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すいかは苦い。薔薇のアーチは痛い。

江國香織の本が好きすぎる私だが、もっとも衝撃を受けたのは『すいかの匂い』という本だ。

小学生の女の子が主人公のお話を描いた短編集なのだが、いずれも

・小学校3年生~5年生くらいの女の子の話であること
・夏の話であること
・小学生のころの話を、大人になった語り手が回想するかたちであること

そして
・懐かしいんだけど、いやーな感じのちょっとうしろめたさや怖さがあって苦い感じで終わる
ところで共通している。

そしてそのいやーな感じの苦さのために心から離れない。
嘘をついたり、こっそり虫を殺めてしまったり、大人に対して嫌悪感を抱いたり、、、だれにでもあるようないやーな感じを懐かしさとともに思い出させてくる感じがすごい。

畑でとれたすごいうまそうな野菜にかじりついたらすっごい苦かった、みたいな短編集。みずみずしい話がきらきらしてるのかと思ったら、、いやな目にあった、みたいな。

誰もが井上陽水の少年時代のように夏が過ぎ風あざみな思い出ばかりを持っているわけではない。
じわっと冷や汗を嫌な感じにかかせてくる思い出をこの本は思い出させてくる。いやだけど懐かしい。嫌だけどノスタルジックということで、イヤノス(イヤミスにあやかって)と名付けたい。
イヤノス小説、江國香織『すいかの匂い』

中でも1番、読んでいてしんどいと私に思わせたのは「薔薇のアーチ」という短編だ。あらすじは以下の通りである。

主人公の女の子は東京で暮らす小学4年生。学校ではいじめられている。
夏休みになると毎年、田舎の祖父母宅に家族でいっていたのだが、「いじめられるのは弱いせい」という主張の父に毎朝海水浴に連れていかれる。これが嫌でたまらないのだが断れない。
ある日、昼間に海で一人遊んでいたところ、1つ年下の女の子に出会う。活発そうな彼女だが、東京に住んでいる主人公のことをものすごくうらやましがる。気分がよくなった主人公はいじめられているのを隠し、次々にうそをついてしまう。自分はクラスの中心グループにいるとか、昼休みはピアノを弾いて遊ぶとか。
その中で、もっともうらやましがられた嘘は「校門に薔薇のアーチがある」というものだった。それを聞いた彼女は眼を輝かせる。
夏休みが終わり、主人公はまた東京に戻りいじめられる日々。海辺で出会った彼女と文通しようと約束し、何通も手紙をもらったが一通も返事を出さなかった。

書いているだけでしんどい。
朝の海(父に海水浴に連れていかれる時)の天気の悪そうな感じと、昼の海(海辺の女の子にうその自慢話をしているとき)のコントラストとかもまたすごい。

私もこの主人公みたいな女の子だった。田舎に住んでいたし、長い間いじめられていたというわけではなかったが、小さく、足も遅くて学校では目立たないほうだった。

そして主人公と同じようにくだらないうそをついた。
小学2年生の時当時私が通っていた学習教室の主催で、近くの博物館にサーカスがくるというもので手作りで券をつくって配りまくった(無料で)
帰り道に適当に発した一言にみんなが食いついてくれたのが始まりだったが細かいディテールの説明を加えるほどにみんなが信じ、クラスの中心だった男の子がものすごく楽しみにしてくれたことで私はどんどん調子に乗っていき、歯止めが利かなくなった。
そしてうそのサーカスの当日、あっけなくばれて、終わった。

その時の私は「嘘はいけない」と教わってきた学校の中でうそをついた悪い奴だが、その時感じたのは罪悪感より、不思議さだった。嘘をついた自分にも信じた周りに対しても。

「薔薇のアーチ」はじめ、『すいかの匂い』の短編集はイヤノスな思い出を引き出しの奥から引っ張り出してくる。9歳とか10歳ころの自分がほほ笑むでも睨むでもなくじっとこちらを見ているような気分にされる。

生暖かい幸せな記憶だけじゃなく、こういう苦さを含んだ記憶こそ当時を鮮明に思い出させてくれるんではないかと思う。
視覚の記憶だけでなく味覚や聴覚まで鮮明によみがえるようで、『すいかの匂い』というタイトルは本当に秀逸。


ここからは本の話とはそれてしまい、余談だが
こういう話や思い出は何かを怖いと思ったとき背中を支えてくれるものにもなると思う。

小学2年生でちょっと大きな嘘をついて目立とうとした私は、それからほどなくして「外に出たい」と常に思うようになった。「ここにいたらずっと目立てない私のままだ、外に出ないと」
そして気づいたら東京にきていた。

9歳とか10歳ころの私が出会って話を聞いたら目をキラキラさせるような人になりたかった。お金持ちとかキャリアウーマンとかじゃなくてもめっちゃおもしろい人になりたかった。ラ・ラ・ランドのミア(エマ・ストーン)の叔母みたいな人になりたかった。いや、なりたい。

でも、あんなに外に出たかった私が、新しいもの、新しいことが怖くなってきている。何かが怖くなった時子どもの頃の自分にじっと見つめてもらうと、背中をちょっと支えられる気分になる。前に立って盾にはなってくれないけどちょっと背中支えてくれるくらいに。

あの頃はおばけとか先生とか怖いものたくさんあったしわからないこともたくさんあったけどなとか生きていたから大丈夫、的な。

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