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東京へ来てから住んだ寮(2)台東区西浅草

僕が次に働いたのは浅草にあるいわゆるメンズパブだった。

教えてもらっていた住所に着くと、そこは浅草の雷門通りと国際通りの交差点の傍にある交番の裏の国際通りとかっぱ橋商店街の通りとの間に挟まれた地区の狭い路地にあった。

寮に着くとそこは2階建てのアパートだった。

事前に電話で連絡を取り合って着く時間を知らせていたので、寮の近くに車を停めて着いたことを知らせるのにもう一度電話したら、ちょっとしてから店の関係者と思われる人がアパートから出てきた。

僕と同じ歳ぐらいの背の高くてちょっとオタクっぽい人で、その人は店のスタッフの一人らしかった。

その人に案内されて2階の部屋に入ると、2階も1階も2部屋しかなく新しくも古くもない小ぢんまりしたアパートでキッチンのあるダイニングはほとんど何も物が置いておらず綺麗ですっきりしていた。

僕が前の仕事の寮から出て行く日にちを延ばして貰わざるを得なかったのは、僕が入る部屋に寝泊まりしていた店のスタッフが辞める日が前日だったためだった。

そういう訳で僕は前に住んでいた人と1日も空けることなく入れ替わりでその部屋に入った。

案内された部屋に入ると、何も物がない6畳の和室で畳が敷かれていた。

部屋で案内してくれた人からいろいろなきまりや注意すべき事を簡単に説明されて、その人はいなくなった。

その人はその寮のもう一つの部屋に寝泊まりしていた。

僕の部屋の布団は押し入れの中にあって、ちゃんとカバーの付いた普通の布団だった。

僕はアパートの近くに停めた車から荷物を降ろして部屋まで運んで引っ越し作業を終えた後、レンタカーを返しに行ってから電車でアパートに戻り、渡された鍵で扉を開けて部屋に入り、黒いスーツに着替えてからその日、店に初出勤した。

僕が働いた店は比較的小さい店で、全ての席が埋まってもせいぜい15人程度の客しか入れなかった。

最初はグラスや皿洗い、店内やトイレの掃除、灰皿交換などを任された。

その店には基本的に僕より若干年上の店長の他に中年の人が一人、同じ寮に住んでいる人と僕の4人が在籍していたが、ヘルプとして他店で働いている人や普段は別の仕事をしている人もその人の客が来た時にだけ来ることもあった。

その店には同じ系列店はなく、店長が個人で経営していた。

中年のスタッフは見た目はどこにでもいそうなオヤジという感じだったが、千葉県出身にも関わらずものすごい訛っていたので、僕はおそらく千葉県でも辺鄙な片田舎出身に違いないと思った。

僕と同じ寮に住んでいる人は、お客さんと話している時は饒舌な訳ではないが普通に話す。

しかし、店ではお互い仲が悪いという訳ではなかったが、どことなくお互い距離を置いていて——と言うより向こうから距離を置かれていて——必要最低限の会話しかしなかった。

そして、寮では同じアパートの部屋に住んでいるにも関わらず、中で会った事は一度もなかったと言ってもいいほどで、僕の部屋の外の廊下の先にその人の部屋があるのだが、確かにいるはずなのに物音一つ聞こえたことがなく、気安くその人の部屋へ行けるという関係ではなかったので、普段その人が部屋でどう過ごしているのかはまったく知るよしもなかった。

僕は前の寮でもそうだったが、スピーカーはあったが迷惑はかけられないので音楽はヘッドホンで聴いていた。

数カ月働いた後、僕はある事情でその店を首になり、次の仕事が見つかるまでという条件でそれまでアパートに寝泊まりする事を許され、その間、仕事に出ないで次の仕事を探していた。

そんなある日、店長に電話で呼び出されて店の近くに停めてある店長の車の中でそれまで働いた分の日割の給料を封筒で受け取った後、店長が新しくラーメン屋を始めることになったのでその店の開業メンバーとして働いてみないかと誘われたが、断った。

面接を受けに行った結果、次の仕事が決まり、寮を出て行くことになった。

引っ越しはレンタカーを借りてしたが、前回失敗した経験から今度は軽自動車のワゴンにしたら荷台のスペースは僕の荷物の量にちょうど良かった。

僕は次の仕事先の人と電話で連絡を取り合って、引っ越しする日時と落ち合う場所を決めていた。

その結果、出発する時間は真夜中になり、その場所まで車で向かった。


2020.7.7 加筆修正








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