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久石譲の「楽曲の無断利用禁止」とアメリカの「編曲文化フェアユース」

ジブリ作品などへの楽曲提供で知られる久石譲さん(作曲家、ピアニスト)が公式サイトにて楽曲の無断利用に注意喚起を行いました。
全文は公式サイトにて確認できます。

『作曲家 久石譲と株式会社ワンダーシティは、久石による楽曲に関して、正規の手続きがなされていない利用や編曲は一切許可をいたしません。』
『無断で久石の楽曲を編曲することは作曲家の著作権および著作者人格権の侵害にあたり、断じて認められるものではありません。』

https://joehisaishi.com/news/

もっともだ!海外の人たちは常識がない!と思われる方が多いと思います。
が、海外の方々を悪くいう前に、なぜ世界各地でそんな事が起きているのか、アレンジミュージックの1ファンとして簡単に説明いたします。

念の為お伝えしておきますと、私はアレンジミュージックや(グラフィックも含む)アーティストの1ファンであるだけで、法律の専門家ではないのでご了承ください。





アメリカ社会での価値観「フェアユース」

何かをアレンジや引用する時に引き合いに出される考えに「フェアユース」「アプロプリエーション(主に美術用語)」という考え方があります。
今回はフェアユースに絞って書きます。

フェアユースとは国によって考え方(適用される法律)が違いますが、一番影響がある「アメリカのフェアユース」について。

上記記事から引用
”変容的であればあるほど別の作品となり、元の作品の市場を奪わないものだと認められれば、フェアユースとして成立するのだ。”

https://block.fm/news/fairuse

アメリカの法律の大きな考え方として「若い人が活躍できるように」「報道が正しくされるように」という『市民の権利』を多くは重要視しています。
フェアユースもその一つ。
何かをアレンジして新しい価値観や新しい市場が開拓され、引いてはアメリカ経済の巡回、規模が大きくなれば問題なし!という感じです。
ここには貧富の差や、市場規模の大きさなど様々な状況が影響していますが「成功者が挑戦者に懐を貸し出す、成功者の余裕」みたいな心情も影響していると思われます。
「大きなパイを少しずつ取り合う」ような話で、決して無名のアーティストを大物アーティストがパクってOKという意味ではなく、権力者が小市民に許諾を与えるような権利の方向性があります。



任天堂の著作物に関するガイドラインがわかりやすい

もっとも分かりやすいのが「任天堂の著作物の利用に関するガイドライン」(2023)です。

個人であるお客様は、任天堂のゲーム著作物を利用した動画や静止画等を、営利を目的としない場合に限り、投稿することができます。ただし、別途指定するシステムによるときは、投稿を収益化することができます。

https://www.nintendo.co.jp/networkservice_guideline/ja/index.html

お若い方はピンとこないかもしれませんが、2000年代くらいの時はゲーム実況は違法ラインギリギリ訴えられたら負けるグレーな行動でした。
そこでYouTubeの普及に合わせ、実況主にも安心して動画を投稿してもらえるように任天堂側から声明を出しました。

創作性を含めばOK

Nintendo Switchのキャプチャーボタン等の機能を利用する場合を除いて、例えば任天堂が制作したプロモーション動画を転載したものや、他人の投稿を転載したもの、ゲームのサウンドトラックやムービーシーン、イラスト集等をコピーしただけの投稿は、お客様の創作性やコメントが含まれないため、ガイドラインの対象として認められません。

https://www.nintendo.co.jp/networkservice_guideline/ja/index.html

ここでポイントになるのが上記の追記です。
「コピーしただけの投稿は、お客様の創作性やコメントが含まれないため、ガイドラインの対象として認められません」
つまり、

  • 「任天堂ダイレクト」(任天堂が出している新作ニュースの動画)をそのまま出すのはコピーしただけなのでNG

  • 「任天堂ダイレクト反応動画」(実況主の姿を合成したりして、ニュースに被せて色々話す動画)は創作性を含むためOK

という訳です。
ここにアメリカ的フェアユースな考え方があります。
実況投稿は元の作品の市場(ゲームの売り上げ)を奪わないものとして位置付けられている訳です。
初めから認められた権利なのでその度に権利者に許可を取ったりもしない訳です。


しかし権利者が別途禁止していたらNG

投稿に任天堂以外の第三者が有する知的財産権が利用されている場合、このガイドラインとは別に、その知的財産権の権利者から許諾を得る必要があります。

https://www.nintendo.co.jp/networkservice_guideline/ja/index.html

ストーリー性を重視したゲーム作品でエンディングのネタバレや、見る事自体が大事な体験になるようなムービーシーンに配信の「禁止区域」設定をゲーム側が設ける事があります。
ゲームの録画をしていても一時的に真っ暗な録画画面になったりします。
また、配信のプラットフォームを「YouTubeとニコニコ動画だけ」など指定するゲーム作品もあります。
これらの権利者側からの「禁止事項」は任天堂の機体経由で販売されたものでも、権利者側の主張が優先されます。

大枠を任天堂が指定、そこに当てはまらない部分は各ゲーム会社など権利者が個別に指定します。

今回の久石譲さんの「禁止事項」は権利者側の禁止事項なので何より優先されます。
しかし多くの海外のアレンジするアーティストにとっては「ちょっと後出し」な状況だった訳です。



アレンジミュージックがグラミー賞を受賞している

音楽のお話に戻します。
実は2022年、日本のゲーム、星のカービィの楽曲「メタナイトの逆襲」をジャズ調にアレンジした作品が、グラミー賞(「最優秀インストゥルメンタル編曲賞」)を受賞しています。

このThe 8-Bit Big Bandは「Button Masher」のキーボードアレンジの再アレンジで、ジャズバンドアレンジする際に任天堂ではなく「Button Masher」に許可を取ったと記載しています。
「Button Masher」はフェアユースとして任天堂の曲を(恐らく許可を取らず)アレンジし、「The 8-Bit Big Band」は「Button Masher」のクリエイティビティ部分に対して許可を取っている訳です。
ヒカキンさんのボイパアレンジマリオもこれにあたると思います。

そしてグラミー賞は「編曲賞」を与えています。
編曲に創作性を認めつつ、他の楽曲の賞と棲み分けています。
「若い人が活躍できるように」「市場を拡大したい」というアメリカの精神と繋がっています。
影響力を与えるほどアーティストが大きくなった場合、コラボという形で許可を取るのが責任になってくると思います。(すいません、これは想像です)
大いなる力を得てから、大いなる責任が発生するようなイメージ。(スパイダーマンでお馴染み)
はじめの方に「権力者が小市民に許諾を与えるような権利の方向性があります。」と書きましたが、成功者になったら、まさに権利の方向性が逆転してしまうタイミングが来ることもある訳です。
「権利の方向性」は日本人にはピンとこないかもしれませんが「文化の盗用」や「パロディ」「皮肉」「デモ」「ストライキ」「ブラック・ライヴズ・マター(BLM)」なども「権利の方向性」が重要になってきます。
日本人が分かりにくいと思う権利や主張には「権利の方向性」がある事が多々あります。

つまり、アメリカのフェアユース的感覚からいうと「アレンジされることも名誉」(大物と認められる)になったりする訳です。
しかしこの考えは日本の(世界にもあります)「著作者人格権」と矛盾してしまいます。

著作者人格権 とは著作権の一部であり、著作物の創作者である著作者が精神的に傷つけられないよう保護する権利の総称である。美術・文芸・楽曲・映像といった著作物には、著作者の思想や感情が色濃く反映されているため、第三者による著作物の利用態様によっては著作者の人格的利益を侵害する恐れがある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/著作者人格権

改変されることが「精神的に苦痛」ならフェアユースの範囲外。
この権利はどこかに登録するわけではなく、制作物(写真でも歌でもなんでも)を発表した時点で発生する権利です。
しかし音楽などアレンジ(編曲)が主流の文化の場合はあらかじめ「禁止」をしておくのが一番な訳です。



名前を宣伝に使ったらNG

ともあれ、たとえば「久石譲Night」とか「ジブリDJ」とかあたかもその人や企業が関わっているように見える宣伝や集客は詐欺にもなりそうだしNGになりがちかと思います。
ともあれYouTubeのサムネに名前を挙げるのはどう扱うのか……?などなど
こういったこと全ては「権利者が予め定義しておく」のが今後日本でも主流になってくるんだと思います。



余談、現代美術における「アプロプリエーション」

因みに、絵画やカメラマンの写真などアレンジされる事が文化的にあまり認められている訳ではない場合、裁判によって合法か違反かその度に変わったりします。
分かりやすいのが現代アート作品の「アプロプリエーション」
分かりやすい記事を貼りますが、ここは余談です。

よく海外の現代アーティストがミッキーを茶化したアート作品を制作したりしていますが、これはディズニー側がフェアユースの精神で「アーティスト(クリエイティビティ)に自由を与える懐の深い我々」という態度をとっている訳です。
そのままのコピー商品(バッグにミッキーをプリントした様なもの)に厳しいのは創造性を含まない為、ディズニー側が著作権を行使します。
「どの権利を行使するか」も大企業は選んでいます。



さいごに

このフェアユースも著作権も著作者人格権も、元は人が作ったものなので、その地域の文化、状況、国民性により同じ言葉でも国によって大きく違っていたり、世代によってもどれを重要視するか、どれが非常識でどれが自由なのか、創造性とは何を指すかが全然違ってきたります。
また、そもそも法律という不変と思われるものも裁判や社会状況、人物の影響力によって何が違法かが変わってくる柔軟性のあるものです。

全ての人の「嫌な気持ち」「ポジティブな気持ち」どれも大切にしていければと思います。

簡単に世界中に情報を発信できるような時代なので、自分と違う文化について考えるのも楽しいことだと思います。


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