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『2018年キング・コング・ブルース』はこんな話じゃなかった

 どうもMr_noiseです。
 先ほど、サム・J・ルンドヴァルの『2018年キング・コング・ブルース』を読み終わりました。今回はこの小説が思ってたんと違うとおっさんが地団駄を踏むというみっともない文ですので、最初から覚悟のほどをお願いします。

 読書理由

この本は1981年にサンリオSF文庫から出版されたSF小説です。
 僕がこの本を読んだ理由は下記の2つです。
 ①くだらなくて笑える小説が読みたかった
 ②2019年に読むのは僕くらいなんじゃないかという特別感
要するに特別なB級感を求めるという、サブカルクソ野郎の習性みたいな理由です。
 Amazonに唯一あるレビューも☆2で「読むべきものは他にある」という辛辣なものだったので、僕としてはこれはかなりしょうもなさを期待できるなと読み始めるまでワクワクしておりました。具体的にどんな期待をしていたかを説明していきます。

タイトルから期待していたもの

 ①キングコングの暴れっぷりとか悲哀
 ②未来的ガジェット(今となってはアホっぽいもの)
 ③わかりやすい事件とそれのとんでもな解決法
こんな感じです。一応、どんな筋書きを予想していたかを次に書いて見ましたが、浅はかな妄想でかつ無駄に長いので暇な人以外は飛ばしてください。

僕が思ってた『2018年キング・コング・ブルース』

 ときは2018年、獣医師であるアンジェリカは希望職種につけず、動物の飼育会社で飼育員として働いていた。担当動物は霊長類。ワシントン条約により、国家間での移送や販売が禁止になってしまった猿のクローンを育成し、ペットとして販売するのが主な業務内容だった。しかし、ひょんなことから社内で機密事項扱いである巨大猿の個体、『ファザー』と『マザー』の飼育担当に任ぜられてしまう。2頭の猿の飼育目的は体内で、移植用臓器を製造すること。体内に人間用の臓器を複数持ち取り除いても再生するよう設計されたキメラ猿だったのだ。2頭の猿は常時頭にVRゴーグルをつけられ、厳重監視のもと、仮眠状態で自分たちが自然環境で生活していると錯覚させられながら、よりよい臓器を生産させられていた。アンジェリカは自分の仕事と倫理観に疑問を持ちながらも、眠る2頭に奇妙な親近感と愛情を持ちながら接していた。そんな折、プロジェクトチームが新たに脳の製造に乗り出す。
 環境映像の外に映画や音楽などの芸術作品を見せ、2頭の第二脳を育成するというプロジェクトが始まったのだ。しかしある日、映画『キングコング』を見せた際、2頭に異変が起きる。『ファザー』は自分がキングコングとして撃たれたと勘違いし、ショック死。『マザー』は同胞が殺されたと勘違いし、暴れ出して、研究所から逃げ出してしまう。『マザー』の暴走により、街には多くの死傷者が発生。高層ビルに上る『マザー』の頭にレールガンが突き付けられてしまう。このままでは『マザー』が死んでしまい、死傷者を救うための臓器の製造ができなくなる。アンジェリカは2頭が好んで聞いていた鎮静曲「キング・コング・ブルース」を大音量で流そうと奮闘するが。

実際どんな話か

  裏表紙のあらすじを引用します。

スウェーデンで最大の化粧品会社が、全人類へ贈る腋窩クリームの大々的な宣伝キャンペーンを展開するため西暦2000年の最初に生まれた女性を探していた。その会社は世界的規模の複合企業に属し、さらにおそろしく複雑な網の目を通じてチューリヒの郵便受けにある本社に保有されていたが、最終的に誰がそれを管理しているのかはスイス銀行さえうかがい知ることができなかった。世界中の人々は、個人のあらゆる細部に至るまでコンピュータに記録されていたが、その女性の記録だけは抜けていた。アンニキーー知られているのは、その名だけであった。女を求めて社員の一人が危険とスリルに満ちたスラムへ……

 いまいちこれでもどんな話かつかみにくいと思いますが、一つみなさんも気づいたことがあると思います。
 この小説、キングコングでないんですよ。
 
小説が始まる前の序文の最後を引用しましょうか。

そうそう、もうひとついっておかなければ。本書にはキング・コングも登場しないし、ましてやあの有名な映画の続編でもない。それならば、サム・ルンドヴァルはなにゆえ、このようなタイトルをつけたのか?読者それぞれ、判断されたい。
 ドナルド・A・ウォルハイム

 ここをあらかじめ読んでいたら買わなかったかもしれん。
SFアクションものではないとして、この本がどんな内容かというと、未来予測型SF小説って感じでした。引用したあらすじの続きでも未来予測系のディストピア小説『1984年』と比較してあります。
 この作品が『1984年』と違うのは1980年代の宗教や経済界、資源、国際情勢という各分野から未来を予測し、世界観を構成した作品だということでしょう。
 『1984年』は思想を極端化して社会構成をした後に、小説内の登場人物の生活様式を作っている感がありました。
 この作品の世界観は、各分野から極端な方向に枝葉を伸ばしているのでリアル感はあるけれども、『1984年』ほど尖った世界観を持った話でもありません。1980年代の人が読んだら地続きだがディストピア的な未来像を楽しめていたのかもしれません。
 しかし、こういう過去の未来予測小説を現代の僕が読むとこうなります。
 思いっきり未来予測外れとるやん。
特に、この小説は具体的会社名や宗教団体、国名を入れて政治・経済の分野の恐怖をあおるような説明が多いので、そのたび外れとるけどなって思ってしまいます。
 別に未来を正確に当てるために書いた小説ではないだろうことはわかっているのですが(むしろこれは外れるだろって過激さはギャグっぽさもあった)、過激な未来像を描いているゆえに外れていることが気になってしまうのです。例えると、ノストラダムスの大予言みたいな感じ。
 煽りまくってたけど、今思うと全然何も起きなかったなって思っちゃうあの感じです。

まとめ

①『2018年キング・コング・ブルース』はまじめな未来予測小説だった。
②未来予測系の小説を今読むなら、ミシェル・ウェルベックの『服従』を読んだ方がエロいし、面白くていい。
③あらすじ読まないで買って文句を言うのは格好が悪い。
④そもそもキングコングに暴れて欲しいなら映画を見るべきだった。
⑤悪い作品ではないが、たしかにこれを読むなら、他の物を読んだ方がいいと思う。

しょうもない作品読みたかったなあ……。

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