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日々のあれこれを気ままに。日記よりもパブリックで、記事よりもプライベートな距離感でつづ…

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日々のあれこれを気ままに。日記よりもパブリックで、記事よりもプライベートな距離感でつづっていきます。

マガジン

  • わたしへのことば

    つぶやきをまとめました

最近の記事

2024年は二十四節気サイクルで動いてみる

こんにちは。2024年が始まりましたね。 年始からいろいろなことにそれぞれが向き合い、日々をお過ごしかと思います。 私はというと、noteから「1月に1本記事をあげると連続投稿が延びるよ」と律儀にアナウンスしていただき、お知らせを見たときはやる気が起きるも、なかなか書く気になれずの月末。なんだか体と心がうまくかみ合っていないというか、重たい感覚から抜け出せない状況が続いています。 なんとなく理由はわかっているのです。それは「朝起きる時間が遅いから」だということを。もちろん

    • 願望実現の真骨頂は無意識の領域とのロマンス

      宣言通り、Stand.FMという音声ラジオプラットフォームにてメンバーシップを開設してみました。ただ、ここまでの過程(と、いっても1週間もしない日数ですが)でも紆余曲折があり、開設した今、さらに気づいたことがありました。 実は、宣言した次の日に、毎年恒例になっている1年の振り返りと来年に向けてのセッションを受けたのですが、その時に「メンバーシップだとプレッシャーがかかりそうだから、有料コンテンツから始めたら?」とアドバイスをもらい、まずは何かしらで有料コンテンツをつくってみ

      • まずは私が、私の最推しになる

        有料コンテンツができるソーシャルメディアは全部有料にしてみよう、ここ数日でそう思い立ちました。 ここで誤解しないでいただきたいのは(そもそも、誤解するほどのイメージを私に持ち合わせてもいないだろうけど)、有益な情報を発信するわけでも、自分の知識やキャリア、肩書きなどに自信があるわけでも、ただただお金稼ぎたいわけでも(いや、これはなくはないが(笑)、そこはポイントではないから華麗にスルーします)、そこではなくてですね… 「無料」ってものが、なんか不思議になっちゃったの。

        • サブスク方式を受け入れるために自らメンバーシップをはじめてみる宣言

          突然ですが、わたしはサブスクがすごぶる苦手です。 月額○○円、○○し放題、とても魅力的なサービスなのに、社会的にもその流れがきているのに、わたしは1つもサブスクサービスに加入してません。 (ある意味、すごいでしょ(笑)) 何がそんなに苦手なのかと考えてはもちろんいます。なにせ、自分掘り下げ大好き人間なので。その結果、いまのところ最有力なのは、毎月「自動に引き落とされる」ということへの抵抗。自動引き落としは、いわば「受動的、無意識」に行われることですよね。わたしは、この「受動

        2024年は二十四節気サイクルで動いてみる

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        • わたしへのことば
          5本

        記事

          寝かせ記事とミーハーごころ

          ※この記事は、書き始めから書き終わりまで半年間のブランクがあるため、内容が途中でガラッと変わります。それも「あじ」だと思ってお読みください。 おかえり投稿を皮切りに、SNSの使い方について、今一度じぶんの中で整理している日々です。実際にやってみて、「カテゴライズ」することを今まで避けてきたことに改めて気づかされました。どうして、そのような「感情の反応」だ起こったのかーー。今回は、そのことについて書き綴っていきたいと思います。 1.「戦略」脳への拒否反応 いきなりですが、

          寝かせ記事とミーハーごころ

          「ないものねだり」より「なんでもねだり」

          「そんな風通すニットなんかで自転車乗ったら寒いに決まってるじゃん」 え、、アラン模様でいい糸使ってるおばあちゃんが編んでくれたこのニットカーディガン、めっちゃあったかいんだよ?!言われた通りあったかい格好してきたんだけど。「対策」や「工夫」というものが苦手なわたしは、基本何事も気合とマインドコントロールで丸くおさめがち。ザ・行き当たりタイプ。かたや、事前に日程を決めてそれに向けてどんな洋服を着るか、ルートをどうするか、買った荷物を持って帰るのにどうするのがいいか、事前にしっか

          「ないものねだり」より「なんでもねだり」

          スクラップブックみたいな世界で生きてる

          「ねぇ、なんか、面白いこと話して」 これ、わたしが若かりし頃よく言っていた言葉。特に男の子とかに言ってました。いま文章にして客観的に見ると結構ひやひやするけど、あの頃のわたしは言葉のまんま、そう思ったからそう言ったの。それこそ無邪気に。その人の話がつまらない思って言ったことばじゃないよ!会話がないとき、ふと言うの。なんか面白いことないかなぁーって思っちゃってさ、それを言葉にしちゃって。つまらなかったらつまらないって言っちゃって。それを笑って返してくれるのが友達なんだって。だっ

          スクラップブックみたいな世界で生きてる

          イメージなんてそんなもの、だけどそれが世界をつくってる

          「最近、どこもかしこも「推し推し」ばっか。なにこれ流行ってるの?」 なんだか、そう口走ってしまう。かわいくないな、言い方が。 巷で必要以上に使われる単語って、自分の中にある一定の領域に達すると、とたんに、なんというのかな…独特のにおいがするようになる。 だからといって「推し」ってことばが悪いわけではない。 あくまで、そこに乗っかるバイブスというのか、そこをとりまく感覚が妙に引っかかってしまうところがあるのです。 ちょうどいい例があった。先日ライターの友人が開運特集の仕事

          イメージなんてそんなもの、だけどそれが世界をつくってる

          「ねえ、ものがたりをかいたら?」

          「ねえ、ものがたりをかいたら?」 そんなようなことばが、ふと頭に浮かんだ。 そんなような、といったのは、正直ニュアンスしか覚えていないから。 物語を書いてみようかな、というインスピレーションが湧いたって感じ。 理由は思いつく。さっきお昼休憩のときに読みはじめた、ルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引き書』で、いまだに鳥肌が止まらないから。きっとこの「鳥肌」のせいだ。ただ、ここで勘違いしないでほしいのは、わたしのこの鳥肌は、自分では無自覚で、この感覚が「心揺さぶられる」とい

          「ねえ、ものがたりをかいたら?」

          わたしとソーシャルメディアの擬人化した付き合い方

          今年に入って、世間の動きが、変化が活発化していますよね。わたし自身も、ここまでの6か月間を振り返っただけでも、だいぶ意識や行動の変化が大きいです。特に気づきが大きかったのが「ソーシャルメディアとの付き合い方」。わたしの中でイメージがどんどん変化しているのを一番客観的に感じられるのがこのテーマだと思ったので、できる範囲でまとめてみます。 きっかけは、ここ(note)が気づかせてくれた 利用者の多いソーシャルメディアには、サービスの特徴だけではなく、そのプラットフォームの「空

          わたしとソーシャルメディアの擬人化した付き合い方

          「色気」って、満たされている喜びからというより、満たされないもどかしさから醸し出されるものなんじゃないかな。もちろん、演出できるものでもあるけれど。むしろ、今はそっちが主流だよね、テクニック。

          「色気」って、満たされている喜びからというより、満たされないもどかしさから醸し出されるものなんじゃないかな。もちろん、演出できるものでもあるけれど。むしろ、今はそっちが主流だよね、テクニック。

          「期待」って、じぶんに対してするものであって、だれかにするものではないんだよね、ほんとうは。だれかに対して「期待」をすると、必然的に「あたり」と「はずれ」の二択ができてしまう。期待ではないかたちで、向き合いたい。どんな向き合い方があるかな、と考えているところ。

          「期待」って、じぶんに対してするものであって、だれかにするものではないんだよね、ほんとうは。だれかに対して「期待」をすると、必然的に「あたり」と「はずれ」の二択ができてしまう。期待ではないかたちで、向き合いたい。どんな向き合い方があるかな、と考えているところ。

          真実は無数にあるけど、事実がひとつ。そこに、どんな「おもい」がこめられていようが、事実は事実。事実だけではわからないものを伝えるために、真実があるんだよね。だから、真実はいろとりどり。そう考えると、わたしにとっての真実は、きれいなもので埋め尽くしたい。

          真実は無数にあるけど、事実がひとつ。そこに、どんな「おもい」がこめられていようが、事実は事実。事実だけではわからないものを伝えるために、真実があるんだよね。だから、真実はいろとりどり。そう考えると、わたしにとっての真実は、きれいなもので埋め尽くしたい。

          真実とか、本当は、とか、こたえを求めて情報を得ようとすると、無数にある「誰かの真実」に飲み込まれちゃう。その人にとっては、真実はひとつだけど、俯瞰で見ると、真実は無数に存在するんだよ。

          真実とか、本当は、とか、こたえを求めて情報を得ようとすると、無数にある「誰かの真実」に飲み込まれちゃう。その人にとっては、真実はひとつだけど、俯瞰で見ると、真実は無数に存在するんだよ。

          だまされる覚悟があると、わたしの世界がぐっとひろがり、やさしくなる気がする。

          だまされる覚悟があると、わたしの世界がぐっとひろがり、やさしくなる気がする。

          発信すること=生理的欲求だと気づいた

          おかえり投稿でも記載しているのですが、どうも「書こう」と思っているものと「書ける」ものがずれてしまうという現象が起こっています。当初は、ソーシャルメディアの違いから起こっているものなのかな?と考えていたのですが、今回は明確に「こういう内容を書こう。そして、noteはこういうテーマを軸にして発信していこう。」とプランを立てて、テキストページを開きました。にもかかわらず、導入文から見事に脱線してしまい、そのページは、一旦下書き保存して、このページを新たに立ち上げています。 思えば

          発信すること=生理的欲求だと気づいた