私たちがしている差別について

民主主義の断末魔が聞こえる今日この頃、皆様いかがお過ごしだろうか。参院選を前にしていくつかのニュースが話題になり、珍しく(1年に1回あるかないか)怒りで仕事に集中できなくなってしまったので、思考の整理がてら文字に起こしてみる。今までの自己紹介のようなnoteとは違ってできればたくさんの人に読んでもらいたい内容になると思う。

同性婚訴訟

事の発端は、先日大阪地裁が同性婚を認めない旨の判決を出したニュースについて各所で様々な意見が飛び交っていたのを目にしたことだ。正直この判決自体にも心底落胆したし、判決文を読んでも突っ込み所満載でやるせない気持ちになったが、情報を集めるためにTwitter上のたくさんの人の意見を見て更に絶望的な気持ちになった。

もちろん、憲法の解釈や生殖の可否、それに伴う税制上の問題などによって同性婚を実現するのがそう簡単でないことは理解している。しかし、どれほどの人が同性婚を望む当人たちの立場になって考えられているだろうか。法が時代に追いついていないことなんて誰しもが分かっていて判決文にも書いてあるのに、では変えましょう とは一向にならない。

今回の判決によれば、結婚とは ''「一人の男性と一人の女性が子どもを産み、育てながら共同生活を送る関係に法的保護を与えること」であり、同性婚は該当しない''とのことだが、結婚する人達は本当にそういう認識で結婚したのだろうか。もちろんそういった法的保護は必要だが、それ以前に社会通念として結婚とは「生涯を共にすると決めた2人の籍を統合し、法的(≒社会的)に家族として認めること」だと思っていた。初期の婚姻制度の目的や役割からは外れるかもしれないが、正直これが一般的な認識で、そのつもりで結婚する人が多いと思う。それは当然同性愛者にも適用されるべき当然の権利で、血の繋がった実子ありきの現在の解釈には疑問が残る。多くの人から指摘されている通り、その解釈を元にするならば法的保護をするのは実子がいる夫婦のみでいいはずだし、養子や代理出産、精子/卵子提供によって生まれた子供のいる同性カップルも同じように保護すべきだ。

国はまだ同性婚についての議論がされ尽くしていないというが、ではあと何十年待てばいいのだろう。何組のカップルが家族になることを諦め、老いていかなければならないのだろう。取り合わなかったのは国側なのに、なぜこれ以上待たなければならないのだろう。

また、パートナーシップ制度など同じような別の制度を作ればいいという提案もあったが、多くの当事者たちが望むのはあくまで「結婚」であり、異性愛者と区別なくフラットな関係性になることである。戸籍上も、手続き上も、相続においても、社会的にも、家族として認められなければ意味が無いし、正直今の政府に納得のいく新しい法律が作れるとは思っていない。
それなのに、結婚するしないの選択肢が与えられている異性愛者様たちが、憲法にかいてあるんだからしょうがないとか、なぜそんなに結婚に拘るの?愛があれば一緒に暮らせるだけでいいじゃない とか、結局お金目的じゃないか とか、権利ばかり主張して図々しい とか、パートナーシップじゃだめなの? などとさもわかったかのような顔で語っているのが何十何百と観測されて、ああ結局この程度なんだ、当たり前の権利を得るのはこんなに難しいことなのか、と悲しくなった。

差別

各所で情報を集めようとすればするほど、一般の人も国会議員も国さえもが言葉を尽くして自分たちの権利を否定しているのが見えて、なんでこんなに傷つかなければならないんだろうと思う。こういったことがニュースになる度に当事者たちは否定され、傷つけられ、怒りと悲しみを抱え続けている。慣れてしまった人も、道化に走る人も、諦めている人もたくさんいて、でも誰かが権利を主張し続けなければ議論の土俵にすら上がれない。傷つけられて、傷つけられて、それでも戦い続けなければ、パートナーと家族になることすら叶わない。

私の周りの人はほとんどLGBTQs当事者や理解ある人で、皆当たり前にそれぞれを尊重してくれる。とくべつ知識がなくても、どんなセクシャリティだろうと関係なくお互い接することができる。そんなあたたかい環境で過ごしていたから忘れていた。いくらLGBTQsのインフルエンサーが人気になろうと、原宿が虹色に染まろうと、差別は終わっていない。当たり前に、訂正する間もなく、日常の中に差別は蔓延っている。

高校の国語の授業で、先生が男性同士の恋愛のことを「気持ち悪い」と冗談めかして言ったのが忘れられない。笑いが起きなかったのが唯一の救いだった。
私がカムした途端、女の子どうしは綺麗だよね、同性相手ってどうやってするの?、今この子とキスしてみてよ、だから男っぽいんだね、個性的でいいね、オカマっておもしろいよね、自分の周りにはそういう人いないなあ、でも最後は男と結婚するんでしょ?、なんか色々あってめんどくさいね、性癖のストライクゾーン広いんだね、まだタイプの人に出会ってないだけじゃない?、人を愛せないなんて冷たいな、私の事襲わないでね、
…………もううんざりだ。
シスジェンダーで男性とも付き合える私がこうなのだから、トランスや同性愛者の人たちがいかに無理解に傷ついてきたかは想像に難くない。本当は、同性婚賛成派にありがちな「愛し合う2人が〜」みたいな発想も、恋愛感情のないままパートナーを持つ自分にとっては気持ち悪くて仕方がない。

性的少数者だけではない。女だから、男だから、こういう職業だから、こういう見た目だから、…
根拠の無い思い込みや印象で決めつけられ、不利益を被っている人達がたくさんいる。そして私たち自身が、気づかずともそれに加担している可能性がある。

政治参加

私は、自分自身のセクシャリティをオープンにすることで周りもそれが当たり前になり、全てのセクシャリティがフラットになることを目指していた。しかし同性婚実現など、それ以前の大きい段階で変えていかなければ現状は変わらない。成人して参政権を持ち、政治に参加できるようになった以上は投票で意思表示をする必要がある。だが文字通りマイノリティである性的少数者は、多数決に弱い。だから、こうして当事者として発信する。
ほとんどのマジョリティの人にとってはこんなことは他人事で、なんだかめんどくさくて大変そうだなあくらいの認識だと思う。だからお願いするしかない。もし賛同してくれるなら、投票でもいい、拡散でもいいから、協力してください。

政治と野球の話は飲みの席でしてはいけない、というが(学生運動の盛んな時代の発想なので無理はないが)、その結果人々からは政治に参加しているという意識すら薄れ、投票率はどんどん下がり、今や民主主義はシステム崩壊の危機にある。普段から政治の話をしている人は思想が強いヤバい人だと言われ、生活と政治が切り離されている。たしかに、SNSで政治について主張している人は極端だったり攻撃的な人も多く共感できないのはわかる。政治を動かしてきたのは少なからず怒りのエネルギーだと思うが、それが多数の共感を得るのに効果的な手段かはいまいち疑問だ。だから私はひとまずこれを読んでいる人に伝えたい。投票に行こう。デモに参加しなくてもいい、SNSで主張しなくてもいい。ただ少し、各党の公約を調べ、どれか選んで投票するだけ。もちろん議題はLGBTQsに関することだけではない。全員に関係のある税金の話、社会保障など優先度の高い課題もたくさんある。その中で少しだけ同性婚についても考えてみてほしい。様々な立場の困っている人の側に立って、少しだけおせっかいをしてみてほしい。義務教育を受けて投票に行けるのに行かない人や、それを恥ずかしげもなく公言する人を、私は心から軽蔑する。どうせ変わらないから、と言って投票しないのは、不利益を被って投票で意志を伝えようとしている人の妨害に他ならない。
まずは民主主義を守るために。そして自分と、家族と、困っている人たちのために。
投票に行こう。

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