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だれにも聞こえない学年末試験

いま働いている学校における、最後の試験を作っている。

もともと5ヶ月しか在籍しない契約であったため、最初からこの試験のアイデアを考え、あとからそれを目指すための授業を考えた。

英語を担当したのはラッキーだった。数学や日本史よりは落ち着いてゆっくりと教えることができるからだ。

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学生たちはふだん、焦りを隠しきれない教師たちに、とてつもないペースで科目を教わっている。

教師たち自身ですら「5日前にどんな話を、どんな順番でしましたか?」と質問されたなら、答えられないだろう。

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生徒たちも、いつかは学校を去る。そのとき、焦った教師からたんたんと説明されたことを忘れる。

目の前の試験にだけ対応できる知識を蓄え、試験が終わればそれを捨てる。

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私は、むしろ学校を去ったあとに使えそうなことを中心に伝えた。

そのため、私は2ヶ月かけて、6つの英文しか教えていない。

それでも、その6つの構造をしっかりと理解し、自分でも使いこなせるようになるには、とてつもないトレーニングが必要になる。

そして、その6つの文法と発音を把握し、自分で使いこなせるなら、世の中にあるたいていの試験でそこそこの点を取れると思う。

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学力テストは、いつの間にか記憶力バトルのようなものになってしまった。

いや、もしかしたら最初から記憶力バトルだったのかもしれない。

いまの試験の原型になったのは、第一次世界大戦におけるフランス軍の入隊試験だ。

当時のフランス軍は強かったのだろうか。

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ここ数年、政府が英語の教えかたをところどころ修正している。

中学校では、英語を喋ったり書いたり、ネットで調べる時間を授業に取り入れるようになった。

政府も焦っている。

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ちょっと言語学の話題に入ってしまうが、言葉の音韻化は、習得にとって不可欠だ。

「Avicii」がどんな音なのかわかりますか?「クリスチャン・ディオール」の本当の音を声に出すことはできますか?

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いま教えている生徒たちのほとんどは、英語を音韻化できていない。それを育てる時間を与えられなかったからだ。

試験を出すほうも、それを受けるほうも、英語の音なんてあまり気にしていない。

書類として残らないし、それではアリバイにならないからだ。