとか持ち直せるだろう」という楽観的な考えはどこへ、「おいおい、そんなところまで落ちていくのか」とあれよあれよと深海へと沈んでしまった。

今、仕事上で知り合った大学の先生から週に1回カウンセリングを受けている。この辛さがどこから来るものなのか、本来はどういう自分を持っていたのかを詳らかにしていく作業だ。既に習慣化しているし、唯一自分の事を包み隠せず好きなようにアウトプットできる場所になってきているため、その時間はとても貴重だ。

カウンセリング中には、思い出したくない過去や、傷ついた心の痛み、厭らしい考えや感情、希望、夢、野心、様々なことを取り扱う。もちろん、それらを吐露するときは痛みや興奮が伴うわけで、話す内容によってカウンセリング後の疲労感が大きく違うことはあまりない。唯一の共通点は「スッキリした」といういくばくかの「爽快感」だけだ。

そういったカウンセリングを既に10回位は行っているのだろうか。あまり正確にカウントしていないのでおぼろげだが、結構な回数を重ねてきているように思う。今の時点で「大きな変化」を感じることが出来ているか、と問われれば、答えは「NO」だろう。毎回毎回、小さな変化を感じつつも、それが大きな変化につながっているのかは不明で、カウンセリングの回数をもっともっと重ねていくと、ようやく大きな変化を感じ取れる水準まで到達するのではと思っている。

カウンセリングに取り組む前は、「どんな目覚ましい変化が起こるのだろう」と当時の僕には似つかわしくない前向きな感情を持った記憶があるが、実際カウンセリングを受けてみると、「変化は思った以上にゆるやかで、忍耐が必要なものなのだな」と、少々肩透かしを食らった図式と相成った。

まだまだ不安定な状態の中で、長期的な視点を持ち、自分と向き合う行為は想像以上に辛く、困難なことだ。齢34歳に差し掛かろうとしている中年男性にとって、これからの将来を考えれば子どもはどうするのか、家庭をしっかりと運営していくことが出来るのか、妻への負担は軽減できる見通しは、仕事(職場)や仲間への貢献は、などなど、悩みは尽きず、「長期的な視点」になればなるほど、将来への不安で押しつぶされる。

それが今回の急降下をもたらした要因であろう。

今取るべき理想の行動や思考というのは「目の前にあること」に出来る限り集中し、一つ一つを丁寧に、丹念に行っていくことだ。しかしながら、他人や一般的な水準と比較する傾向が強い私は、自分が行った行動に対して、「他人ならこんなものは1日で終るだろう」「なんでこんなに自分は無能なんだろうか」といった、とめどない「罵倒」と「叱責」を行ってしまう。

元々、向上心や競争心が強い性質があったことや、経済的成功や一般的に優秀とされる「高学歴」な人たちに対する強いコンプレックスもあり、なかなかこの考え方(思考のクセ)は抜けない。これもまたカウンセリングにおける「テーマ」として恒常的に存在している。(が、なかなかの曲者でこれからも付き合うハメになるわけだが)

これまでのカウンセリングで明瞭化した根本原因(テーマ)は以下の3つだ。

(1)両親との関係 (2)「うつ病である自分」に対する自罰的態度 (3)他者との比較による劣等感・無力感

(3)に関しては(1)との関係性も強く、内包しても良かったのだが、前述したように、仕事を介しての不調に大きく関係するポイントであるため、今回は切り離してみた。

(1)については、今は一般的に使われる「毒親」というものが、私の両親にも当てはまる。端的に表現するなら、過干渉で支配的で、言葉よりも感情を先にぶつけてくるタイプだ。母親は特にそれが顕著だ。幼少期から現在に至るまで、事あるごとに「ああしろ、こうしろ」と自分が正しいと思うことを私に押し付けてくる場合がほとんどで、こちらが言葉(理屈)で応戦しようにも、半ばヒステリックに反論されて、私が折れる。というパターンが多い。

父親は、昔から「家庭に関する役割」をほとんど母に丸投げしており、私の中での「父親」は「存在感が無い人」というものでしかなく、一般的に「父親の背中が目標」「父を超えたい」「尊敬できる」といった話を周囲から聞くたびに驚愕したものだ。そんな人は、私の家庭には存在していない、と。そのくせ、警察官である父は、事あるごとに「犯罪はするな」「危険は犯すな」ということばかりを私に伝えてくる。何かを相談しても似たような対応で、「自分が守られている」というよりは「監視されている」という感覚だ。父になにかを相談しても、そこにあるのは「絶望感」や「虚無感」だけで、段々と会話も少なくなっていたことは記憶に新しい。

正直、このように文書化し客観的に読んでみると、「もう大人なんだから、スルーしちゃえばいいじゃないかYO」といった心情になるものだが、幼少期から何をするにも理由もわからず感情的に怒られて育った私にとって、母と対峙するときには「恐怖」が、父と対峙するときには「絶望」が心に湧き上がる。年末年始の帰省のことを考えるだけで、死にたくなるほど嫌なことだ。この感情をどう解消していくのか、がカウンセリングの第一テーマとなっている。

(2)については、私の担当カウンセラーいわく「うつ病の二次的障害」にあたるものらしい。(インターネットで検索するも該当論文など見つけられず)私の場合、20代中盤でうつ病を発症し、休職、退職、転職。その転職先でうつ病が再発し、休職、退職、転職(現職)という経歴で、「うつ病である自分」に対して存在価値を見いだせなくなってしまっているというのだ。

その結論に至るまでに、カウンセラーへ下記のような話をした。

先週末、妻と私の服を買いに出かけたのですが、店をまわるにつれて私の機嫌が悪くなってしまい、何も買わずに帰宅しました。妻の機嫌も損ねてしまい、せっかくの休日が台無しになってしまったんですよね…。

それは何故でしょうか?

私自身、うつ病によって経済的にも精神的にも妻に対して大きな負担をかけてきましたし、今もそれは変わらないと思ってます。多少負担は軽くなったかなと思いますが。ただ、まだまだ調子の波はあるし、今後またダメになるかもしれないし、自分自身に対するコストはなるべく削減しておきたい。という気持ちが強いんですよね。なので、あらゆるコストは最小限にしようと考えています。しかし、そういった考えはあるものの、元々ファッションが好きだし、以前は本なども知的好奇心のままに買っていたし、欲求はとても強いタイプの人間ですから、その「欲」を満たせない「不甲斐なさ」や「無力感」にイライラしてしまうんだと思います。

一部だけ抜粋して書いたが、このような会話をした結果、「それはうつ病の二次的障害ですね」と言われたのである。まったく、面倒なことをまた抱え込んでしまったようだ。と思った。

確かに、買い物する時などに感じる「不甲斐なさ」や「無力感」、加えて「無価値感」(自分にはコストをかける価値は無い)という思考は、うつ病初期よりも強くなってきている感覚は持っていたので、それがようやく明瞭化したのは良かった。

この原因の最も厄介な点は、「日常で発生する頻度が多い」ことだ。何かにつけて欲しいものは目につく。そのたびに、前述したような「欲」と「無価値感」などが摩擦を起こし、疲弊するのだ。

今行っている対策としては、そういった情報が流れてくる媒体やアプリケーションを削除すること。くらいだ。それ以外に良い方法があれば試してみたい。

最後に(3)について。これは(1)の副作用として記述できる内容だ。母親自身の学歴コンプレックスや、親戚の子どもに対する競争意識、私と友人を比較する言動多数、などなどがあいまって、「他人より優れている息子であることが怒られない条件」といつしか心に刻まれてしまってから、他人を意識し、どこまでいっても拭えない劣等感を抱えるようになってしまった。

上を見ればきりがない、というものの、関わる人が増えれば、やはりそれを見てしまって、絶望し強烈な劣等感に苛まれてしまうのだ。なんて面倒くさいものを植え付けてくれたのだろうか。

このように、常に3つの原因について、毎度毎度カウンセラーの力を借りて内省を繰り返し、考え方を修正し、出来ることなら行動に落とし込む、という作業を行っているのである。

しかし、とても辛い。右肩あがりで良くなって、迷惑かけた大切な人たちに恩返しして、云々。という淡い未来予想図は、毎度毎度一瞬で吹き消され、それでも前に進みたいと、また未来予想図を作り、一歩一歩また歩みを進めなければならない。

そしてそのゴールテープをいつ切れるかもわからない。不安で孤独だ。また迷惑をかけてしまう、負担をかけてしまう、ならいっその事消えてしまったほうが良いのではないだろうか。というところまで、今回は考えてしまった。

でもね、言い方が難しいのだが、「こんな状態である私」の「こんな状態である」を抜きにして関わってくれる人たちがいるんだ。その人達のことを思うと、毎回、「ごめんね。また迷惑かけるけど、また頑張ってみるわ」と思うんです。

たぶん、とても「甘えている」と周りから見られるだろうし、現に「甘えているな」と思う。でも、もう少し「甘えてもいいんだろうな」と最近思えるようになってきた。

それが良いのか悪いのかわからないし、私自身はなるべく回避したいことだが、まあ、その辺あまり考えすぎずに、とりあえずは「目の前にあること」や「目の前に映っている人」を大切にしながら、自分の困難とまたニラメッコしていければ良いと思っている。

こんな未熟なおっさんになる予定じゃなかったのになぁ〜今頃もっとカッコイイ男前になっている予定が!

クソッたれ!

あ、余談。カウンセリングで再発掘した私が元々もっている良い点は、

(1)好奇心・探究心 (2)人が喜ぶものを生み出すこと (3)活動的姿勢

ということで今のところカウンセラーと共通の認識をしている。ま、今では影も形もないので、それを取り戻す作業も並行して行っているのだが、いつまでかかるのだろうか。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?