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子供がいてもいなくても、みんなルールに縛られてるんだと思った話

あなたは誰のための人生を送っていますか?

先日、久しぶりに友人と楽しくお茶した話を別の記事に書きましたが、その時のとある現象について不思議に感じて、それからずっと引っかかっています。いや、お茶会は楽しかったですよ。もやもやではなくて、探求心的な意味で気になって…。

独身バリキャリの子と、子もち専業主婦の子の会話です。(※以下、便宜上、バリキャリの子=B子、子もち専業主婦の子=K子と略させていただきます。)

B子:私は子供いないけど、働いて税金払って子育て支えるから(*'▽')
K子:私は、将来ちゃんと納税者になるよう子育て頑張るから(*'▽')

一見普通の納税についての会話なんですが、彼女たちはどういう心理でしている会話なんだろうっ…て思ってしまったんですね。
片方は子供を産み育てていないことに対する後ろめたさがあって、もう片方は仕事をしていないことに対する後ろめたさがあるのでしょうか?
それとも、相手に対して「働きなさいよ」「子供産みなさいよ」という意味のマウント?…いや、彼女たちの真面目で自己犠牲的な性格を考えると、”後ろめたさ”の現れなんじゃないかと思います。
二人とも立派に生きているのに、後ろめたさを感じる必要なんてないのに…って思ってしまいます。

一旦、別の子の話になりますが、十数年前、大学卒業してすぐの頃、友人が出産したんですね。で、彼女が出産してひと段落した頃に、他の友人と出産祝いを持ってその子のお家に遊びに行ったんです。もちろんその友人以外みんな新卒で働き始めたばかりだし独身でした。
しばらくみんなでワイノワイノと話していたら、その子が急に「私、憲法の国民の3大義務全部やってる。勤労、納税、教育を受けさせる義務全部。こんだけ国に尽くしてる人、この歳で周りにいる?」って言ったんですね。

その時はみんなで「そうだね~、えらいよ~(*'▽')はは」って笑っていたんですけど、、、彼女も冗談っぽく言っていたし。
でも、私の中では当時からなんか引っかかったんでしょうね。何かきっかけがあると、あの発言を思い出すことがあります。
今回のお茶会でのB子とK子のあの会話を聞いたときに、また、ふとあの子を思い出しました。

人って、特に日本の社会って、ルールや規定を守ることに厳しいですよね。
なんか、この一連の会話の背景にはこの”ルールを守ることが評価される”という文化が影響しているのかなって思います。

今の”ルール”は『女性も一人前に働き、子供を産み、育てる』ということ。
それがコンプリートできた人は評価され、何か一つでも欠けていればルールに従っていないという後ろめたさを感じて生きていく。
真面目な人ほど、この後ろめたさとともに生きていくことになってしまうのでしょう。

でも、違和感があります。
私は、”ルール”のために生きているのではありません。
人の生き方にはいろんな考えや事情があります。
特に生き方について、自分が”ルール”を守っているからあなたも守りなさいという話はないですし、”ルール”から見ると何かが欠けているとしても、本人にとっては完璧な人生です。

納税の話に戻りますが、みんなが”ルール”どおりに生きなければ社会保険が持たないっていうのは、本末転倒じゃない?”ルール”のために生きてるの?
これは社会保険の仕組みの問題であって、個人の生き方が問題にされるなんておかしいのでは?

後ろめたさを感じる必要なんてあるんでしょうか?
何か一つでも欠けていたら、それは言い訳が必要なんでしょうか?
胸を張って自分のために生きて、それを普通のこととして認め合えるようになったら、みんな楽になるのにね。


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