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外側に正解はない

こんにちは、イラストレーターのマルオです。

今日は、「外側に正解はない」という話です。


これは、「世の中的正解」の話ではなく。
「私的正解」のこと。


私が、「これが良い」、と思えること。


私達は、社会の中で生きているけれど、
感じ方や物の見方は実はそれぞれ全く違う。

大体はそのことを忘れていながら、
調和して、共生しようとしています。


それ自体は、
人間の遥か昔からの営みであり建設的なこと。
物を申すつもりはないのだけれど。

私達は普段、そうやって
あまりにも社会の中で
人との関係性の中で
生きていることによって

何かを選択する時や考える時に、
「『世の中的に』『大多数的に』は
どちらが正解?」
と考える癖がついてしまっているのでは
ないかなと思うのです。

そうした方が、
周りと軋轢が生まれないから。

摩擦が起きなくて済むわけです。

人間には
「自分の身を守ることを最優先にする」
という、おそらく
DNAに刻まれた本能がある。

それが今でも働くのだと思います。

社会的正解を選ぶことが、
群れからはぐれずに済む最善策だと。

つまり、死なないですむ方法だから
選ぶんですよね。

でもね。
群れの一部として生きることが
「個人の意識を持って生きている私」を
本当に幸せにするのか?
と、つい考えてしまいます。

私達は群れの一部だけれども、
「高度な思考をする」ことができるという点で
他の動物は少し違う部分を持っている。


そして、現代社会においては、
滅多なことで死なないわけです。
一人で生きているからといって、
ライオンに襲われたりはしないのです。

脳が発達した生き物として、
「私は私である」という認識を
自分でできる生き物として、

「私的正解とは何か?」と考えられる
平和な時間が日常の中にあるのですから。

そうやって、せっかく使える思考を
自分の内面、感情とすり合わせて
「個人的正解」「個人的幸せ」とは
なんだろう?と考えてみても
いいんじゃないかと思います。


私はそれほどたくさんのものや
ステイタスを持っている人間ではないので
わからない感覚も沢山あるとは思うけれど

「私的正解」「私的幸せ」を
追求することについては
これまで結構やってきたなぁと思っています。

物をたくさん集めたり
外側を飾り立てたり
人に羨ましがられるような
ステイタスを揃える、
というようなことでは
自分を内面から幸せにすることには
ならないということは経験上わかってきて。


小さなことでも、
人から見たらつまらないことでも、
自分が喜びで満たされる瞬間を
自分自身が見逃さないこと。

自分が好きなこと
満足すること
幸せと感じること

を、人とは比べずに
ただその瞬間味わうこと、
そしてその連続。

これをするだけで
きっと何かや誰かと比較して
何かを追いかけて
外側に承認を求めていた時よりも
充分に幸せを感じられると思います。


なんか、これに尽きるような気がしますね。
シンプルに。


今日は満開の桜の木の下で
レジャーシートを敷いて
寝転がって花を見たら
幸せだろうなぁと思って

それを実行してきました。

大好きな友人と、娘さんと一緒に。
多分この先、春になるといつも思い出す
光景の一つになりました。


こういうことのひとつひとつで
私達は、今すぐ、充分に幸せになれるよね。


意外と身近なことで、
すぐに感じられるものなんだって
気づくところから始めたいですね。

今日も読んでくださって
ありがとうございました!

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