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小人老い変わりて学の楽しみを知る。

少年老い易く学成り難し。

「だからぼやぼやしてないで勉強しなさい」
という親の小言とセットになってる言葉で良い印象はないが
出典は朱熹の詩と聞くと妙に納得。

朱熹は南宋の儒学者にして朱子学の創始者。

19歳で当時の中国の国家公務員一級資格である科挙に合格し
エリート街道まっしぐら

と思いきや、

母の世話があるからと27歳の若さで閑職を志願。
出世には目もくれず
ひたすら儒学の勉強に勤しんだ。
(嫌々ながら上司に命令されて役人の仕事もたまにやっていた)

朱熹の猛勉強のおかげで孔子の儒教は大発展して
日本では儒教=朱子学とまでなり
250年のパクス・トクガワーナ
太平の江戸時代が実現したのである。

スーパーインテリの朱熹と違い
大学も出てないのに考古学でエポックメーキングな功績を遺した人といえば
シュリーマンをおいて他にない。

貧しい牧師の息子に生まれて丁稚奉公から始めて
世界を股にかけた実業家に成長。
十分な資金を貯めると引退して
子供の頃からの夢だったトロイア遺跡の発掘を始めた。

80人もの人夫を雇って掘りに掘り
ただの伝説と考えられていたトロイアの実在を証明した。

朱熹とシュリーマンに共通するのは
出世や贅沢な暮らしなどには見向きもせず
(多少の功名心はあったかもしれないが)
早々と引退生活に入って
自分が好きなことだけに没頭したことにある。

光陰矢の如し
ぼやぼやしてたらすぐに年をとって
死んでしまうのだ。
学を収めるどころじゃない。

会社や上司の悪口言いながら嫌いなサラリーマンやってる時間があったら
さっさと辞めて自由の身となり
好きなことをするに限る。

とはいえ諸般の事情により
たいていはお金の事情にて
そうそう簡単に仕事を辞めるわけにはいかない
という場合には
鶴見和子というお手本もある。

台湾総督後藤新平の孫として鶴見家に生まれ
女子エリート養成学校の津田塾大学を卒業後に米国留学するも
日米開戦のためやむなく日本に帰国。
敗戦後は再渡米して博士号を取得し
プリンストン大学や上智大学で教鞭を取った。

南方熊楠や柳田国男の民俗学を社会学的視点で捕らえた
現役学者時代の活躍もさることながら
77歳で脳出血で倒れて現役を引退後は
亡くなる88歳までの10年余で
趣味の着物や踊り、短歌などの長年の趣味を研究し
30冊もの著書を出版したほか
それまでの仕事の集大成となる著作集を刊行した。

弟の鶴見俊輔は姉の没後
「姉の一生は80年近い前半生と10年余の後半生に分かれると思う。
前の80年は世のしきたりに従って努力し、跡の10年は長い前半生の貯蓄を養分に、存分に表現した」
と言ったそうだ。

若干引退が遅れてもやむを得ず。
遅れた分だけパワー爆発で勤しむべし
と教えてくれる。

少年の頃、つまり学生時代にもっと勉強しておけば良かった
とは思っても後の祭り。
簡単に老いてしまった今だからこそ
その楽しさがわかる。
そして勉強したいという意欲が湧いてくる。

朱熹先生なんかとは違う小人物だからね、私たちは。

小人老い変わりて学の楽しみを知る。

こう思えたら人生、
今が一番楽しい。

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