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記録すること

 健康診断の結果、血圧と体重に気をつけないといけないことがわかって、毎日、おおよそ決まった時間に測定することを始めて既に4ヶ月ほど経った。クリニックの医師から「血圧手帳」なるものを手渡されて、それに記入するのである。毎日モニターすることも大切なのだが、それを記録して傾向を見ることも意味があるに違いない。

 趣旨は少々異なるが、読書とクラシックギターの練習にも記録を残している。インドア派なので、たいした趣味もないのだが、趣味も漫然と楽しむのではなくて記録することで、やりっ放しにしないですむと感じている。
 
どういうことかと言うと、読書については読書メーターという一種のSNSのようなサイトに読後の感想なり要旨なり気になった点などを、255字以内の文字で書き込んでおくのである。自分が読んだのと同じ本を読んだ人がいれば、他の人が書き込んだ感想などを読むこともできる。

 まさに読書家のSNSなのだが自分は特に他の読書家との交流や情報交換を直接の目的としている訳ではない。むしろ、読みっぱなしにしないで、後から、本の内容を思い出す助けになること、その時に自分が考えたり感じたりしたことを思い出せるという点にメリットを感じて始めたのだった。

 また、後から〜ということだけではなくして、本を読んだ直後に内容を振り返り自分の感想を短い文章に表してまとめることによって、本が自分なりに消化できて大袈裟に言うと血となり肉となった感じがするのである。一瞬立ち止まって、今自分が為したことを総括することは意味がある。

 クラシックギターの練習も同様である。これは桐朋学園大学で体育とスポーツ心理を教えてきた矢野龍彦さんという先生が「前向きに考える 演奏家のためのメンタル強化術」という著書の中で勧めているのに倣って始めたものである。

 私の場合は、レッスンを受けているので、一年に3回ある教室の発表会を目指して、指導を受けつつ曲を錬成して行くのだが、先々一年くらいの大雑把な計画を立てて、毎日練習を積み重ねる。ノートを一冊(私は新潮文庫のマイブックが好み)用意して、その毎日の練習を記録していくのである。

 たんに何を練習したかではなくて、進歩があった点、上手くなかったところ、その他感じたことも書いておく。やはり、弾きっぱなしにするのではなくて、練習でどういう手応えや反省点があるか、一瞬立ち止まって総括することに意味があると思う。

 「酔生夢死」という言葉がある。辞書をひくと「有意義なことは何もしないで、ぼんやりと一生を終えること」とある。戒めの言葉だが、かと言って、何か人から褒められるようなことや、人の注目を集めるような大きなことをしなさい、ということではないだろう。

 読書でも楽器を演奏することでも、他のなんでもよいのだが、自分のやりたいことをして、それなりに楽しんだり、充実感を得ることができたとしても、やりっ放しを続けていくだけでは、酔生夢死の人生になってしまうような気がする。
 
目的意識をもつこと、または計画を立てて進めること、そのプロセスの一歩一歩ごとに一瞬立ち止まって総括することによって、人間はやり甲斐を感じるようになっているのではなかろうか。その具体的な方法として、簡単な記録をつけておくことに意味があると感じている。

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