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暇でも動けない辛さ。ADHDとドーパミン。

暇だけど、散歩に行くことなんてできない。家から出る意欲なんて湧いてこない。

ドーパミンが出るような、刺激的な楽しいことがないと、家から出たくなるような元気は出てこない。

今日読んだ研究では、ドーパミンの枯渇した動物の自発的活動量がなんと50%も優位に減少したという実験結果。どうりで動けないわけだ。

ドーパミンは、よく誤って、その物質そのものが快楽を感じるかのように書かれている記事を見かけることがある。
しかし、ドーパミンそのものが快楽を発生させるのではなく、「楽しい!」「美味しい!」と感じられるような刺激を受けたときに、
その行動を「もっとやりたい」と活動につなげてくれるような働きをしている部分がドーパミンだ。

たとえば、「このケーキ美味しい。」→「もっと食べたい!」→「食べよう。」→食べる。この、もっと食べたい、食べよう、のところを担っているイメージ。

さて、
定型発達の人が普通に行動できてしまうようなところを、ADHD人はかなりエネルギーをつかって乗り越える感じ。
普通の人がやる気を出さなくてもできるようなことを、ADHDの中のドーパミン調節不全がある人だと、そこでつまずいてしまう。
やりたいとどうしても思えないのだ。

何もできないでいると、
一日家にいること、運動不足であること、
そんな状態に罪悪感を感じるし、妙な焦りのようなものが沸き上がってくる。

されど動けない。

動く理由がない。
そうすると動けるわけない。(笑)

そんなのが、ADHD気質があると辛いところ。
うつ状態と違うのは、食欲もあるし、楽しいことをしたいという気持ちはある点だ。

快楽を求めている。だって楽しいことがしたいし、本来は冒険好き新しい事好きのADHD。

それが、楽しい事がないと、眠れないというよりも、むしろ過眠傾向になってしまったりする。そして極端に動けない。

そして、心の奥底では、
「楽しいことがしたい。暇だけど、辛い。」
楽しいことをしたいという静かな炎がくすぶっている。それが不完全燃焼で炎が燃え上がる前に、煙が出て、プスプスとこげる程度で煙が出て灰にになっているような。

湿気を含んだ蚊取り線香に、火をつけようとしてかろうじて煙が出たけどすぐに消えてしまったみたいな。

時間を無駄にしているような気がしたり、世間の人々が忙しく動き回っているのにもかかわらず、家から一歩も出ずに一日が終わっていく…。

繰り返しになるけれど、こういう状態はなぜ起きるかというと、怠けているわけではない。

ADHDは、意欲や行動を促すドーパミンの代謝が定型発達と比較して混乱している。簡単に言えば、脳がドーパミンを正しく受け取ることができず、定型発達の人とは異なる反応や感情につながっている。
単に少ないというよりも、ドーパミンがチョロチョロとすこししか分泌されなかったり、かと思ったらちょっとの刺激で一気にどばっと出てしまったり。
ドーパミンは、私たちの体内で自然に生成される神経伝達物質で、学習とモチベーションを調節している。この神経伝達物質は、さまざまな理由で必要となるけれど、社会生活を送る中でキモになってくる、行動するためのトリガーみたいなものだと私は理解している。)

結果として何が起こるかというと、目先の快楽を優先する。
たとえば私だったら、スマホでマンガを読むとか。
楽しいことを求めているのだけれど、体を動かして何かをするまでのやりたいことは存在せず、

そうすると、一番手近にあるスマホで簡単に楽しめる行動に走ることになるのだ。
ADHDの特徴として、すぐに楽しさや快楽を満たしてくれるものに走るというのがある。

ADHDが依存症になりやすいのも、目先の快楽を優先しやすいこのメカニズムが標準装備であるからというのがあると思う。

スマホってやつは、ただでさえ依存させるように作られている代物だから、
ADHDなどの神経発達症の傾向がある人たちにとってはさらに依存しやすいという。(ただしADHDは、飽きるという一面もあるから、一通りやりつくして寝落ちしたり、はたまたたまたま出てきた料理の広告などで、「あっそういえば○○食べたい!」と、食欲がきっかけで動けることはあったりする。)

ドーパミンが学習とモチベーションに与える影響

まずもって、学習とモチベーションは、私たち人間としての生活の不可欠な部分。私たちは生まれたときから、自分で歩いたり食べたりすることを中心に、常に学び続けている生き物だ。

学んで、行動し、また学んで、また行動する。
行動することで、新たな学びが産まれ、そして進化していく。

ドーパミンは、私たちの体内で自然に生成される神経伝達物質で、学習とモチベーションを調節している。

モチベーションは、特に大人になってからは、学習や行動することと本質的に関連している。モチベーションがないと、学び続けることは難しく、それを求めるための行動にもつながらないというわけだ。
人間の社会では、色々なことが目まぐるしいスピードで変化している。

その世界のスピードについていくためには、生涯を通じて学びを続けなければならない。

でも、悲しいかなADHD人はドーパミンをせっかく分泌したと思ったらトランスポーターがさっさとそれを回収してしまい、結果的に十分な量のドーパミンが出ない。
ドーパミンというのは、過剰だとイライラしたり、攻撃的になって、不眠になったりする。
一方で、足りないと、うつになったり、無気力になったり。動くことが億劫になる。

ADHDの記事を読んでいたりすると、対処法に関してみんな好き勝手に色々書いているけれど、そもそも自分のドーパミントランスポーターの検査をしているわけではない人がほとんどだと思うし、ドーパミントランスポーターを抑制する内服治療をどのくらいしているかとか、年齢も性別も、食べるもの生活習慣も違うわけで。

人が楽しいと感じることも、自分も楽しいと感じるかはそれこそわからない。

私は今、「こういうことがいいですよ」という勝手なお勧めをするつもりはない。

あえて言うとすれば、この億劫さは、ドーパミントランスポーターが、ドーパミンを再取り込みしすぎてしまうせいだという事。

ADHD傾向の強い自分にとっては、こういう科学的な事実が気休めになる。
「なんで動けないんだろう」というふうに自分を責めがちになって辛いとき、この事実に立ち返りたい。

発達障害に関して、科学的な根拠があってもまだまだ研究がされていて、不明確なこともあるし、研究の結果などを見てみても、全員が当てはまるってことはなく、「有意差があった」という中には、もちろんなかった人なんかもいるわけで。
ただし、単にどこかで誰かが言っていたことや謎の肩書のYou tuberのまとめを鵜呑みにするよりは、研究結果の原文を読んでみるほうが私には説得力はある。

あと、変なこだわりもあって、うわべのまとめをしている人をちょっと軽蔑した目で見ている。
「何を根拠に?」「そもそも、脳の機能とか生理学の勉強の基礎も学んでいないのに、神経伝達物質のこと一つを取ってきて何がわかるんだ」ということ。そして相変わらずの、「発達障害と聞けば視聴者が食いつくとでも思っているのだろうか」という批判的な軽蔑と怒りとが混ざっていく。

と、長々書いてしまったが、ADHD人がモヤモヤぐずぐずしてしまうのは、
その環境が合っていないのかも。
冒険したくなるようなことが発生すれば動けるから。
でも一方で、日常というのは退屈なものなので、それで動けなくても仕方がないという。

キラキラしている人たちはどうしても目立つから、そういう人を目にすると自分がひどく劣っているような、悪いことをしているかのような気持ちになることがある。
わたしは、発達障害という言葉自体には、発達が未熟なわけでもないし、名称の日本語訳のされ方が嫌いだ。
しかし、この部分に関しては、それこそ「脳の機能の障害」と言ってもいいのかもしれない。

創りは、当人が望んでも、変えられるものではない。
その機能不全で、ちょっとした日常が、動けないということが、こんなにも苦しい。

欲しいのは、治療薬などではなくて、
こうやって動けなくなることが許されることなのかもしれない。





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