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【君どう】宮崎駿はどう死ぬか

"風立ちぬ"から10年

"風立ちぬ"が公開された2013年は、私が大学を卒業し社会人になった年でした。
公開当時は「宮崎駿はこの作品をもって長編アニメーション製作から引退します」という宮崎駿監督と鈴木敏夫プロデューサーの記者会見がニュース番組で報道され、自分としてはやっぱり宮崎駿は日本を代表する映画監督ですからもっと彼の新しい作品を見てみたいと思いつつ、当時の彼の年齢は72歳。映画を作るのは年齢的にも体力的にも限界かと自分に言い聞かせていました。
しかし!!
2017年。宮崎駿は引退宣言を撤回し、新しい長編アニメーションを制作していることを鈴木プロデューサーが明かすんですよね。
宮崎監督は以前から度々引退を宣言しては撤回を繰り返していたみたいなので、それを知っている方からすると「またいつものやつか」くらいの認識であるとか、一つの作品を作り終えると「これで引退になっても思い残すことはない」と思ってしまうくらいの熱量で創作に取り組んでいるからといった推測なのか憶測なのか分からないような話がネットを行き交っていました。
何にせよまた宮崎駿の新作を観ることができるということで、私のテンションは上がりまくっていました。

「宣伝はしない」という宣伝

ところが、新作のタイトルが"君たちはどう生きるか"であるということが発表されて以降、情報が途絶えました。
鋭意制作中であることは強調されていましたが新しい情報が明かされず、そうこうしているうちに公開日が発表されてしまいました。そして鈴木プロデューサーの口から「新作は宣伝を一切しない」戦略を取るという話が語られました。
徹底した秘密主義というと"テネット"のクリストファー・ノーラン監督とか、かつてのApple社のスティーブ・ジョブズCEOみたいですよね。
事前に明かされたのは

  • 鳥のような動物の顔が描かれたポスター。

  • 吉野源三郎の同名小説が作中に登場するが、映画の内容とは全く別物である。

  • 宮崎駿としては久しぶりの冒険ファンタジーになる。

くらいで、2023年7月14日。宮崎駿監督の最新作"君たちはどう生きるか"は静かに公開日を迎えました。

失われたものたちの本

特報とか予告とか、あらすじ声優主題歌といった直接的な宣伝はありませんでしたが、間接的な宣伝は仕掛けられていたんだなと今となっては思います。
それがジョン・コナリーの"失われたものたちの本"です。
数年前に刊行されたこの文庫本の帯紙のメッセージを寄せていたのが、他ならぬ宮崎駿だったんです。

- ぼくをしあわせにしてくれた本です。出会えて本当に良かったと思ってます。

書店で偶然この本を見つけた時に、宮崎駿が帯のメッセージをやるなんて珍しいなと思って買ったんですよね。まだ読んでいないんですが。(笑)
読んではいないんですが、あらすじの内容から察するにこの本が実質的な原作というか、この本に影響を受けてこの映画ができたのかなという感じがします。
普通だったらこの本を読んだ上でレビューするべきだと思うんですが、何だったら吉野源三郎の同名小説も読んでいません。(笑)
この映画について頭から離れなくなってしまったものを少しでも吐き出したくて言いたいことを言うだけの、単なる感想と妄想による解釈・考察になります。
もしお暇でしたらお付き合い下さい。


ここから先は映画の内容に触れますので徐々にネタバレをしていきます
まだこの映画をご覧になっていない方はご注意下さい。

宮崎駿が求める教養

この映画は"風立ちぬ"と同様に第二次世界大戦下の日本が舞台となっています。
主人公の牧眞人母親が入院していた病院で空襲による火事に巻き込まれ死亡してしまい、その後父親がナツコという亡き母の妹と再婚します。
当時はこういったことが実際にあったらしいですよね。
"もののけ姫"とか"風立ちぬ"や本作は、その物語の前提である時代背景を知っている体で話が進んでいくので、そういうところに敷居の高さを感じてしまいます。

パンズ・ラビリンス

本作は先程の"失われたものたちの本"という児童書が原作的な位置付けになっているので、やっぱり児童書みたいな、寓話みたいなファンタジーになっているんですよね。
そして本作ともう一つ良く似た作品があります。
戦時中親が再婚する子供が主人公のファンタジー。
ギレルモ・デル・トロ監督の"パンズ・ラビリンス"です。
別に難癖を付けたいのではなく、"パンズ・ラビリンス"も様々なおとぎ話や児童書から着想を得て作られた作品なので、結果的に似てしまったのだろうと思います。
でも"パンズ・ラビリンス"のような「クセ」はないです。そのクセを薄くして、宮崎駿の思い描くイメージを映像化させたのがこの映画であると思って頂ければイメージし易いのではないでしょうか。

アオサギとの邂逅

話が逸れました。
母親を失い、父が亡き母の妹ナツコと再婚し、眞人は戦争が大きくなる前に父と共に継母の実家に疎開することになります。
疎開先の最寄り駅に到着するとナツコが迎えに来ており、眞人は仕事に向かう父と別れ、ナツコと共に実家へ向かいます。
道中ナツコが眞人に「あなたのお母さんになる」と言い、ナツコの腹部に眞人の手を当てさせ子供を身籠っていることを教えます。彼女はそれをとても喜んでいると語るのですが、眞人は何とも言えない表情で聞いています。
実家に到着してナツコに家を案内してもらっていると、一羽の鳥が眞人と継母を掠めるように飛んできました。映画のポスターに描かれている鳥です。
ナツコ曰くこの家に住み着いている「覗き見のアオサギ」とのことで、眞人はこのアオサギに「何か」を感じ取ります。
ナツコの家は女中のようなお手伝いさんを多く抱えているようで、その女中たちがあまり品がないというか卑しさを感じるんですよね。ディズニーの"白雪姫"に登場する小人のような感じと言えば分かり易いでしょうか。
ナツコに眞人の部屋に案内され、眞人は疲れたのかベットに横になりうたた寝をしてしまいます。そこにシベリアと飲み物をトレイに載せて戻ってきたナツコが眞人の寝顔を見ている時の表情がまた何とも言えないんですよね。実際のところ、ナツコも上手くやっていけるか不安だったのかもしれませんね。

蛇の誘惑

アオサギは眞人がナツコの家で暮らすようになってからずっと監視しており、母親の夢を見てうなされているといった眞人の秘密を知っています。
アオサギは何度も眞人の前に現れ、彼を挑発し、を付き、誘惑します。
アオサギは旧約聖書でアダムとイブを誘惑した蛇のような存在なのかなと感じました。

- お母さん。お母さん。(煽り声)
- ようやく選ばれし者が現れたようです。
- あなたを母君の下へお連れしましょう。
- 失礼ですが、あなたは母君が死ぬところを見たのですか?
- お待ちしておりますぞ。

眞人はアオサギの悪意を感じ取っており、敵意を剝き出しにします。
アオサギが飛んで行った場所に向かってみると、眞人は「塔のような古い建物」を見つけます。
ナツコ曰く、

  • その塔はかつて先祖の「大叔父様」が造った。

  • 大叔父様はとても頭が良かったが本の読み過ぎで頭がおかしくなり、その塔に引き籠った

  • その後、読みかけの本を残したまま姿を消した

とのことで、あの塔に入ると何が起きるか分からないので近付かないようにと釘を刺されます。
冒険の予感がしますが中々始まりません。本作は冒険が始まるまでの過程がかなり丁寧に描かれています。

君たちはどう生きるか

眞人は母親のことが忘れられず、ナツコのことを受け入れることができていません。眞人曰くナツコは母親にとてもよく似ているらしいのですが、それが彼にとっては逆に辛かったのかもしれません。
これは私の想像ですが、

  • 母親を火事から救い出すことができなかった悲しみ、燃える病院をただ見ていることしかできなかった無力感

  • 見た目は似ているけど本当の母親ではなく、見た目が似ているからこそ母親と違うところが浮き彫りになり、それ故に感じる孤独

  • そしてナツコのお腹の中には新しい命が芽吹いており、近い将来自分の弟か妹が生まれるという戸惑い

といったところでしょうか。
眞人は見た感じ小学4年生か5年生辺りだと思うんですが、難しい年頃ですよね。何も分からないような年齢ではないし、かと言って何でも分かるような年齢でもないという。
そもそも何故眞人の母親は入院していたのでしょう
第二次世界大戦の時代ということは"風立ちぬ"の菜穂子のように結核を患っていたのでしょうか。それとも眞人が母親を入院させるような何か後ろめたいことをしてしまったのでしょうか。
入院の理由が作中で明かされないのでこれも想像するしかないですが、眞人は時々不可解な行動を取ることがあります
例えば、

  • 母親が入院している病院が燃えていることを知って父と共に家を出るが、何故か服を着替えに家に戻る

  • 転向した学校の生徒と喧嘩をした後に自分で頭に石をぶつける

  • アオサギに挑発されてポケットからナイフを取り出す。

  • 女中に煙草を渡してナイフの研ぎ方を教えてもらうなどの取引をしたり、その取引のためにつわりで寝込んでいるナツコを見舞った際、部屋にあった煙草をくすねる

などです。
ポケットからナイフを取り出した時はザワザワしましたね。恐らく女中との取引で手に入れたものと思われます。父親にかまって欲しくてという感じだと思うんですが、難しい年頃という言葉では済まされない危うさがありますよね。
その父親も子供を車で学校の校庭まで送ってしまうような人ですし。
ある日眞人がアオサギを攻撃するための弓矢作りに夢中になっていると、机に置いてあった本を何冊か床に落としてしまいます。
落とした本を拾っているとその中に「大きくなった眞人さんへ」と書かれた見覚えのない本を見つけます。それは"君たちはどう生きるか"というタイトルの本で、亡き母からの贈り物でした。
眞人は戸惑いながらも母が遺した本を読み耽り、涙を流します
その後、家の外が騒がしいことに気付いた眞人は、女中から「ナツコが姿を消した」ことを教えられます。
眞人はその日の早い時間に森の方へ向かうナツコの後ろ姿を目撃しており、家でアオサギを見掛けていないことからナツコはあの塔に導かれてしまったのだと確信します。

- あなたを母君の下へお連れしましょう。
- お待ちしておりますぞ。

眞人はアオサギの誘惑を受け入れ、家から離れる眞人に帰ろうと促す煙草好きの女中を引きずりながら、ナツコを連れ戻すためにあの塔へ向かいます。
部屋に読みかけの本を残して。

二冊の本の関係

あの塔に向おうとしている時に、眞人は煙草好きの女中から「あなたはナツコさんが居なくなればいいと思っているのにそんな人を助けに行くのはおかしい」と指摘されます。
その指摘はもっともですよね。
眞人はナツコを受け入れることができていません。ナツコがつわりで具合が悪くなった時も無関心で、彼女を見舞ったのも女中と父親に「顔を見せてあげて欲しい」とお願いされたので仕方なくくらいの感じでした。そんな彼が何故ナツコを連れ戻そうと思うようになったのでしょうか。
その理由は作中で明かされませんが、恐らくというか十中八九"君たちはどう生きるか"を読んだからですよね。
眞人の心境の変化を理解するには吉野源三郎の同名小説を読む必要がありそうですが、死者である母親に囚われていた眞人が、彼にとって「失われた者」である母親が遺した本を読んで涙を流し、母の妹である生者のナツコを連れ戻すことを決意する。私はそのように解釈しました。
だから"君たちはどう生きるか"と"失われたものたちの本"はイコールの関係にあるのではないかと考えています。

塔の中の世界

森の奥には例の塔の入口がありました。入口にアルファベットの文字が書かれているのですが何と書いてあるか分かりません
中に進むとアオサギが現れ、奥のソファーには女性が仰向けになって横たわっています。女中は「罠です」と眞人を止めようとしますが、顔を確かめるため眞人は「分かってる」と言ってその女性に近付いて行きます。
顔を確かめると横たわっていたのは本当に母親だったようで、眞人は母親を呼びかけますが反応がありません。反応がないので母の身体を手で触ってみると水になって崩れてしまいました
眞人は「何故こんなことをするんだ」と言ってアオサギを非難します。すると上の方から赤い薔薇が落ちてきて割れて老年の男性の声が聞こえます。
この赤い薔薇は何を表しているんでしょう。美女と野獣

- お前がこの世界を案内するのだ。

すると足が床にめり込み始め、眞人と女中とアオサギの身体が次第に飲み込まれていきます
こうして彼らの冒険が始まります。

宮崎駿はどう死ぬか

ここから先は本当に難解で、正確に理解するには"失われたものたちの本"を読む必要があるのかなと感じているのですが、未読のため自分なりに感じたことをまとめていきたいと思います。

死の世界

私が感じたのは、この映画の物語が"古事記"の「イザナギとイザナミ」の話をモチーフにしているのではないかということです。
これは「亡き妻のイザナミを連れ戻すため、イザナギが黄泉の国を訪れる」という物語の日本神話です。
そしてこの映画は「行方不明となった母のナツコを連れ戻すため、眞人が塔の地下世界を訪れる」という物語です。
似ていると思いませんか?
もしこの説が正しいとしたら、この地下世界は黄泉の国。つまり「死の世界」と言うことができるのではないでしょうか。
でも死の世界であると断定できる程の自信もないのでもう少し平たく言うと、あの世とこの世の狭間の世界とか、生と死の間の世界という感じですかね。過去と現在が綯い交ぜになっていて、時間の流れも現実世界とは違う
とても観念的というか抽象的というか、宮崎駿の死生観を垣間見ているような感覚ですね。一言で言うと暗いんです。雰囲気が。静寂と悲哀に包まれた世界なんですよね。

お前、死ぬのか?

宮崎駿はこれまで引退宣言と撤回を繰り返してきましたが、この塔の世界を見ると「長編アニメを引退するかしないか」という次元の話ではなく、自分の人生からの引退。つまり彼には自分の「死」の可能性が頭を過っているというか、彼にとって「死」というものが遠い存在ではなくなってきているのかなと感じました。
こんなのは勝手な妄想でしかないのですが、ここ数年で世界は大きく変わりました。2018年には彼の師匠である高畑勲監督が亡くなられたり、2019年末からは新型コロナウイルス感染症の世界的な混乱。そして彼の現在の年齢が82歳であることを考えると生きることに対して弱気にもなるだろうし、「死」を意識するだろうし、「死」と向き合わざるを得ないのかなと感じました。

- 生きることは誠に苦しく辛い。
- 生きろ。

"もののけ姫"より

それぞれの作品で多少言い方は違いますが、"もののけ姫"以降宮崎駿は我々に「生きろ」と言い続けてきました。彼は生きるということに対して綺麗事を言わないんですよね。
アニメーションは子供のものである」と言って子供のためにアニメを作っている人がアニメで子供に「現実」を突き付けるというのが凄いと思っていて、決して綺麗事を言わないからこそ信頼できるし、彼のような力強くエネルギッシュな人でもおセンチになることもあるのかと考えると何だか親近感が湧いてきます。

死と新生

眞人が目を覚ますとそこにはが広がっており、女中やアオサギはおらず一人で島に立っていました
島を歩くと目の前に金色の大きな門が建っていました。その門の上部には「我を学ぶ者は死す」と書かれており、奥にこぢんまりとしたストーンヘンジのような石の祭壇があるのが見えます。
門に近付いて開けるか開けまいか考えていると大量のペリカンが眞人に襲いかかり、門を無理矢理こじ開けてしまいます。
そこに通りすがりの若い女性の船乗り火の力を使ってペリカンを追い払います。
門をこじ開けたので祭壇に祀られている石の神が目を覚ます可能性があるということで、彼女は火の力で眞人に何かを施し何かを唱えることで石の神を鎮めてくれました。
彼女はどうやら眞人を助けてくれるようで眞人はその船に乗り、行動を共にするようになります
二人は道中で大きな魚を捕獲し、市場のような場所に持って行きます。市場には人の姿をした何かが沢山いるのですが、この世界で「殺し」を許されているのは彼女だけなんだそうです。
そこで眞人は魚の解体を経験します。
その後彼女の家の場面に移り、眞人は家のリビングのダイニングテーブルの下で寝ているのですが、彼の周りには実家にいた女中たちにそっくりな人形が置かれています。彼女が言うには眞人を守ってくれているのだそうです。
眞人がベランダに出て用を足していると、夜空に白くて丸い何かが浮かんでいるのが見えました。眞人がその様子を見ていると彼女が家から出てきて、それは「ワラワラ」であると説明してくれます。
彼女によるとワラワラは熟すと膨らんで浮かび、上空へ飛んで行くんだそうです。つまり眞人がいた地上の世界で「生まれる」ために飛んでいるようで、彼女はそのワラワラの旅立ちを守護しているとのことでした。
しばらくすると、眞人を襲ったペリカンたちが遠くから飛んできてワラワラを食べてしまいます。彼女がそれを止めようと動き出すと、別の誰かが火の力を行使しペリカンたちを追い払います。
力の出処を辿ると海の上に小さな舟が浮んでいて人影が見えました。彼女は「ヒミ様がワラワラを守ってくれた」と言って大声で感謝を伝えます。
家の中に戻ると眞人は彼女のことを「キリコさん」と呼びます。眞人は彼女の名前を「知っていた」というか、名前が「分かった」のです。何故なら彼女は、姿は若いですが眞人と共にこの世界に落ちた「煙草好きの女中」その人だったからです。
外で物音が聞こえたので眞人がもう一度ベランダへ出ると、ヒミ様の攻撃を受けて傷付き今にも死んでしまいそうなペリカンが一羽横たわっていました。そのペリカンは、海に食べる物が殆どなくなってしまったので自分たちはワラワラを食べるしかなくなったという話をして息絶えます。
するとアオサギが何処からともなく飛んで来て、眞人に「ここにナツコはいない」と言うと眞人は「分かってる。自分で探すから僕に構うな」と言って口論になり眞人は部屋に戻りますが、結局見捨てることができずアオサギを家に迎え入れます。
キリコから仲直りするように言われて、二人は翌朝からナツコを探す旅に出ます。旅に出る前にキリコから年老いた彼女にそっくりな人形をお守りとして渡され、二人はキリコの家を後にするのでした。

「我を学ぶ者は死す」とは

金色の門に書いてあった文字と塔の入口に書かれていた文字は恐らく同じだと思うんですけど、どういう意味なのかはさっぱり分かりません。
」って誰のことなんでしょう。

火の力とは

火の力は、眞人の母親が火事で亡くなったことが関係しているとは思うんですけどね…。分からない。

市場にいた人たち

この人たちは何なんでしょう。
何となくですが、この人たちがやがてワラワラになるのかなと感じています。

ワラワラとは

ワラワラは"もののけ姫"に出てくる「こだま」みたいですよね。その程度しか分かりません。生命の循環みたいな話なのかなと考えているのですが、メタっぽく考えている人も結構いるようです。

ヒミ様とは

キリコと同じく火の力を使う「ヒミ様」は子供の姿で、この後も登場して眞人を助けてくれるのですが、その正体は恐らく眞人の実母「ヒサコ」です。
ヒサコは子供の頃に行方不明になり、姿を消してから一年後に全く同じ姿で帰ってきたということが作中で語られているので、その間にこの世界に入っていたものと思われます。
そしてその時に恐らくキリコも一緒だったんだと思います。キリコも行方不明だったという話は作中では出てこないのですが、この世界が崩壊していき時の回廊で地上の世界に帰る時にヒサコとキリコが一緒に帰るので、若い姿だったのはこれが理由かと考えております。

どうして「鳥」なのか

この映画には鳥が沢山出てくるし、老女中のキリコが「私は鳥目なんだ」と言う場面もあったり、とにかく鳥を連想させる要素が多いんですよ。どうしてなんですかね。
鳥目」の意味を調べてみると、鳥のように夜になると物が見え難くなる目の障害とあります。うーん。だから何なのか…。
よく分かりませんが、この映画において鳥は人間の「悪意」を象徴しているんだと思うんですよね。
嘘を付いたり挑発したりしてくるアオサギ食べ物がないからワラワラを食べていたペリカン。あれが悪意です。
アオサギは恐らく大叔父様の執事のような人で、裕福な大叔父様の家を乗っ取ろうとしていた、あるいは利用しようとしていたんじゃないかと想像しています。
ペリカンは強者が弱者を虐げる暴力や弱肉強食とか、子供や会社に入った新人を食い物にする悪い大人みたいなものを象徴しているのではないかと私は解釈しています。
悪意とはみたいな話は後半も出てきます。

結局は何も分からない

要するに何も分からないということです。
頭の中はハテナだらけですよ。(笑)
自分の解釈としてはやっぱり宮崎駿は自分の死に直面していて、これまでの人生で監督としてどんなものを作ってどんなものを遺したかを総括し、そして自分がどのように死ぬのかということを深く深く熟考し、自身の「地下世界」(深層心理)に潜って行ったのかなと感じました。

大叔父様

キリコの家を後にした眞人とアオサギは鍛冶屋の家を訪れます。鍛冶屋なのか火事屋なのか分かりませんが、アオサギによるとそこを通らないとナツコがいる場所には辿り着けないとのことでした。話し合いの結果、アオサギが見張り番であるインコを引き付けている間に眞人が家に侵入するということになりました。
家に入ってみると中にはインコが沢山がいて眞人は彼らに食べられそうになり、そこをヒミ様に助けてもらいます。
助けてもらう時に、眞人が「ナツコを助けたい」と言うとヒミ様から「ナツコは母親なのか?」と聞かれて、眞人は「お母さんは死んだんだ」と告白します。するとヒミ様が「私と同じだな」と言うんですよ。ここでヒミ様も眞人と同様に母親を失っていることが示唆されます。
火の力でヒミ様の家に移動し、ナツコが囚われている場所に向かいます。そこはインコ大王の王国で、大量のインコが城に仕えています。彼らは軍国主義に傾倒していく日本を表しているのではないかと考えています。
インコの隙を掻い潜り、彼らはナツコがいるとされる「産屋」に辿り着きます。この産屋が先程出てきた「石の祭壇」に繋がっているのではないかと考えています。根拠はありません。(笑)
産屋の入口で、眞人はヒミ様から「入らない方がいい」と言われます。眞人は「ナツコさんを連れて帰る」と言い返しますが、「ナツコは帰りたくないと言っている」とヒミ様に言われます。しかしナツコと帰ることを心に決めている眞人は、ヒミ様の忠告を押し切って産屋の中に入っていきます。
中に入ると中央にナツコが横たわっていて、眞人が「ナツコさん」と呼び掛けます。するとナツコは目を覚まし、物凄い形相で「何故ここにあなたがいるの?帰りなさい!」「あなたなんて大っ嫌い!」と拒絶され、ナツコの周囲に舞っていた紙垂が眞人に襲い掛かります。しかし眞人は諦めず、ナツコを呼び続けます。
「ナツコさん!」「お母さん!」「ナツコお母さん!
そう呼ばれてナツコははっとします。良いシーンなんですよね。
その後ヒミ様が産屋に入って来て火の力で紙垂を焼き尽くし、気を失った眞人とナツコを助けようとしますが石のビリビリによってヒミ様も気絶させられてしまいます
そして気絶した眞人の夢の中に大叔父様が出てきて「この世界の後継者となって欲しい」という話をされます。目を覚ました眞人は大叔父様に会うため、何よりヒミ様を助けるため、アオサギと合流しこの世界の頂上を目指します。インコ大王もこの世界の異変を察知して、捕らえたヒミ様を連れて大叔父様のところへ向かいます。

石の意思と、世界の均衡

この世界の「石」には意思がありますビリビリするんです。洒落ではありません。(笑)
作中で説明がないのでこれも私の想像ですが、石とは隕石のことだと思います。
元々この塔は、先々代の時代に空から隕石が降ってきて、それを発見した大叔父様がその魅力に取り憑かれて建物で覆ったことによってできたという経緯が作中で語られています。
この世界に「石」を崇拝しているような描写が散りばめられていることからも、この地下世界は空から飛来した隕石の何らかの力と大叔父様の想像の力によって維持されているのではないかと考えています。
しかし大叔父様の想像の力が衰え、この世界を維持できなくなってきているので、その後継者を探していたのだと思います。
眞人が産屋に入ろうとした時と、ヒミ様が産屋に入って眞人とナツコを助けようとした時に石はビリビリしていました。産屋に入るのは禁忌とされていたようなので危険を察知したのでしょう。この世界を脅かす者が現れたのではないかと。

積み木と悪意、曇りなき眼

一足先に頂上に辿り着いたインコ大王は、眞人やヒミ様が禁忌を犯したことを大叔父様に報告します。
インコ大王と大叔父様の関係は日本の総理大臣と天皇の関係を表しているのではないかと思います。
インコ大王が総理大臣で、大叔父様が天皇です。
眞人とアオサギはヒミ様と再会し、大叔父様の下へ向かいます。その後ろをインコ大王が尾行します。
大叔父様がいたのは石が散らばった庭のような場所でした。彼の頭上にはこの地下世界を生み出した隕石か浮かんでいます。
眞人は大叔父様から、この世界にもう時間が残されていないこと、後継者は大叔父様と血縁関係のある者で、かつ「悪意のない者」でなければならないということを聞かされます。そして眞人は後継者として、「13個の穢れのない積み木を3日に一つずつ積み上げてこの世界の均衡を保ちなさい」と言われます。しかし眞人はその中に木製ではなく鉄製の積み木が混ざっていることを見抜き、悪意があることを指摘します。ここはちょっと"千と千尋の神隠し"っぽいですよね。また眞人は石をぶつけてできた「頭の傷」を見せ、自分にも悪意があることを告白します。頭の傷は彼の悪意の象徴なんですね。
悪意のある者がこの世界の主になることはできません。しかし悪意を見破るというのは現実世界を生きる上でとても大切なことなのです。何故なら、現実世界は嘘や暴力や悪意で満ちているからです。そんな世界に嫌気が差して大叔父様やヒサコは悪意のない理想郷であるこの想像の世界に救いを求めたのでしょう。
ナツコもそうだと思います。ナツコは眞人から嫌われていることを知っていましたが、それを悟られないようにしていました。しかしつわりも酷くなるし、どんなに努力しても眞人に懐いてもらえないことに絶望してこの地下世界に誘惑されたのだろうと考えています。

- 曇りなき眼で見定め、決める。

"もののけ姫"より

人に嘘を付かれたり、裏切られたり。現実世界で生きていくのは辛いけれど、ゆりかごのような安らぎの世界に閉じ籠るのではなく、アオサギのような友達を見つけて、悪意を「曇りなき眼」で見定め、何が正しいのかを決める。そんな風に「生きていきたい」と、眞人は大叔父様に告白します。ちょっと言っていることが庵野秀明っぽいですよね。
そして眞人がやらないのならとインコ大王が勇んで積み木を積み上げてみると積み木は崩れ、世界の崩壊が始まります。
これは民主主義から軍国主義に積み木を積み替えた結果崩壊してしまう日本を暗示しているのではないかと考えています。

この映画で気になったこと

老人の描かれ方

この映画に出てくる老人って大体嫌な奴なんですよね。悪意があるんですよ。卑しい女中とか、アオサギの中の人も老人っぽいし。でも地下世界に出てくる若いキリコは悪意のない善い人なんですよね。
何故なんでしょうね。
やっぱり長く生きるとその分人の良いところも悪いところも見えてしまうし、自分の限界も見えてきて卑屈になってしまったり、年の功的なずる賢さも出てくるからなんですかね。

子供を産む人を食べない理由

眞人が鍛冶屋の家に入ってインコに食べられそうになった時、彼らに「ナツコさんのことも食べっちゃったのか?」と聞くと、彼らは「ナツコはお腹に赤ちゃんがいるから食べない」と言います。
これも何故なんでしょうね。
私が思うに、この地下世界において「創造」をしない人間は無価値とみなされているんじゃないかということです。
この世界は(隕石の力と)想像の力によって維持されているのではないかという仮説に基づいて考えると、この世界で重要視されているのはイマジンクリエイトなんです。
だから子供を産む、つまり(命を)創造する者は必要だから食べないけれど、何も生み出さない者は必要ないから食べる。そういう理屈なのかなと考えています。

扉を開けるということ

この映画には眞人が扉を開けるシーンが妙に多いと思うんです。

  • 自分の部屋の扉を開け閉めするシーン

  • 「我を学ぶ者は死す」の門の前に立つシーン

  • 鍛冶屋の家の扉をノックしようとするけど結局しないで開けるシーン

  • 時の回廊でインコから逃げるためにヒミ様と二人で扉を開けるシーン

  • 大叔父様のいる場所に入る直前の謎の空間に現れた扉を開けるシーン

  • 崩壊する地下世界からみんなで脱出する時に時の回廊で扉を開けるシーン

ちょっと挙げただけで結構あります。「扉を開ける」という行為そのものを象徴的に描いているような気がするんですよね。

- 扉を今開け放つ 秘密を暴くように

これは米津玄師による主題歌"地球儀"の一節です。
扉を開けないと何も始まらないんですよね。扉を開けることによって初めて世界が開かれるというか、それによって人は未知の世界に飛び込み、この世界と関わっていくんじゃないですかね。
考え過ぎでしょうか。(笑)

忘れるということ

時の回廊を抜けて現実世界に戻った時、眞人はキリコからもらった人形と地下世界の石をこっそり持ち帰っており、それが原因なのか眞人はあの地下世界の出来事を覚えているらしく、アオサギから「普通は忘れるんだよ」「忘れろ」「まあいずれ忘れるだろうけど」と言われます。
ヒサコは全く覚えていなかったようですが、どうして忘れないといけないんでしょうか。眞人は忘れない方が良いような気がするんですけどね。
少なくとも自分は忘れられません。忘れられないからnoteに書きまくっているんですよね。(笑)
人は良いことも悪いこともいつか忘れてしまいます。でもそれでいいんです。むしろ忘れるから生きていけるみたいな側面があると思います。忘れるからこそ人は前に進むことができるのです。中には忘れない方が良いこともあるとは思いますが。
でも忘れられないということはそれに囚われているということになってしまうので、そうならない程度にバランスを保つことが大切なんですかね。
13個の積み木を積み上げて世界の均衡を保つ」なんていう話を最近何処かで聞いたような気がします。

生きろ。

だからやっぱり「生きろ。」なんですよね。この映画のメッセージは。
でも以前のような勢いはないです。"もののけ姫"の頃は「生きろ。」というメッセージで観客をぶん殴っていたと思うのですが、本作では静かです。
(僕は死ぬけど、君たちは)生きろ。」みたいな感じですかね。遺言みたいな。
何だか悲しいですよね。あれだけ「生きろ。」で殴り倒していた人がこんなに弱々しくなっちゃうのは。
だから私は宮崎駿に言いたい。
「弱気なこと言ってんじゃない!」「生きろ。」と。

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