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出光佐三の生きざまと、働くことの意義(第2部)

さて、ここからは第2部です。これは本当に難しいテーマですが、今回は「働くこと」というテーマにチャレンジしたいと思います。
 
初めにお断りしておきますが、第2部を書いているうちに、あれもこれもと引っ張り込んでしまい(私の悪い癖で)、前半は、だいぶ出光と関係ない話になってしまいました。
 
ただ、結論で「働くことの意義」を導出する過程で必要なことですので、一時的に本筋から離れることについて予めご了承ください。
 
1 働き方に関する最近の動向
(1) ワーク・ライフ・バランスとは
昨今、日本社会に浸透してきたワーク・ライフ・バランス(注1) ですが、実際は単純にワーク(仕事)とライフ(私生活)のバランス(調和)を図ることだけではないようです。
 
(注1) 2007年に内閣府が定めたワーク・ライフ・バランス憲章では「国民ひとりひとりが、遣り甲斐や充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる社会」と定義

「仕事と生活の調和」推進サイト
内閣府

ワーク・ライフ・バランスという言葉や考え方(注2) 自体はさほど目新しいものではなく、1980年代のアメリカで、女性の社会進出ととも生まれたといわれています。
 
(注2) キリスト教圏の社会には、アダムとイブが楽園を追放されてから、人間は食べるために働かざるを得なくなったため、「労働は苦役」との概念が根底にあるという
 
政府は、ワーク・ライフ・バランスを「仕事と、育児や介護、趣味や学習、休養、地域活動といった私生活との調和をとり、その両方を充実させる働き方・生き方」と定義し、私生活が充実することで仕事のパフォーマンスも向上するという好循環を生み出すことを目指しています。
 
(2) 働き方改革とは
そのような中、2018年6月に第4次安倍政権下で「働き方改革関連法」(注3) が賛成多数で可決、成立しました。
 
(注3) 正式名称は「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律」で、労働基準法、労働時間等の設定の改善に関する特措法、派遣労働者の保護等に関する法律など、8つの関連法を改正するための法律

雇用・労働「働き方改革」の実現に向けて
厚生労働省

すなわち、政府目線でいうところの働き方改革とは、「一億総活躍社会」の実現に向けた取り組みのことであり、背景には激減する労働人口への危機感があります。
 
具体的には、女性、高齢者、障害者などの働き手を増やし、長時間労働や格差を是正し、出生率を上げ、育児しやすい環境を整え、生産性の向上を目指しています。
 
(3) 働き方に関する実態は
あれから3年が経ち、果たして日本人の働き方はどの様に変化したのでしょうか。
 
実際には、それぞれの会社・組織によって事情は様々であり、未だ一概にこうとは評価し切れないと思いますが、確かに周りを見れば働く高齢者や障害者は増えているようであり、少なくとも、そのような機運に弾みがついたことは間違いなさそうです。
 
しかし、一部には弊害も。
 
たとえば、こういう言い方は語弊があるかもしれませんが、「ヒマなヤツが益々ヒマになり、忙しいヤツが益々忙しくなった」とか。
 
上層部は、やれワーク・ライフ・バランスだ、働き方改革だといっては「どんどん休め」と言うので、「何て寛大な上層部なんだ」と部下たちから好評価を受ける。
 
一方、部課としての業務量はさほど変わっていないので、どんどん部下たちに休まれてしまうと、管理職がその穴埋めをすることになり(中には、無理やり管理職手当をつけられて「休みたい」と言えない状況に追い込まれて)、管理職が疲弊してしまっている。
 
そんなこともあるようですが、皆さんの会社・組織ではどうでしょうか?

ですから、会社・組織の上層部は個人個人のワーク・ライフ・バランスだけを推進するのではなく、職場におけるワークロード・リバランス(業務量の再配分)もセットで推進する必要があると思うのです。
 
そして、もうひとつは「働くことの意義」という最も本質的な課題が蔑ろにされたまま、ワーク・ライフ・バランスや働き方改革が推進されていることが挙げられます。
 
2 働くとは
ここからは、重要なポイントである「働くこと」について述べていきたいと思います。
 
(1)  働く上での留意事項
先ず、第1部でご紹介した出光佐三の生きざまから垣間見える、人が働く上で大切な心構えや留意事項についてお話します。
 
熱意が道を切り拓く
佐三は、GHQの指令でラジオ修理を請け負ったとき、部長だった元海軍大佐に「熱(意)が足りん」と、檄を飛ばしたそうです。元大佐は「壁」にぶつかっていましたが、諦めずに熱意をもって難題に取り組み続け、何とか事業を軌道に乗せることができました。
 
私自身は、失敗が怖いときや、他者との確執を感じるときは「黙々と淡々と、自分がやるべき仕事をやろう。ただ最善を尽くすのみ。自分に出来ることはそれだけだ」と言い聞かせ、自ら熱意を鼓舞するようにしています。
 
他者の考えていることなんて、いくら悩んでも答えは出ません。そんな暇があったら、どうすれば仕事が上手く行くかを悩む。諦めずに熱意をもって取り組み続けている限り敗北はないのです。
 
② 才能は先天的なものではなく発掘するもの
元大佐は、商売の経験は皆無でした。しかし、過去の経歴に胡坐をかくことなく、謙虚な努力を積み重ねた結果、それがいつしか彼の仕事になっていったのです。
 
人は誰しも「初めは、何も知らない、何もできない人だった」はず。しかし、どんな仕事も初めから謙虚に学び直すつもりで努力を積み重ねていけば、やがて自分自身の才能の発掘につながるものだと思います。

③ 目的を見失わないこと
佐三のような偉人に共通していることは、目的が明確でブレないことです。そして、その目的というのは、世のため人のためという「大義」に基づいています。
 
何のためにそれをやるのか。いつもそう問い続けながら仕事に取り組めば、自ずと物事の本質的な問題点を見抜く力も養われてくると思います。
 
これまでに、私が見てきた困難を乗り越える人は、どんな理不尽に遭遇しようとも、簡単に腐ったり悪事に手を染めることなく、常にまっすぐな心で目的意識を保ち続けられる人だったような気がします。
 
④ 一番大切なことは覚悟を決めること
佐三は心底、覚悟の決まった男でした。そうでなければ、これほどの偉業は成し得なかったでしょう。
 
佐三の言動からみえてくる覚悟とは、物事を決めたときに一定の非難を受け止める覚悟、失敗したら全て自分が責めを負う覚悟、負けると分かっていても正々堂々と土俵に立ち続ける覚悟です。
 
また、自分が抱えている仕事や責任というのは他人からは見えにくいもの。分かってもらおうとする一方で、「分かってもらえなくて結構」と割り切ることも必要です。
 
大なり小なり、大義(目的)のある仕事をするならば、この坂本龍馬ような境地が必要なのかもしれません。

裏を返せば、他人の評価ほど当てにならないものはなく、他人の評価に身を委ねることなく、自分の評価は自分自身が行えばそれで良いのです。
 
⑤ いつでも原点に立ち返り、やり直す気概
「石油の仕事が出来る、それで十分」という誰にも分かりやすい原点を明確に示せる「タンク底にかえれ」の合言葉は、出光興産の宝だと思います。
 
世の中が如何に変わろうとも、偉業というものはいつも「原点(タンク底)にかえる」気概がある人によって成し遂げられてきました。
 
一緒に働きたい人材に求めることはたったひとつ。それは経験があるかどうかではなく、やったことがない新しい仕事でも取り組んでみようという意欲があるかどうか。その一点に尽きると思います。
 
専門家ぶっている人ほど、これは自分の仕事じゃないとか、何かにつけ出来ない理由を探そうとしたり、どうでもいい仕事にかじりついている人が多いような気がします。

(2) 働き方について
次に、「働き方」について、自分なりに思うところをひとつご紹介します。それは、出来るだけ「仕事を切り上げる時間を予め決めておく」ということです。
 
自分にとり、働く上で一番のストレスは何かと考えたとき、それは「一日の終わりの見えない仕事を延々とやり続けること」でした。
 
その結果、遣り甲斐や充実感を失い、体調を崩し、大義(目的)を見失ってしまった。
 
これまでに何度かそういうことがあって、安定的に質の高い成果を出すための働き方はどうあるべきかと考えるようになりました。
 
もし、終わりの時間が見えていれば、どうでしょう。人は自ずと仕事の無駄をなくし、限られた時間内に、より質の高い仕事をやり遂げようとするのではないでしょうか。(注4)
 
出来るだけ多くの人が就労し、限られた時間の中で、一人一人がより質の高い仕事をこなす。「終わる時間を決める」ことが、個人のワーク・ライフ・バランスや、一億総活躍社会へと結実するカギになるのです。
 
(注4) ただ、そのことが決して無責任なものにならないよう、終えられなかった仕事は、朝早く出勤したり、昼休みを削ったり、休日出勤したり、通勤時間を使ったり、在宅勤務する等によって補う工夫は必要
 
(3) 「働くことの意義」とは
そして、いよいよ結論です。下の画像は、映画「海賊とよばれた男」のワンシーンですが、タンク底さらいに従事したこの男たち。臭い油にまみれて金にならない辛い仕事をして、それでも満面の笑みに満ち溢れています。
 
一体、何が楽しいのでしょうか?

出光佐三がモデルとなった
映画「海賊とよばれた男」

大義(目的)の前では、どんな仕事も手段でしかないのですが、私たちは苦楽や損得に目を奪われるあまり目的を見失い、手段(仕事)を選び過ぎていないでしょうか?
 
世の中、自分の成りたかった職業に就いていても、実際にやっている仕事は、必ずしも自分がやりたい仕事ではないという人は少なくありません。 
 
「何になりたい」、「何をしたい」にこだわり過ぎるから、不平不満が募って仕事が益々面白くなくなる。
 
逆に言えば、仕事というものは初めから面白いことなど殆どなくて、取り組んでいるうちに段々と面白くなっていくものであり、油まみれの笑顔たちが、そのことを如実に物語っています。
 
これらの笑顔は「生きている実感」の表れであり、つまり「働くことの意義」そのものに他ならないのです。 
 
人は誰しも、心の奥底で世のため人のために役立つ仕事をして喜ばれたいと思っているもの。 
 
シンプルに、「誰かの役に立つ仕事をして、生きている実感を存分に味わう」、そのことが働くことの意義ではないかと、そう思います。
 
おわりに
現代社会では、公私の切り分けやバランスが重視され、「ワーク」も「ライフ」も、佐三が生きた時代とはすいぶん変わりました。
 
しかし、働き方改革は、その名のとおり「働き方」の改革であって、「働くことの意義」それ自体は、人間が人間である限り、昔も今も不変のものだと思うのです。
 
第1部の冒頭でも述べたように、「愛国心や郷土愛」、「人間尊重や士魂商才など人間中心の考え方」、「商売人でありながら国益の視点を併せ持っていたこと」が佐三の原点でした。
 
これらを突き詰めれば、松下幸之助さんが説く「損して得(徳)とれ」という生き方そのものだと思います。
 
昨今、働き方改革が都合よく受け止められ、「あくせく働くことは不幸なこと」と考える人が増え、ややもすると「働く意義改悪」になってしまっていないでしょうか?
 
現代の資本主義社会では、何かと「得」ばかりがクローズアップされ、「徳」が蔑ろにされている。それはまさに「黄金の奴隷になる」ことを意味していて、私は、そのような考え方はかえって不幸を招くのではないかと危惧しています。
 
何故なら、人間というものは、生きている実感は「得」(=お金、地位、名声など)で満たせるようには創られておらず、「徳」を蔑ろにしていると、次から次に湧いてくる煩悩に苛まれて、自滅を招きやすい生き物だからです。
 
スリランカ出身の僧侶、アルボムッレ・スマナサーラ師は、煩悩から解放され、執着を捨てることの大切さを説いています。

佐三の生きざまからうかがわれるように、人は余計な煩悩がつけいるスキがないくらいに忙しい方が、むしろ健全なのであり、来る日も、来る日も、特定の課題に取り組み続け、頭を悩ましているくらいでちょうど良いんだと思います。
 
先日、亡くなられた稲盛和夫さんは、なかなか覚悟が決まらない人は、一度、何でもいいから「ど」真剣に打ち込んでみるべきだと説いておられました。

ワークとライフのバランスが図られ、両方が充実して、相互に良い影響を及ぼしあって「好循環」を生み出す。現代社会においては、そのような生き方こそが、人々に生きている実感もたらすのではないかと思います。
 
いわゆる「公私ともに乗ってる」状態にいかに導くか。当初、2部作で終わるつもりでしたが、せっかくなので、次回、その辺りの好循環を生み出すテクニックについて、詳しくお話していこうと思います。
 
「仕事は金儲けにあらず、人間を作ること」(出光佐三)