見出し画像

超越主義:自分の手で真実って掴めるの?

宗教とかスピリチュアルはでたらめだ、自分自身で真実を掴むのだ。という人やそういうメッセージに触れるたび、「それって、けっきょく自分の好きな物に操られるだけじゃないのかな?」と思ってしまう。


自分で体験したからって

アメリカでは19世紀〜20世紀に『超越主義(ファンダメンタリズム)』として、そういった生き方が確立された。古いヨーロッパのキリスト教から卒業したいという思いも強かったのだろう。昔のアメリカ人は新しい大地で「自分で直接体験して真理を掴むのだ」という生き方に走った。

やがてそれはプラグマティズムへと繋がる...しかし、宗教を捨てたからといってその反対側に真理があるとは限らないというのが私の意見だ。

というか、むしろヨーロッパでさんざん議論された『認識できないことは断定できない』というカント的な思想の前の時代に逆戻りしてるようにも見える。自分が生きている時代の、自分に移動できる場所までというきわめて限定的な範囲でどう判断を下せばいいのか。


たとえば「学校の勉強は人生にとって無意味だ」といって退学したとして、学校の外に有益な知性がある保障なんかないよね、と思ってしまう。外でいろんなことを体験して、いろいろ考えて、その上で出した結論が教科書の内容とほとんど同じというパターンもあるのではないか。


自分を信じて?

1995〜1998年あたりの日本のヒット曲には「自分を信じて」という意味の歌詞がよく出てくる。

私はこれを、地下鉄サリン事件に対するアーティストの反応だと考えている。

宗教に洗脳されるな、自分を信じよ...

しかしこの場合、その自分が感動したことや喜んだこと、もしくは自分が最も恐れていることが生き方の基準になってしまうような気がする。

ようするに、世界に対する自分の反応が全てになる。だからこそ音楽作品なんかでは「愛こそすべて」とかいう結論になるのだろうけど。


「答えは風の中」っていうのもあったね。