【#18】愛。

今朝”あさチャン!”を見ていて驚いた。あの辰巳芳子先生が取り上げられたのである。巷にたくさんいる料理研究家ではない、辰巳先生に取材が入ったのだ。

日本で初めて生ハムを作った先生。そのあまりの工程の大変さと93歳という年齢により中断されていた生ハムづくりを再開なさった、という取材だった。「やるべきことは、やらなきゃならない」と、自身を突き動かす衝動たるや。。。

辰巳先生の母、浜子さんもまた、料理の達人だった。戦時中、様々なものが取り上げられ贅沢は敵だと食材も満足に無かった時代。どこの家庭も白い米にありつけず目の前の小麦粉で”すいとんに似たなにか”で飢えをしのいでいた厳しい時代。浜子さんはその小麦粉でパン・ド・カンパーニュを作ってくれたのだという。知識と探究心と愛さえ枯れなければ、思っても見なかった結果物が生まれる。諦めたら、ただの小麦粉だ。

けんちん汁についても胸に刺さったエピソードがある。お寺さんがつくるけんちん汁は野菜のアクが全部表に出てしまい、いただきにくい。ヨーロッパで様々な食に触れるなか、イタリアのスープ職人によるミネストローネの技法をヒントに改良されていった、というお話の中でぼくの心を深く刺した言葉があった。「行き詰まりは、異文化で洗うと、突破口が見つかりやすい。」これはどんな時だって”もう少し” ”もっと”と思っている人でなければ素通りしてしまうことだ。ミネストローネを「美味しい」で終わるか、探るか、で、未来が変わってくるかもしれない。

”スープ日乗”という先生の著書は、ある種の集大成だ。僕はレシピを知りたいのではなくそんな言葉に触れたくてこれを買った。この本にかかれているのは”まなざし”だ。数々の著書があるけれど、この本は特別。凛として徳の高い僧侶に説法を受けているような、そうして自分を律したい時に読む本だった。長年先生の傍らでお手伝いをされている、ある著名な方に「だったら先生の、鎌倉の教室に通われたら?言ってあげましょうか」と身に余るご提案を頂戴したことがあるけれど先生の教室は〈10年待ち〉。そんなズルは許せなかったから丁重にご辞退した、そんな折に出版されたこの本で十分だった。そして、大変無礼際まりないが、この集大成をもって、緩やかに活動を終えられるものだと思っていた。そんな、表現し難い何かが宿った本だからだ。

人間と水は低きに流れる性質がある。誰に説教される年齢でもなくなってもなお、自分を前へ突き動かす心の火を燃やし続けられるか。やっても、やらなくても、それが自分。「やるべきこと」は人から言われることではない内発的な動機だ。それを見つけることが出来たなら一点の曇のない幸福な人生なのだ、きっと。

生ハムの再開。でも本質は、その奥深くにある自らを突き動かすものだ。

辰巳先生を知らない皆様にぜひ、この3分3秒の動画に触れていただきたい。


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